カテゴリー「インタビュー」の69件の記事

2009.11.05

十年ぶりの・・・

東周刊321期 留星語

十年ぶりの…鄭伊健


もしも、鄭伊健が大々的に年末のコンサートの発表をしなかったら、私はとっくに彼がかつて(今も)歌手であったことを忘れてしまっていただろう。伊健は私を責めたりはしない、責められるべきは彼の恋愛生活があまりに派手すぎることで、ウィキペディアですら特別に「個人のイメージと私生活」という一ページを設けるほどで、それが目次のもっとも上に位置していて、彼の「音楽作品」のページは最後尾へ押しやられそうになっている。

「どうしてだろう?まだ『古惑仔』シリーズをひきずって、まるで連続ドラマみたいだ。僕は他人を責めたりはしない、自分のことを責めたりもしない。恋愛には絶対的な正解も不正解もないんだ、多くは運命として定められたことで、他人が僕をどう思うかなんてコントロールできない。唯一の慰めは、僕のプライバシーが干渉されて雑誌がたくさん売れること、だからこそみんなに連載小説みたいに書きたてられるんだろうね」

鄭伊健は、実際は気が多いわけではない。前回までの二つの恋はどちらも7年間続き、彼はこの業界でデビューして以来、恋愛については空白期間がほとんどない。
もし、伊健のCDと映画がどちらも絶え間なく出ていたとしたら、一本300万香港ドルの出演料の彼は、今頃億万長者になっているにちがいない。

「時には、努力と報酬が必ずしも正比例することはない、多くは思いがけず得られるもの。僕が初めてCDを発売した時は20万枚売れた。今は周杰倫ですらそんな数字を叩き出すことはできない。僕は、栄光が再びやって来ることはないと思ってる、だから過去を振り向いたりしない、ただ前を見て進むだけ。」

四十二歳になったばかりの鄭伊健はまもなく、再度紅館(香港コロシアム)の舞台を踏む。共にずっと歩んできたのはマネージャーの林珊珊と、音楽プロデューサーの陳光榮で、10年経ってもメンバーはまだ変わらないとはいえど、『一個甘去爲你踏火海的人』のヒットは既に歴史上の出来事のようなものだ。


人を愛するのに証明は要らない

鄭伊健と陳冠希を並べて論じるようなことはしたくないし、するべきでもないとは思うのだが、今の芸能界でこれまで四人の女性スターと付き合った男性タレントというと、エディソン以外では鄭伊健ただ一人だ。黎芷珊、邵美琪、梁詠琪、蒙嘉慧、名前を聞いただけでも非常に華々しいが、当事者にしてみれば、彼の恋愛ストーリーは新聞や雑誌に華々しく登場したからこそ派手にみえるのだ。

「ときどきどうしようもなく思えるんだ。僕は毎回自分の恋愛を公表してきたけれども、それは嘘をついたり、こそこそしたくなかったからで、ある程度は有名人の責任として仕方のないこと。どんな別れでも同じように心をえぐられるように辛く、恋愛で失ったものに深く傷ついているのに、それでもまだ塩や酢を擦りこまれるような思いをするなんて、もちろん耐えられない。
でも、僕という人間はとても楽観的なんだ。たぶんこれが有名人であることの代償だと思ってるからだろう。もし僕に人気がなければ、みんなが争って僕のことを書きたてたりしない、そう思うと少し気も晴れるんだ。実は、大ウソをつくのは正直に話してしまうことよりも簡単で、多くの人は死んでも認めないし、しまいにはどんな責任を負う必要もない、僕が知らないとでも思ってた?でもそういうのは僕の性格じゃないんだ。」

今月4日、鄭伊健は42歳の誕生日を過ごした。『風雲』の聶風のように髪の毛は相変わらずふさふさしているが、もう42歳にもなるのだから、結婚して子供を産むことについては自然と最近彼に問われる問題になってきた。黎明、劉徳華、楊千嬅、彼らがおめでたい話題を暴露されてからは特にそうだろう。

「結婚?本当に考えたことはないんだ。僕と彼女(蒙嘉慧)は関係が始まったときからずっと風雨にさらされてきた。最近になってようやくちょっと落ち着いた日々を過ごしてる、もっと今の段階の生活を楽しみたいんだ。みんな最近僕について書くことがないだろうけど。
結婚は僕にとっては紙切れ一枚のことにすぎない。人を愛するのに証明なんていらない、最も見るに堪えないのは、家のローンを払うために結婚する男女だ。ローンはローンじゃないか。結婚する必要がある?その答えは、お互いに信用できないから、結婚登録さえしてしまえば、相手が逃げられないと思っている。結婚が離婚しないことの保証になりえるんだろうか?もし、カップルがこういう理由で結婚を選択するのだとしたら、僕はとても可哀想なことだと思う。」

「子供のことについては、正直に言うと、僕は特別好きというわけじゃない。たぶん以前子供番組の司会をやっていて、子供の嫌な面を見すぎたからだと思う。なぜかはわからないけど、今の子供はどんどん童心を忘れてきているように思う。自分がどうやって子供をしつけたらいいかわからなくて、血を吐くような辛い思いをするんじゃないかと心配なんだ。時々思うんだけど、もしある日子供がほしいと思うことがあったら、あるいは養子をもらうことも考えるかもしれない。考えてみてよ、子供が欲しいと必死になる人がいる一方で、こんなにもたくさんの子供たちが棄てられているんだ。とても皮肉なことだろう?」

「僕は今も何人かの子供を養っている。みんなカードを贈ってくれるんだけど、僕は時々返事を忘れてしまう。自分はだめだなと思うよ。だからまだ良いパパにはなれる時期ではないな」

CDでは稼げない

鄭伊健は前回のコンサートで、それは11年前のことだが、当時は「古惑仔」の時代で、まだ世間からは完全に歌手だと認められたわけではない彼が、8回の公演を行った。2000年、伊健はEEGと契約し、結局3年間冷遇され、歌手としての身分は先月末にSonyBMGに加盟してようやく復活することになった。

「実は、ずっと東南アジア、韓国や、日本ではステージに上がってきた。2005年にはベストアルバムも出していて、完全に「封印」したわけではないんだ。だから、音楽界への復帰とは思ってない。過去10年はパワーを映画のほうに集中していて、その計画の中になかったから歌わなかっただけ。2000年にEEGと契約した時は、契約からまもなく僕とサンサンを招いてくれた会社の人が辞めてしまってうまくいかなくなり、それから会社でも話し合いをして検討したけれども、お互いの方向性があまりに違うことがわかって、だからずっと仕事をすることがなかったんだ。」

「実は、何年か前にも僕はCDを出したいと思っていて、当時陳光榮が僕の出演するカメラのCMのために曲を書いてくれたけど、話し合いの結果また没になった。正直言えば、歌手というのはとても受け身で、やりたいからといってできるわけではないし、歌を作ってくれる人が必要だし、それで初めてCDも出せる。何年も僕と映画を撮りたい人がいつもいて、願ってもないことに、デビューからずっと僕は仕事に困ることはない、それだけでも十分ラッキーなことだよ」

私は、11年ぶりに紅館に立つ彼は「音楽を愛してやまない」からだと言ってくれるのかと思っていたが、自称「前時代」の歌手である伊健は、確かに「前時代」のタレントとしての正直さで、CDを売るだけではもう金は稼げないのだと打ち明けた。

「僕のデビューCDは20万枚売れた。今一番人気の周杰倫ですらもうそんな成績はあげられないはず、なら僕はどうだろう?たぶん、僕の歌はまあまあだと思われるかもしれない、俳優として映画に出たほうがいいのかも、でもチャンスがあるなら、やってみてもいいんじゃないかな?
草蜢もしばらく新譜を出していなかったけれども、彼らのコンサートは追加に次ぐ追加だ。今は、CDを出すことではもう儲けることはできないから、コンサートもやらないといけない。まるでパーティを開くようなもので、それでようやくファンも見に来たいと思うだろう。正直言って、僕は自分を歌手と自任するところはとても少ない、自分は表現者であって、映画も歌も、僕の仕事の一つであるんだ。」

駒でいることに安心する

男子、四十にして自立するという言葉があるが、目の前の伊健は依然として大きな子供のようだ。インタビュー当日、「林珊珊が言うには」という言葉を出すと、「蒙嘉慧」とか「Gigi」の話をするよりも話がしやすかった。伊健と何年も肩を並べて仕事をしてきた林珊珊は、彼を「林家」の一員とみなしていて、伊健も彼女のことを「皇帝」とみなし、彼女の手の上で転がされる駒として自分の位置を落ちつけている。

「僕には自分の意見がないわけじゃない。僕はサンサンのマネージメントを信じているからね。二人の間に信頼がなかったら、どうして何年も一緒に仕事をやってこれると思う?僕は孤高の人ではないし、お金ももちろん稼がなければいけない。でもどんなふうに稼ぐか、どれだけ稼ぐかは僕のコントロール範囲外だ。僕はサンサンのマネージメント能力は僕より高いと信じてるから、彼女は皇帝で、僕は彼女の兵隊で、彼女が命令すれば戦場に打って出るし、前進するし、どうしてそうしなければいけないのかはもう聞く必要もないんだ。」

「僕がTVBの養成所に入った初日、養成所の先生は、その時すでに僕が芸能界に向かないと言っていた。その先生は僕のことをとても可愛がってくれて、いつも言ってた。『鄭伊健、君はそれでは駄目だよ。チャンスを自分からつかみにいかず、ずっと黙ったままで、そんな性格ではすぐに淘汰されてしまうよ』その先生は、僕が試験に合格せず、卒業できないだろうと心配していたけど、結局僕は合格して、卒業からすぐにドラマの仕事が来て、すぐに主役にもなれた。芸能界には必ずしも業界に合う性格だけじゃなくて、天の時、地の利というものもあるんだと思うんだ。」

かつて「五人目の天王」の名で呼ばれた鄭伊健は、いまだ「天王」という性格ではないが、10年前に郭富城と『風雲』で共演して、10年経ってもまた同じ相手と再演することになった。伊健は埋もれてしまうこともなかった、またフェラーリを使って自分の身分を誇示する必要もない。

「自分で自分のことはよくわかっているもので、劉徳華は自分の地位を譲り渡してもいい、と思っているわけではないし、大変な努力をしてきている。僕自身もまた大変な努力をしていると自分の中でも思うところがある。僕は、自分が努力してこなかったとは言わない、でも僕の言う「がんばり」と華仔の言う「がんばり」とは別のこと。デビューして長いけど、埋もれてしまうこともなく、人と衝突することもないけど、それでもまだ僕と映画を撮りたいと言ってくれる人がいて、上を見ても下を見てもきりがない、僕は現状に満足してるよ。
僕は以前はちょっと迷っていて、自分の進むべき道がわからなかったけど、今は歳も重ねて、かえって『古惑仔』の頃の自分よりも状態はいいと感じている。コンサートのために腹筋を鍛えないのかって?僕はもともと腹筋は割れてるんだ。ただちょっと色あせつつあるだけ、暇なときに何回かバドミントンすれば、腹筋も自然と元に戻るさ」

甘比今昔

鄭伊健にインタビューしたのは本当に久しぶりで、前回会ったのはたしか『風雲』の時だった。
「あなたはその時まだ××新聞の記者だったよね、98年のことだ。」
98年のことを、伊健は昨日のことのように覚えている。彼の記憶力は本当はびっくりするほど良いのだ。
99年は?
「はは。」
忘れていた。私も危うく忘れてしまうところだった。梁詠琪がノーメイクで鄭伊健の西貢の家から出てきたのは、10年前のちょうどこの日だった。伊健の言う「10年経てば人も変わる」という文句は、彼の身の上にはあてはまらないようだ。10年前には彼の身近にいた、林珊珊のCD会社の同僚だった「大嚿」は、10年経った今でも彼と一緒にいる。ただ、10年後の梁詠琪はもう「伊健の彼女」でも、学生たちのアイドルでもなくなったけれども、その頃ジジを追いかけて彼女の写真を撮っていた芸能記者の甘比は、既に富豪の家に入り、玉の輿に乗った。


Lausingyu

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2009.04.13

自分探しの旅

U LIFE MAGAZINE isssue175
「林嘉欣×鄭伊健 猜・情・尋」

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鄭伊健(Ekin)と林嘉欣(Karena)の今回のインタビューでは、雰囲気は映画『親密』のように抑制され含蓄のあるものでは全くなく、楽しくおしゃべりな伊健は、カリーナを笑わせてばかりいる。 初めて会った時から、四度めのご縁とその間柄の進展具合について話してくれた。それぞれの経験、いわゆる「困難な恋愛」を乗り越えてきた者同士として心を開いている。 カリーナはパリへ留学したことを挙げ、また伊健の夢探しの方法を引き出す。 友人になって一番大事なのは、あらゆることについて、考えの違いでも何でも話すことだ。

君は文芸 僕は商業

伊健とカリーナは、動と静、性格もまるで正反対だが、その関係は微妙で、4回共演し(『恋の風景』、『雙雄』『後備甜心』『親密』)、監督の目にもお似合いに見えている。嘉欣の元彼、陳光榮は伊健の音楽プロデューサーでもあり、二人はまた同時期に違うカメラのCMキャラクターを務めている、冗談で言うところの「ライバル」だから、友達になれないのは仕方ないかもしれない。

U(U LIFE MAGAZINE):四回目の共演はいかがですか?

E(鄭伊健):初めての時は親しくなくて、コミュニケーションできなかった。二回目は彼女がとてもぼんやりしてた。三回目には一緒に苦難を乗り越えて、とても楽しかった。四回目は、また彼女か!

K(林嘉欣):初めての時は『恋の風景』でした。

E:彼女は僕にかまってくれなかった、本当に散々だったよ。

K:ええ、その時は伊健が嫌いだったから。

E:僕は商業俳優だからね。

K:そうじゃないの、『恋の風景』の時は私は阿森(伊健の役名)に夢中でないといけなかったのに、伊健は現場に来ては冗談ばかり言ってたから不真面目だと思って、だから嫌いだったの。時々監督と俳優が一緒に食事をするときには、私はいつも自分の殻に閉じこもって、彼への幻想をキープするようにしたかったの。

E:その時は直感的に僕も気づいてた。でも『雙雄』の時には役はもう違うのに、彼女は銃撃戦の撮影のときもぼんやりしてたんだよ、はは。『後備甜心』では新しい監督に出会い、僕たちはみんなで一緒に問題を解決して…結局は困難を共にしたんだよね。二年ぶりに会ったけど、彼女が大人になっててとてもうれしかった。以前はものの見方がとても一途だったんだよね。

K:そう、私とても頑固なの。

E:わかってるよ、彼女はインテリだからね。

K:(伊健を叩いて)ちょっとー!

E:ほんとだよ、僕にはわかってるんだ。彼女は最初からすでにハイレベルなところにいて、視点もおのずと違うんだ。この数年彼女はいろんな人やものに接する機会が多くて、例えば大陸ロケのルールとか、「どうしてこうなの」からだんだん慣れて受け入れていくようになった。たとえ受け入れられなくても、少なくとも経験にはなるでしょう。

K:私はこの二年で心がオープンになったわ。いろんなやり方を受け入れられるようになったの。

U:個人的にはいつも連絡を取っているんですか?

E:実は、僕たちの性格は両極端で、プライベートで接することはほとんどないんだ。共通の友人を通して無事を知るだけで、でも一本また一本とと共演していたら、相手のことを理解するようになった。僕は以前はクランクアップで相手役とハグして終わることはなかったんだけど、彼女の外国式の流儀に染まったよ。僕たち中国人はとても保守的で、手を振って「じゃあね、バイバイ」で終わりだからね。

K:そうなの?私に言ったことないじゃない。伊健はとても可笑しいのよ、以前車を運転する時には、彼女以外に助手席には絶対座らせなかったの。

E:ずっと前のことだよ、もう直したよ。

K:何も改めなくても。とても特別なことよ。

E:その時は社長にさえそうしてたんだ。彼女はまだそのことを覚えてるよ。

U:嘉欣は伊健の「今を生きる」という生活態度に影響されることはありましたか?

K:『親密』の撮影はわずか16日間だったけれども、毎日とてもすばらしくて、伊健のことをどんどん好きになったわよ。

E:僕だって悩みがないわけじゃないよ、嘘みたいだけど40歳の男だからね。芸能界にいる身だけれども、こういう悩みはオフィスの背景とセットになっているものかもしれない。『親密』に出演して、一番うれしかったのは、自分に中身が何もないわけじゃないって証明できたことなんだ。


芸能人の恋愛トークはタブーではない


岸西脚本・監督による『親密』はサスペンスの手法を用いた恋愛映画で、時間の経過は逆転し、直截的な言葉で愛を語ることもなく、主人公たちの恋愛はいつ始まったのか、いつ変わったのかさえもはっきりとした説明がなく、観衆は自分でこのオフィスに閉じ込められた恋愛の詳細を想像しないといけない。

U:ストーリー上にはトムとパールはいつ恋愛が始まったのか明確な描写がありませんが、お二人はそれぞれどう理解されてますか?

E:僕はきっとトムはパールに初めから好感をもってたと思うんだ。上司として、一日にこんなに多くの人の面接をして、どうして彼女だけを雇ったの?きっと好感をもってて、かなり気になってたからだ。

K:男の人って…。

E:この男性はただ生活に彩りがほしかっただけなんだよ。生活はこんなにも過酷で、仕事が終われば女房の顔、出勤すれば駱應鈞の顔で、どちらも退屈だったんだな。最初はただ目の保養をしたかっただけかもしれないが、予期せぬ火災事故が起きて、その時から彼女は自分の心の中に入ってきたんだ。心変わりとか、不倫とかって多くの場合は出張の時に発生するものと思ってない?それではいい感じはしないし、どうにも落ち着かないよね。

K:私は、もし火事で屋上に上がることがなければ、パールは心を動かされることはなかったと思うの。トムと彼女はずっと仕事の上司と部下の関係で、そんなこと考えている暇はなかったわ。トムは仕事上では強い立場にいたのに、突然自分の心配事を話しだした。その弱みを見て、かえって心が惹かれ、彼を親しく感じるようになったのよ。屋上は私たち二人だけの、他の同僚たちとは分けあえない秘密の思い出に変わった、つまり一線を越えたということよ。

U:女性は他の人と秘密の思い出を共有したり、一線を越えるということに対して比較的敏感のようですが。

E:男性だって敏感なんだよ。ただ、このような鍵がいつ差し込まれて心が開くのかは永遠にわからないだけ。自分の経験からいえば、ある人が現れて、最初は将来どうなるかなんてわからないけど、10年経ってようやくその人が今ここにいる人なんだってわかる。世界はこんなにも広い、この人がなぜまた現れたか、そして自分と合うのかどうか?予想するのはとても難しいよ。

U:香港映画では、オフィスにおける上司と部下の恋愛についてシリアスに語られることは少ないですね。

K:オフィスラブは実際の生活にとても近いし、ついにこういうストーリーが公に語られるようになって、本当によかったわ!

E:僕はオフィスワークの経験がないけど、芸能人にはもともと「同じ会社の所属だから恋愛禁止」なんて規則はないから、僕はこういう恋愛には反対しない。好きなら付き合うべきでしょ?自由だよ。

K:そうね、私たちは自由の身だわ。

E:僕は、こういうのはかえって香港の文化だと思うんだよね。香港は土地が狭く、僕らが受けるストレスはこのことに尽きる。日本にもオフィスがあるとしても、香港みたいにこんなにゴチャゴチャしていないと思うんだ。

生活は必要 生存は止められぬ


現実は思い通りにならないものだとしたら、逃げ出したいと思うのも無理はないかもしれない。若いころはパリに住んでいたが、金のやりくりに困窮した作家のヘミングウェイは、息切れしつつもなおも遊びをやめられず「出歩けるうちは遊んだほうがいい」と語っている。
『親密』の撮影に入る前、嘉欣もパリへ遊学して演劇を学んだが、毎日登下校のたびに美術館へ行き、週末にはヨーロッパ各地へ気晴らしに出かけ、出発前すでに4か月分の為替を現地に送ったほどで、夢探しの決心のほどがうかがえる。

U:さっき嘉欣とパリ遊学の話をしていたんですよね。

E:僕も勉強したいと思ってたことがある、でも遊学じゃなくて、料理の勉強をしたいと思ったんだ。以前、小春と撮影していたときに、「蘭州ラーメン」の作りかたを覚えたかったんだけど、時間がかかるので断念したんだ。

K:あはは、私、食べたことないわ。あなたは決心すればいいだけ、やりたかったらやればいいのよ。

E:自分で学びたいなって思っただけじゃなくて、香港の飲食業はだんだんひどくなってきてるからでもあるんだ。食べ物を扱うのに心のこもった人がいない。だから自分で店舗を借りて、料理を愛する人材をとどめたい。どの町にもそういう場所ができたら楽しいだろうと思うよ。

K:私が勉強したいと思った事はほんの些細で、とても個人的なこと。自分の興味のあることを勉強したら楽しいだろうなって、たとえば芸術史とかね。

E:僕は木工を学びたいんだ。香港のこういうコンクリートジャングルにいると珍しいことかもしれないけど、カナダにいったら普通のことだからね。僕は台湾の女の子はすごいと思う。嘉欣や、舒淇のようにみんな料理ができるよね。香港の男は、僕のように、納戸を開けたこともなくて、ほぞの位置とは何か、なんてことも知らないからね。

U:伊健は嘉欣が遊学から戻ってきて、どこが変わったと思いますか?

K:(アニメ声で横から口をはさんで)可愛くなったョ!!

U:伊健は香港の生活についていろいろ意見があるようですね。

E:何て言ったらいいかな?香港人は餓死はしないけれども、彼らのは「生活」じゃなくて「生存」だよね。

K:私はとてもラッキーだと思う。カナダで生まれて、子供のころは芝生を踏み、木登りして遊んだわ。育った環境はとても自由で、香港にきてから数年してようやく、友達の中には小さい頃は一つのベッドで何人もの子供と一緒に寝かされていて、プライバシーもなかったということを知ったの。

E:言えば言うほど辛いね。

K:良いことも悪いこともある。外国では目上の人という概念がないの。両親が歳とったら老人ホームへ行けばいいと言い、それを恥じる気持ちがないわ。台湾から香港へ来て、確かに経験は豊富になった。私も生活のペースを重視してる。仕事は心をこめて、生活には力を入れて、ペースは守らないと。

E:うん、僕も自分のペースは守ってる。いまの段階はとても楽しいし、何でも少しあれば事足りるんだ。家族がいて、時間があって、居場所があればそれでいい。

K:この前台湾に帰ったら、朝から母と姉と妹のひっきりなしの笑い声で目が覚めたの。以前の私だったらイライラしただろうけど、その日は可笑しくて、嬉しかったし安心もしたわ。

<完>


Ulife2

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2009.04.05

僕は僕(後編)

■HIMインタビュー■

I am What I am Ekin Cheng
笑傲江湖 鄭伊健

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いまを生きる、過程を楽しむ

以前はアイドルとして、マンガのキャラクターを演じ、軽いコメディを提供してきた。最近伊健は演技派への道を進み、細やかな情感をもった役柄を演じている。去年『第一誡』が彼に思いがけないタイトルを与え、第十二回富川国際ファンタスティック映画祭の最優秀主演男優となった。まさに伊健の言うところの、昨日のがんばりが今日の賞につながった、というところだろう。
「僕は自分から出演のチャンスを争うことは少ないんだ。以前テレビの俳優をしていたときには、多くの人から、プロデューサーの前にいつも現れれば、出演の機会もつかめるから、と言われていた。でも、もし自分に実力があったら、自然と人の目に留まると思っていたんだ。ただ、目の前のことに集中するだけ、その瞬間を楽しむこと、今を生きることができれば、もう稼ぐ過程に入っている。僕は一つのことがうまくできたら、自然と次の一つが生まれると信じてる。」

もちろん、千里を走る名馬は当然名伯楽に出会うはずだ。伊健も例外ではない。でも、もう長いこと芸能界にいるので、自然とこのルールはわかってきた。「僕はもちろん誰かが自分の潜在能力を発掘してくれることを望んでいる。でも、俳優は受け身だ。僕がデビューしたばかりのころはアイドルで、演じたものはみんなマンガのキャラクターばかりだった。マンガブームが去ると、今度はイメチェンのチャンスが来た。その年は陳慶嘉に出会い、彼は僕がコメディに合っていると思ったので、コメディに出演し始めた。この数年は、実はイメージチェンジをするつもりはなかったのだけど、ただ、僕が経験を積んだことによって、見る人にはたぶん違う印象を与えられるなら、わりと内面の演技を求められる役柄をやってみることもできそうだと思ったんだ。『第一誡』や『親密』に出られて嬉しい。自分にもこういう役ができると人から思われて、自分がやれることを証明する良いチャンスだったからね。以前こういう映画に出たことがなかったのは、僕がやりたくないと思っていたわけじゃなくて、こういう役をやらせる勇気のある人がいなかっただけなんだ。」

伊健は、計画はないと言い、また、他の人に自分が大志のない人だととられても構わないのだとも言った。
「僕には抱負がないわけじゃない。でも、じっくりやらないと。今の全てを楽しみ、それからまた次の一歩を踏み出す。僕は一足飛びに天に駆け上がろうとは思わない。それに、すべての人がみんな順調にいくわけじゃないしね。昔の仕事仲間のことを思うと、もしも誰からも助けてもらえなかったら、僕は自分のタレントとしての仕事を確立することはできなかったし、今の僕はなかったと思う。世の中のことは自分の意志で決めるものと思いがちだけど、一人でやろうと思ったってできるものじゃない。恋愛も同じ、一緒にいるときは、できるだけ彼女に尽くさないと。本当に一緒にいられなくなったとき後悔するからね。」

パート1が終わり、パート2が続く

今年、伊健の勢いは悪くはない。『風雲2』はみんなが期待しているし、『親密』はカンヌ映画祭へ招待された。伊健はさらに、今年は歌いたいと話す。でも、演じることと歌うこと、二つに一つを選べと言われたら、伊健はやはり演技の方が自分には向いていると思っている。
「潜在能力ということで言えば、僕はどちらかというと演じる方に向いていると思う。僕のヒット曲は、大部分が映画の主題歌。以前のコンサートでは、『古惑仔』の主題歌までで、その後の『風雲』『極速伝説』『中華英雄』などのような映画の主題歌は、まだ全部はステージ上で披露していない。パート1が終わり、パート2はまだやっていない、だからこのことはぜひ完成したいんだ。」
伊健はかつて20数枚のCDをリリースし、映画の主題歌以外に最も印象的なのはラブソングだ。けれども、自分の心情を歌った歌はごくわずかしかない。
「歌というのはある種の心情を表すと思う。歌を聞いて心動かされるのは、そこに一つのメッセージがあるからなんだ。今や観衆に受け入れられるテーマは広がった。もし次にCDを出すときには、作詞家とコミュニケーションをとって、少しテーマ性を持たせた歌を作りたいと思う。」

観察には目を頼り、コミュニケーションには口を頼る

イメージの中では、伊健はゲームおたくで、以前聞いていたところでは、撮影の空き時間にはゲームをして空き時間をつぶすのが好きだったという。
「昔はアクション映画を撮っていたから、長い時間待つのでつまらないからゲームをしていた。今はもうゲームをすることは少なくなった。大人になったからね。特にこの数年は、監督になりたいと言っていたこともあって、別のゲームが好きになった;身の回りの人が何をしているかに注意するようになった。例えば、空き時間を使って、李屛賓(『親密』のカメラマン)、この台湾出身のカメラマンが何をしているかを、あるいは他の俳優がどうやって演技するか、他の人を見てどうやって自分を高めているのか、ちょっとでも吸収して、できるだけ関わろうとする。突然こんな風に変わったのは自発的になんだけど、実は以前から観察するのは好きだったんだ。僕はとても好奇心が強い。僕の演技の先生は、俳優をやるには好奇心旺盛になって、周囲を観察して、吸収しないといけないと言っていた。」

伊健のブログは、かつてネット上では最も人気のある芸能人ブログだった。でも彼のブログはもう長いこと更新されていない。理由は、「正直に言って、やってみてあまりブログを書くのが好きじゃないってわかったから。多くの人がブログを書いて楽しんでいるのは知ってる。その目的は共感が得られるから。でも、芸能人としては、もう常にプライバシーが暴かれているわけだから、普段から私生活をネットに晒して人に見てもらうのはもちろん嫌なんだ。」
ゲーム好きな伊健にしては不思議なことに、パソコンを使っての人とのコミュニケーションは好きじゃないのだ。
「人と人とのコミュニケーションは、顔を合わせてするのが一番いいよ。時々僕もMSNを使うこともある、書くことは一種の表現方法だけれども、結局は直接話すことにはかなわない。今はネットが安易に使われすぎて、距離が近くなっているように感じているかもしれないけど、実際は壁がいっぱいだ。オフィスのように、昔はメッセンジャーがなくて口で言わないといけないから、人と人との交流もできる。今の人はコンピューターの中でコミュニケーションを取ろうとするから、電話一本かけるのすら面倒と思う。考えてみてよ、本物の人間の声を聞いたら、何の感情も湧かない文字を見るよりずっといいと思うよ!」

友情の歳月、親友との暗黙の了解

まさに『親密』の中の5人の登場人物のように、毎日一緒に仕事をしていても、人間関係は近いようでいて実は疎遠なのかもしれない。芸能人としては友人との付き合いにはことさら気を使うものだ。伊健は率直に、友人にはいろいろな人がいて、しかも異なる階層の人がいると話す。
「友人はそれほど多い方ではないけれども、タイプの違う人がいる。何人かの友人には、もし必要とあれば僕は無条件で手助けする;元々連絡を取り合う必要はない、お互いにニュースに気をつけていればいいことだ。結局、良いことであれ悪いことであれ、すぐに集まるんだから。(林)嘉欣は僕の友達だけど、そんなに親しかったわけじゃない。2002年から2009年現在までに4本の映画を撮ったことで、あっという間に暗黙の了解ができた。お互いに相手の性格を知り尽くしていて、そんなに人づきあいが良いほうじゃないから、現場で相手の変化に気づくんだ。仕事上や、あるいは恋愛のことであってもコミュニケーションがとれるんだ。こういう友達は得難いと思うし、ひとつの楽しみでもある。芸能界ではこういう友達にめぐり会えることはわりと少ないんだ。

売れっ子だった僕は、多くの人に会ってきた。下心があったり、偽の友情もたくさんあった。僕は自分の心に素直になるだけ。俳優をやっていてまず第一に思うのは、相手役を愛すること。男だろうと女だろうと、相手を受け入れること。それでこそうまく演じられる。二人がうまくいってないと、一目見ただけで兄弟役らしく見えなくなる。現場に来てすぐに壁を作って、台本読みの時だけ集まって、カットの声がかかるとすぐに自分の殻に閉じこもってしまう、これではだめだよ。現場では、僕がムードメーカーとして有名なんて言われるけど、実際はそうじゃなくて、ただ純粋に楽しくするためなんだ。現場では新人であろうとスタッフだろうと、とても緊張するもので、僕が来て雰囲気を作って和んでくれたら、楽しい中にお互いを知ることができて、集まったときにも倍の力が出せる。僕は昔からこういう態度なんだ。」

伊健は人に誤解されてもあまり気にしない。笑われようと、罵られようと人まかせ、世間のしがらみは笑い飛ばす。
「実は、監督が俳優の性格を一番よく知っている。古惑仔の頃から十数年、もし僕の仕事の態度や表現に問題があるなら、監督がまた仕事をくれることはないだろうと思う。今のチャンスは、以前からの積み重ねなんだ。」


後記:目の覚める教訓

金融ショックは伊健にとっては悪いことであり、良いことでもある。
「僕は人間だけど、賢者ではない。金融ショックで誰もが自分の財産が多少は消えてしまったと思っているように、僕もマンションのローンを払い、銀行が僕のお金を差し押さえに来る、こういう状況に直面しなければならない。良いこと、といったのは、みんながこのことで痛みを知り、目を覚ますと思ったからだ。学校に通っていた頃を思い出すと、僕は母の手伝いをしてお金をたくさん稼いでいた。当時、人々は仕事をしないで多くのお金を浪費していた。暇さえあれば車や腕時計を買っていた。あの年代にはたくさんの億万長者がいて、ベンツに乗り、金のロレックスをはめても、お金は全部借金で、何も怖くなかった。お金は簡単に稼げたからだ。首になってもすぐに次の仕事があった。僕はその当時が一番怖いと思っていた。苦労して稼いできたお金だけは、だからこそ大事に気をつけて扱わないといけないのに。投資で金は簡単に稼げるからといって、好き放題車を買ったりマンションを売ったりしていると、一度の金融ショックが襲ってきただけでみんなも僕も驚いて、自分のしたことを反省し始める。目を覚まさせて、価値観を再建させてくれること、それが金融ショックの唯一良いところだ。」
こういうことは、不況を理由にしてリストラする社長の言い分のようだが、伊健は彼らのことを短絡的だと思っている。
「もし、損をしているお金が戻ってくるなら、でも今はお金が稼げても首にする。以前ならまだ、鶏の頭で遺留を決めるとか、給料なしでも残留とかできたけど、だから僕は香港人がどんどん感覚を失っていると言うんだ。こういう社長は短絡的すぎるよ。社長をやると、人から褒められることは少ないけど、マクガンケイ(香港の麺の有名店)のように、働いているウェイターたちは若いのから年寄りまで、みんなが店主を良い人だって褒める。毎年休暇もくれるし、年二回のボーナスも出る。こういう社長は先を見る目があると思う。
もし、僕がお店を一軒買うお金があれば、こういう店にしたい。ウェイターたちを養って、上から下まで心を一つに働く店なんだ。それでこそ成功したと言えるんじゃないかな」


<完>

**************

ブログの更新をしないことについては、先日のファンミでも話していましたが、「自分のところは更新しないから、今後はファンクラブのブログにメッセージ書いてね」とも言ってました。そのファンクラブブログに、6月に発売予定のCDや、今後開かれるであろうコンサートについて、希望があったら書いてほしいそうです。
そうかー、私は01年の日本ライブ以降のステージしか見ていないので、「風雲」や「極速」を舞台で聞いたことがないという認識はなかったです。つーか、日本に来るとこの二曲ばっかじゃん(汗)
伊健のメッセージソングというと「我的歌」、あと新しいところでは「心照」ですね。
ここ数年の経験は演技に活かすだけでなく、歌にもぜひ生かしてほしいな。


ところで伊健、まくがんけいに行ってワンタン麵食べるだけじゃなくて世間話もしてるんですねぇ。。
確かにあそこのおっちゃんらであれば想像に難くないが。。

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2009.03.31

僕は僕(前編)

■HIMインタビュー■

I am What I am Ekin Cheng
笑傲江湖 鄭伊健


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時に、遊びはある種の原動力となり、浮世のしがらみを笑いとばせるのがLiving Big(大いなる生活)の本質でもある。今を生き、目の前にある一つ一つの事にベストを尽くし、過程を楽しむ。五年先の計画を一つ一つ決めていくことと、迫りくる現実に直面して口ばかりで何もしないことを比べてみても、結局、私たちは瞬時に物事が千変万化する時代に生きていて、ほとんどのことは天のなりゆきにまかせるしかない。 目の前にいる鄭伊健は、今を生きることにおいては正に敬虔な信徒だ・・・。

あなたにとって「大いなる生活」って何?

「うーん、僕の今の生活みたいなことかな。仕事があって、友達がいて、恋愛して、プライベートの時間が充実してる。もしずっとこういう生活が維持できたらとてもいい。バランスのとれた生活をするのは容易なことじゃないんだ。」

■鄭伊健(プロフィール)■

伊健は当初CMモデルと子供番組の司会者として、のちに有名な歌手兼映画俳優として成長。デビューから今まで、多くのブランドのCMキャラクターとチャリティ大使となり、20枚のオリジナルCDを発売している。また運動神経の良さを生かして多くのマンガのキャラクターやアクション映画、「風雲」シリーズ、「Feel100%」シリーズ、「古惑仔」シリーズを含む役柄を演じてきた。また、その他に注目作として「暗戦2」「千機變」「戀之風景」「三岔口」などに出演している。最近では「第一誡」で第12回韓国富川国際ファンタスティック映画祭の最優秀主演男優賞を受賞している。新作「親密」では大きな子供のイメージを一新し、信頼できる管理職のイメージを構築、好評を博している。


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いつも鄭伊健が現れる場所は、総じて雰囲気がリラックスしたものに変わる。あるいは、伊健がもともと天性のコミュニケーターで、彼の積極的な態度がその場にいる一人一人に伝染するのかもしれない。
目の前にいる伊健は、陳浩南のようなワルの雰囲気はほとんどなく、華英雄のような暗く沈んだ雰囲気もない。自信にあふれた眼光はかつての「Feel100%」の中のJerryのようではあるが、もちろん、あのマンガの中の若者からはずいぶん大人になった。成熟、それが伊健の新作「親密」の中での演技に説得力を与えている。

新作の中では、伊健が演じているトムは、典型的な香港の中産階級で、家や車のローンを払い家族を養い、仕事に縛られてちょっと息苦しさを感じていて、ゴルフという趣味でさえ仕事上の接待や付き合いのためにやることで、その一歩一歩が生き残りのための綱渡りとなっている人だ。このような役柄は、苦悩や心配とは無縁な伊健とは少しも関係ないように思えるのだが。

「僕だって悩みがないわけじゃない。ただ遊ぶのがちょっと好きなだけ。」伊健はトムという役にも共鳴するところがあるのだと冗談を言った。「実際トムはとても可哀想だよ。彼は家族の生活がもっと良くなるように望んでいる、無駄な仕事の時間が彼の人生を占領し、いわゆる将来を建設する過程の中で、進む方向を見失っているのが明らかだ。多くの香港人とトムは同じ、生活のためでなく生存のために、車や家のローンという負担を背負ってる。でも、自分が背負いきれるか、いつまで持つかどうか考えたことがあるだろうか?」

結婚は決められた行動ではない

大部分の人にとって、結婚して家のローンを払うのは人生の避けられない段階と言えるが、伊健には別の見方があるようだ。「多くのことは、必ずしもやらなければいけないことではない。伝統的にいえば、僕たちは成長して大人になると結婚しなければいけない、それから次の世代を生み育てなければいけない。この時代に生きていて、昔の人が決めた制度の多くが、もう時代に合っていないと感じたことはないだろうか?結婚は僕らの父母にとっては、一世一代のこと、共白髪まで、なんていうよね。僕たちの世代にとっては、子供を育てた後は別々にくらそう、我慢は終わり、それぞれやりたいように生きよう。さらにその次の世代では、結婚も離婚も普通のこと、結婚は一時のショー、一時のゲーム。僕が結婚を選択しないのは、必要がないから。二人が一緒にいて、おたがいできることをやれればそれでいい。」
伊健は結婚はしないと言うが、子供を持つ計画もないと言っている。
「僕らの年代では、次の世代にこういう問題に直面させるかどうか考えるのが自然なこと。僕の今の考えは、計画はないけど、危機意識はある。この世界は混乱しすぎている。友達の子供たちを見ていると、たとえ両親が厳しくしつけても、子供たちが一歩外に出てこの世界と接触し始めたら、両親でさえもうコントロールできないようだ。人として、両親というは自分の子供だけは悪い子にはならない、将来はきっと礼儀正しく責任感のある子になるはず、と思うもの。でも、現実には多くの例が語っているように、良い子たちも外国に留学させると、悪い習慣に染まって、すぐに金食い虫になり、毎月家族が送ってくる生活費だけを頼りにするようになり、両親を怒らせるだけでどうしようもない。こんな例を僕はたくさん見てきた。人として、両親を悲しませるなんて本当に心配なことだよ。」


恋愛は利己的なもの、真の愛を求めるのは難しい。

伊健の恋愛は、どれだけプライバシーが叫ばれていたとしても、毎回白日のもとにさらされる。周慧敏と倪震のカップルのようにドラマチックで二転三転するものでないとしても、常にマスコミの注目の的だった。「奪麵雙琪」「伊嘉の恋」と前の恋愛が次の恋に続く導火線として派手に書き立てられた。ニュースが本当か嘘かはともかく、恋愛に直面した時、自分が自分勝手でないと言う人なんていないと思うのだが…。

「恋愛なんて絶対利己的に決まってる。好き、嫌いも利己的だよ。人は群れて生きる生き物。でも個人という考え方もある。多くの人は、付き合っていればそれはつまり愛だって言うけど、実際のところ愛って何だろう?付き合い始めたころは『好き』、それからしばらく一緒にいたとしても、本当はまだ『愛』にまでは達していない。『愛』は長い歳月を経て、最後の最後でようやく『愛』って呼べるものになるんだと思う。その時が来たら、もうそれは愛情ではなくて、単なる情だという人もいる。僕はそうは思わない。愛情はほしがればすぐ手に入るようなものじゃない。長い時間を経てこそ証明できるもの。しかも軽々しく手にすることはできない、時間が育むもの、それこそ愛情だと思う」
「人は動物だから、セックスもするだろう。でもある日性生活の必要がなくなり、彼女と一緒にいる時間を独占しなくなり、純粋に心の交流だけになったとき、残るものはつまり愛だと思う。だから、ある年代になったときに本当に愛を見つけることができるんだ。ラブラブな時は絶対相手を独占したいものだし、自分は相手を愛していても、相手に愛してもらえないのであれば、もちろんありえない。」

恋愛というのは、もともと自分だけがわかっていることだ。それでもなお、芸能人の毎度の恋愛のいきさつについては週刊誌の表紙になってしまうものだ。それは芸能人なら避けられないことという人もいるが、伊健は今に至ってもやはり納得できないという。
「僕はずっと慣れることはできないと思う。何も知らない人にプライバシーを侵害されて攻撃を受けるなんて、慣れるわけがないよ。強盗に遭ったら通報するだろう?でもパパラッチが僕の家の前に車で乗りつけて嫌がらせをしても、誰も僕を助けることはできないんだ。騒いで僕の家の中の写真を撮るなんて、実際のところ盗みに入られるのと変わりない。でも捕まえても意味がない。また、彼らが刑務所に入ることもない。こういう脅威は形のないもので、僕には安心感がないんだ。
こう思う人もいる。『君は芸能人だから折り込み済みだろう?』僕はそう思わない。何をもって折り込み済みだなんて言うんだろう?こういう侵略的な取材の仕方は、一般の人が勝手に写真を撮られてインターネットに晒されたり、雑誌に載ったりするところまで発展してきている。科学技術の発達を恨むしかないね。みんなが使い方を誤るからこんなことになるんだ。」


香港人は痛みを失った

「時代の流れが速すぎて、科学技術は発達し、生活は豊かになり、人はだんだん痛みを忘れてきている。」
伊健は、近年香港では社会の変化が速すぎて、香港人もまた人情を解さなくなってきていると思っている。
「80年代、90年代では、香港人はまだ助け合いの精神を守っていた。僕らの年代では、年上の人を敬い、席を譲り、車を運転している時には止まってお年寄りには道を譲ることを知っている。でも、2000年を過ぎた後から、香港人は変わってきた。車の運転ではマナーがない、死にかけている人を見ても、医療関係者でありながら助けもしない、どんな基準で免許を出しているのかは知らないが、人情があるなら、見殺しにすることなんかできないはずだ。つまりみんなが感覚をなくしているから、どんな事情であれ、痛みを感じないということ。」伊健はまた、人々が変わってしまったら、その態度を元に戻すのはとても難しい、だから自分は周りの人から見ても、もっと良い行いをしないといけないと思っている、と話した。


情けは人のためならず

近年、伊健は積極的に環境保護活動やチャリティ活動に参加している。既にWWFの海洋大使や、また隣舎大使でもある彼は、芸能人の社会的責任も見つめている。
「最近芸能人のマイナスなニュースが多い。僕と林珊珊は同じ理念を持っている。たくさんの仕事をするというのは、単にお金を稼ぐとか自分の宣伝をすることだけではない。もしある慈善団体が僕たちを利用することで彼らの助けになるならばやろう、彼らを手伝うことができれば僕たちも嬉しい。」
社会の各階層の人々と接触することで、伊健は、自分でもたくさんの発見があったと言う。
「林珊珊はいつも違った仕事を探してきてくれる。なんでもやるけど、こういう仕事をとおして、他の人が僕のことをもっとわかってくれると、自分でもやりがいがあるんだ」彼はまた、時間のあるときには車を運転して旺角へ行き、大衆の視察」をするのだという。「芸能人をしていると人ごみに行くのが不便なこともある。でも大衆の生活状況を理解しなければいけない。この世界でいま何が起こっているか見ないといけない。芸能人の世界観は実際のところかなり狭い、特に俳優をやるなら、普段からこういう機会をとらえてたくさん観察をする必要がある。」


<続く>

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2009.02.20

『親密』星島日報インタビュー


2009年2月20日 星島日報


嘉欣と伊健、車内で「親密」止まらず

林嘉欣と鄭伊健は銀幕上のカップルだ。先日岸西の初監督作となる映画『親密』を撮影したが、二人はもう4回共演していて暗黙の了解があり、お互いを知りつくしたというほどだ、けれども劇中では彼らも役作りの試練を迎えていた。

林嘉欣と鄭伊健は今回岸西の初監督作品『親密』で再び共演した。数年ぶりに4度めの共演となったが、暗黙の了解は薄れるどころかますます深まり、友情も日々深まって、お互いを「おデブの欣」と「鄭おじさん」と呼び合うほどである。

嘉欣は笑って、「彼はとてもおしゃれで、しかも歳をとるのが嫌な男性なのよ。親しくなった人はみんなそういう風に彼のことを言うの。率直な人はみんなに好かれるものね」伊健はそれを聞いて、「嘉欣は知り合ってから今に至るまで、すっかり痩せて綺麗になった、自信満々なのは変わらないけどね」二人の演技の変化については、嘉欣も伊健も『親密』の撮影期間は短かったけれども、二人のシーンの時には、お互いの演技がとても成熟したと感じられた、たぶんお互いに人生経験を積んだからだろうと話した。

岸西との仕事については、嘉欣は彼女が大変素晴らしい監督だと褒め、フィルムの無駄を厭わず、俳優に任せて力を発揮させると言う。嘉欣は、「最初に仕事を受けた時には、私は一回脚本を読んだだけだったのだけど、撮影の時もう一度読んでみたら感じ方も理解も違っていたわ。たったの16日間の撮影で、ほとんどが車の中での場面だったけれども、淡々とした場面はあまり骨が折れるものではなくて、撮影の過程がとても心地よくて、特に俳優が役に入りきっている時には監督は止めるようなことはせずに演技力を発揮するにまかせてくれた。こういうことはめったにないことだし、とても楽しかったわ。」

伊健はどう思ったのだろうか。「監督はとても大胆だよ。車中での演技はとても撮るのが難しい、一日のうちにいくつものシーンを飛ばして撮影して、またはっきり違いをださないといけなかった。こんなに混乱した状況は初めてだった。そこで僕が一番難しいと思った場面は、嘉欣と車に乗っているシーンで、僕は運転にも気を配り、セリフとカメラの位置も考え、さらに淡々とした場面を演じなければいけなかった。かなり難しかったね。」

『親密』の劇中では、嘉欣と伊健が上司と部下の微妙な関係になるくだりがある。現実の恋愛のことは、伊健は笑って個人的なことはあまり言いたがらないが、彼にとって恋愛はしっかり守って控え目にするもので、さらに自分は将来のある身だから、とにかく映画と歌の仕事を頑張るのだそうだ。

嘉欣は、自分は今のところ相手はいないが、恋愛もまた自分の生活の一部分であり、自分は仕事と私生活に区別をつけられる、芸能人だって自分の正常な生活の場を持ちたいと思うものだから、と話している。

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2009.02.07

映画の幻想

Entertainment Walker vol.30


鄭伊健 幻想空間

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人はそれぞれ幻想を抱いているもの、鄭伊健にとっては幻想は重要なだけでなくて、 原点でもある。 彼は映画に出演し始めた頃、いつも虚構の人物の役を演じていた。『ストリートファイター』のケン、『Feel100%』のジェリー、『古惑仔』の陳浩南、『風雲』の 聶風…。 自分でもこう言っている。「僕の映画の世界の半分は自分の幻想の世界からきたものなんだ」 まもなく2月に上映される『親密』で管理職を演じる彼は、もう幻想の世界から抜け出してきた、というわけではないけれども、どの場面にある沈黙も、見ているものに幻想空間を感じさせる。

「空白」によってつくられる空間


察しのいい読者にはお分かりかと思うが『親密』の英語題"Claustrophobia"、「閉所恐怖症」には以下のような意味が込められている;まさに劇中の俳優の暗示している「密着を強いられた結果」、簡単に愛が芽生えるということで、たとえばオフィスや、自家用車や、エレベーターやタクシーといった、密室と言える狭い空間でおもな場面が構成されている。

映画が始まるとすぐに物語の結末から始まり、全部で8つの場面があり、どの場面にも空白の時間がある。はじめの二つのシーンでは、男女の主人公二人について何も説明がなく、仕事以外の関係については、映画の中盤になってようやく観衆に対してトムとパールがどのようにして意気投合してきたか、を徐々に説明し始める。二人の恋は最初から終わりまで淡々と進行し、ほんのちょっとでも燃え上がるという感覚はなく、まるで何もないようにも思えるが、「何もないと言えば言うほど何かあるみたいだ!」とメランコリックな感覚を味あわせるものだ。

「人生は本来こんなふうに淡々としたものさ!この映画自体はまったく商業的ではないし、僕は見る人に考える余地を与えたいと思う。ストーリーは簡単で、結末は実はすぐにわかってしまうけど、(トムは劇中では家庭があり)すぐばれる関係なのにどうして始めたんだろう?でも、その恋愛の過程はとてもいい雰囲気で、たぶんわかると思うけど、退屈なオフィスの中で一点の色を添えることを望み、それが始まった頃はとても楽しいと思うだろう、でも処理を誤ったとき、この映画の最初のシーンのようになるんだ。(リストラを迫られたトムが、パールに友人の会社を紹介するが、それはまた彼女との関係から身を引くことを暗示し、そのことで言い争いになる)」

「僕は監督と、『最終的にトムはパールを引き留めるのかどうか』という議論をしたこともあるんだ。僕個人の感覚ではそうするだろうと思う。彼はパールに別の会社を紹介するけれども、今と似たような部門の仕事で、二人の関係を引き延ばそうとするようなものだから。」


『親密』がブレイクをもたらす


すでに『親密』は「香港亜州電影節2008」のクロージング上映作品となっている。いちはやく映画祭の時期にこの映画を楽しむことができた人からは、賞をとる可能性は高いと評されている。
この映画は岸西が初めて監督と脚本を手がけたもので、香港電影評論学会の「最優秀脚本賞」を獲得しており、第59回ベルリン国際映画祭のコンペ部門にも出品し、鄭伊健と林嘉欣はそれぞれ東京国際映画祭と台湾金馬奨の最優秀主演俳優賞にノミネートされていた。二人とも賞は逃したものの、伊健は感慨ひとしおだと言う。

「映画に出始めのころは、ほとんどがマンガのキャラクターで、その後はコメディ映画、今回は初めてアートフィルムに出させてもらって、だから岸西が僕に出演依頼してくれて本当に嬉しかったんだ。彼女は『要求が高い』人だけれども、僕に与えられた役は実力を発揮する余地があった。このトムという役は内に複雑なものを秘めた男で、家庭に対する責任や、プレッシャーで押しつぶされて、いろんなことを考えている。心の内を話せる相手を求めていたところ、結果としてパール(林嘉欣)と出会う。だから、これは新しい試みであり挑戦でもあるんだ!」

伊健は無意識のうちに女性監督との仕事を嫌がっていたところがあった。テレビドラマを撮っていたころの彼は、「話の通じない」女性監督にも出会ったことがある。でも、彼は今回岸西と仕事をしてみて楽しかっただけでなく、聡明な彼女のことを褒めてもいる。

「香港にはいくつも高層ビルが立ち並び、ビルの中にはいくつもの部屋が密集していて、どのフロアにもたくさんの会社が入っていて、会社の中には多くの男女関係がある。親密、という意味はつまり、朝から晩まで会社がひしめきあっているから、多くの場合は恋愛感情はコントロールできないものになるということで、監督は観衆を容易にストーリーに引き込んでいるんだ」


映画にはまだ創造性がある


伊健はデビュー以来ずっと「大きな子供」の印象を与えている。今回はイメージを変え、初めてオフィスにおける「良き上司」を演じた。内に秘めるものがあり、善良なトムという男を活き活きと演じたことは、見る人に驚きを与えるだろう。
「僕は、自分のこの年代ではどんな役を演じたらいいかわかってはいるが、変わりたいとは思っていない。でも、人生経験が豊富になるに従って、今回のように成熟した一面を見せることができた。はは、本当は僕は十分大人なんだよ!ずっと周りに見せなかっただけでね!」

確かに、人は経歴が増えるに従って大人になる。伊健の演技もさらに成熟した。先日、映画『第一誡』で韓国富川映画祭において主演男優賞を獲ったのもうなずける。香港の映画産業の話になると、彼はこう話した。

「外国の『キングコング』とか『スター・ウォーズ』を見てごらん。どれも古いストーリーなのに、何度もリメイクを重ねてもあれだけ売れるんだよ。特撮が優れている以外に、最も重要なのは、脚本に豊かな幻想力があるかなんだ。一体全体、なぜいまこういう脚本が書けないのか、それとも昔のほうが良かったのか?だから、僕は映画を撮るときは、現実から離れたほうがいいと思っている。現実生活にありえないことなら撮らない、なんて言うべきじゃない。現実ではできないことだから撮るべきなんじゃない?だから、幻想というのはそれぞれの人にとってとても大事なこと、僕にとってはもっと大事。僕の映画の世界の半分は、僕の考える虚構の世界から来ていて、僕の仕事の大きな一歩を踏み出させたものだからね!」

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春節インタビュー特集第一弾(笑)
私の手元に今三冊分の雑誌があります。
とりあえず一番薄くて訳しやすそうなのから選んでみました。
この写真もいいです。久しぶりにブログのタイトルバックにパクらせてもらおうかしら。
(そしてさっそくパクったw)

伊健はやはり、「映画はファンタジー」の体現者なのでこういう意見が出るのでしょう。
ただ、長いこと低迷した日本の映画が最近になって復活してきたのは、現実に即した、見る者の共感を得る映画が増えてきたことが大きいと思うし、それは低迷する香港映画にもまた言えることなんじゃないかと思います。
経済的な問題で、作風も出演者も大陸寄りにならざるを得ないのは仕方ないことかもしれませんが、本当に見てほしい人って誰なんでしょう?権力に媚を売ったからといって、大衆の支持を得られるかは甚だ疑問です。
小品でもいいから、見る者に「香港」を感じさせる映画、町の風景だったり、人情だったり…という香港の独自性を感じさせる映画がもっと増えてくることで、復活の道もひらけるんじゃないでしょうか。『親密』も実はまた、そういう映画の一本だと思います。


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2009.01.23

Baccaratインタビュー(英文版)

Baccarat 12月号(英文版)

魅力的生活

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イーキン・チェンという人は、99%映画の中で見るのと同じ人だ。―背が高く、体格が良く、ハンサムで少年のような顔に、さらさらの髪。彼は現場に一早く到着していたので、期せずしてチャイワンの工業ビルのエレベーターホールで顔を合わせることになった。そのビルは、写真家のハーリム(イーキンの友人の一人)の撮影スタジオでもある。イーキンは雲から出た山のように頭ひとつ高いのと、広い肩幅をしていたのですぐにわかった。彼はおしゃべりで、フレンドリーで、魅力的な好青年だ。41歳になった彼はこう語る。今の生活と、恵まれた肉体を幸せに思うと。成功も美しい恋人(ヨーヨー・モン(蒙嘉慧)は彼の恋人となる女優としては三人目にあたる)も手に入れた彼が言うのも無理はない。

イーキンは、アンドリュー・ラウ(劉偉強)の監督した黒社会映画"Young & Dangerous(古惑仔)"シリーズで一躍スターダムにのし上がるが、それ以前の若い頃にCMと、テレビタレントからそのキャリアをスタートさせている。そのルックスは市場からも歓迎され、カントンポップ・スターの一人としても地位を確立している。残念ながらレコード
産業の停滞により、しばらくは彼の歌声を聴くことはできないが(彼が最後にリリースしたアルバムは2004年の「Discover」)。彼自身は来年コンサートを開きたいと思っている。最近は俳優として仕事をしながら準備運動をしているところだ。


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大スクリーンの世界に入って15年、彼はついにかわいらしい少年のレッテルをはがすことに成功した。(彼の2本目の出演作品は1993年、皮肉にもタイトルは"Boys are Easy(風塵三女侠:ロレッタ・リーのピーピング・キャッツ)"だった。)昨年最初の仕事では、テレビドラマの役作りのために頭を丸刈りにして、それから、シンガポールの映画監督ケルビン・トンのホラー映画"Rule No.1(第一誡)"で厭世的でアンチヒーロータイプの警察官を演じるために体重を増やした。
イーキンはイメージを変えるということが容易でないことを認識しているが、彼はこの挑戦と得られた経験に満足している。"Rule No.1"は(トン監督によるとこれはゴースト映画ではないとのことだが)、今まで作られたことのない最高のホラー映画というわけではないだろうが、イーキンとショーン・ユー(余文樂)の強烈な演技によって、今年の韓国富川国際ファンタジー映画祭の主演男優賞を獲得した。
「香港の監督は俳優のために、簡単なシーンの撮影から始め、次に違うシーンの撮影に入る傾向がある。でもトン監督は違った―彼はきわどいシーンをまず撮りにいくんだ。」通訳を介してイーキンは言う(彼は広東語で話すのが一番表現しやすいため)。「彼はまた、俳優たちに役作りのための情報をインプットさせる―映画の撮影が始まる前に、役作りをしてどう演じるか決めてしまわないといけない、だから僕らは頭がおかしくなりそうだった。そのようなやりかたは、僕やショーン・ユーのようなハンサムなだけの男を演じてきた俳優にとって180度の方向転換だった。でも僕にとっては、全エネルギーを注いで今までとは違う、色彩豊かな役を作りあげることができたのだから、幸せなことだ。」

彼の次回作、「親密」は2009年上旬に公開予定だが、新しいイーキンの発見という「重要な証明書」になることは間違いない。脚本家アイヴィー・ホー(岸西)の監督デビュー作で、イーキンとカリーナ・ラム(林嘉欣・四度目の共演となる)は市井の人々のオフィス・ラブを演じる。「ここでは役のニュアンスや個性を考える余地を与えられた、キャラクターの研究の場でもあった」そう言うイーキンは嬉しそうで、思いがけない成功、とも言った。この映画は、物語が過去に遡る形で進行する。プレミア上映となった、10月の東京国際映画祭でも高い評価を得ている。「コメディ映画でもアクション映画でも、こんなチャンスは得られなかっただろう、けれども『親密』では監督はカメラを長まわしさせ、僕ら俳優にさらに表情による演技を要求した。そのことは、僕たちが演技に入る前に予めもっと多くのことを考えておかなければいけないということを意味していた。」


『第一誡』の後、イーキンはまた苦しまなければならなかった。その後、映画『風雲2』の撮影のため再びタイへ飛んだ。1998年作成のパート1は美しい特殊効果によって知られ、イーキンと共演のスター、アーロン・クォック(郭富城)(アーロンといえば『風雲』で裸で滝に打たれる姿がすぐに思い浮かぶが)とともに地元の観客の支持を受けた。
『風雲2』はパン兄弟(1作目ではアンドリュー・ラウが制作指揮を執った)によって、来年もっとも期待されるカンフー映画として約束されている。10年を経て、マンガ本の空想世界から風と雲の更に立体的な人物像に迫る。実際のところ、風は魔物に迫られてダークサイドに堕ちてしまう。
これは、もっと深くキャラクターを発展させるチャンスだった。(比較的人物描写の薄い『風雲』からすると)二人の主役は魅力的だ。また、続編がパート1よりも成功したらさらにパート3を制作するとの話もある。

彼とアーロンは親しいのかと聞くと、イーキンはこう答えた。「実際はそうでもない。僕たちは第一作でキャスティングされただけでラッキーなことにこんなにも成功している。お互いを俳優として尊敬しているし、再び共演できたことは楽しい経験になった。お互いに多くを経験してきたから―10年以上にわたって、仕事や私生活での浮き沈みを―、だから今ではより強い絆で結ばれていると思っている。」

イーキンは、ラウ監督とパン兄弟の監督スタイルには非常に大きな違いがあると言い、ラウ監督は俳優にはもっと自由に演技をさせると言う。「パン兄弟は、二人の頭の中だけでシーンやテーマについて練り上げ、他の人には知らせないし、他の人から何か言われて変えることはしない」とイーキンは言う。10年の時間の経過による驚くべき技術革新によって、人気コミックの設定を柔軟に縮小させた形で実現されるだろう。

「ラウ監督もパン兄弟もどちらも良い監督、他の香港の監督と違って、ランチやディナータイムのために仕事を中断して、十分な休憩をくれ、スタッフのケアをしてくれる。」とイーキンは笑いながら続ける。どちらの監督が良いですか?「それはトップシークレットさ!」彼は英語で即答した。

イーキンは、最近の俳優としての自分の進歩を生活体験からきているものと思っている。「実際、俳優というのは受け身なんだ」彼は言う。「普通は監督が俳優に尋ねたりしない、俳優は言われたことに従ってやるだけ。香港では、俳優は自分から出て行ったりやりたい役を探しまわったりはしない。俳優の最近の仕事や表現を見て、監督がその役に合うかを決める。」

50本以上ある出演映画で、意外なことに彼はジングル・マー(馬楚成)監督の"Hot War(幻影特攻/ヴァーチャル・シャドー)"―一般的に批評家からは酷評されている―をお気に入りに選んだ。「『マトリックス』以前に最新テクノロジーを扱った映画として、本当に革新的な映画なんだ。こういう映画を撮る予算のない香港映画としては冒険なことなんだ。」彼は付け加える。「ぼくにとっては、映画製作そのものが夢を実現させることになったからね。」(読者のお気に入りになるのは、目の保養となる、マー監督の作品の中でもおそらくもっと軽い映画―颯爽としたトニー・レオン(梁朝偉)やケリー・チャン(陳慧琳)と共演した"Tokyo Raiders(東京攻略)"だろうか)

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身振り手振りで話すイーキンは、最もまじめで印象的な話し手である。カジュアルな黒のカーゴパンツをはいて、ハイカットの黒いカンバス地のスニーカーをはき、ユニセフのチャリティマラソンのTシャツを着て、記者会見の場からそのままここまで来た。彼自身は走らないが、週二回、彼女のヨーヨー・モン(蒙嘉慧)やTVBの俳優仲間とカオルーンにあるスポーツクラブでバドミントンをして体型の維持をしている(彼はどこでプレイしているのか教えてくれたのだが、パパラッチにまだその場所が見つかっていないという理由でここに書くことはできない)。彼は時計にも興味がある―写真撮影のために、ゼニスの時計を着用してくれている―が、コレクターではない。ひとつだけアクセサリーをつけている―ダイヤモンドがはまったネックレスをつけている―が、これは5年前に自分自身へのごほうびとして買ったもので、以来肌身離さずつけている。

ヨーヨーのことといえば、すでに40歳を超えた彼が落ち着く準備に入ったのか聞かないわけにはいかない。彼の俳優仲間でも何人か、アレックス・フォン(方中信)やジュリアン・チョン(張智霖)らは、最近子供が生まれたところだ。アレックス・フォンは彼のご近所さんでもあり、娘のカーチンはイーキンも「本当に可愛い」と認めるところだ。彼はまだ結婚や子育てのことでヨーヨーと話をしたことがないと言う。「今を楽しんでる」と彼は一言で言う。さらに、「人生の次のステージに無理に進むことはしないんだ。物事は自然にまかせる。それに、今はすべてが不安定で、次の世代を安心して送り出せる世界でもない。ニューヨークにいる僕の従兄が、最近中国から養子をもらったところなんだ。いつか、僕も彼のようにするかもしれない―世の中には親もなく、世話をしてもらえない子供がたくさんいるから。」

年齢は、こののんきな歌手兼俳優には何の影響も与えていないようだ。去年40歳を迎えたとき、彼は突然「特別な感覚」を味わうことになる。常に何かが起こりうる、という感覚だ。「でも自分でもどういうわけか、それが良いことなのか悪いことなのかすらわからなかった。」それでもまだ、彼の身には人生の重大な瞬間は訪れてはいない。
彼の天性の鷹揚さによって、何が起きてもどこ吹く風とばかりに乗り越えていくだろうことは疑いないが。


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情報量が多いのは圧倒的に英文版でしたが、英語の基礎がないので訳すのがつらい・・・。
語学力=単語力、を久々実感。

ここでは『親密』についてもいろいろ話しています。
今出ている雑誌のインタビューはほとんどこの映画の内容についてのようです。後日紹介しますのでお楽しみに。

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2009.01.11

Baccaratインタビュー(中国語版)

Bacarrat12月号(中文版)
男人四十 鄭伊健

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鄭伊健という人は、映画の中でも実際でもそっくり同じ人のようだ。背が高く、がっしりしていて、かっこいいが少年のような顔に、さらさらの髪。いち早く到着した彼と、私たちは撮影スタジオのある柴灣工業ビルのエレベーターホールで期せずして顔を合わせたが、背が高く体格のいい彼はすぐ目にとまった。事実、好青年として有名な彼はやはり話好きで、人懐っこく魅力にあふれている。41歳の彼の生活は非常に充実している、彼のような、業績や美人のガールフレンドのある人がそう言うのももっともなことだ。

広告モデル出身の伊健は、TVBにおいてその芸能人生を歩みだした。1996年に劉偉強の監督による『古惑仔』シリーズに出演して一躍人気者になり、歌唱力については平凡ながら、売れっ子のアイドルであるから、CDの売上も絶対保証付きだった。レコード業界が不振の現在、歌で再ブレイクできないことは彼にとって遺憾なことだ。最後に出したCDは2004年に発売した「Discover」であり、伊健は来年コンサートを開けるようにしたいと思ってはいるが、目下のところは俳優としての立場で仕事に全力を注いでいるところだ。

スクリーンの世界に入って15年、伊健はようやく「イケメン」の役から解脱することができた。去年は彼自身の分水嶺となる一年で、まず最初にテレビドラマの為に頭を剃り、長年こだわってきたトレードマークの長髪を惜しげもなく切ってしまった。その後映画『第一誡』で厭世的なろくでなしの警官を演じるために体重を増やした。伊健もタイプを変えるということが容易ではないことをわかっている。だが、『第一誡』での挑戦と経験は彼に充実感をもたらし、犠牲に対する報いはすぐに返ってきた。この映画で初めての映画賞を獲得したのだ。彼は2008年の韓国・富川国際映画祭で最優秀主演男優賞を獲得し、その演技がついに認められた。

伊健は笑う。「普段は映画の中で僕は『イケメン』の役を演じているのだけど、今回はイケメンの主役は余文樂一人にまかせて、僕はデブの男を演じた。以前僕がしまいこんできたことが今回ついに発揮できたんだ!」 殻を破ることのできた伊健は言う、「僕は、自分が全精力を傾けて、全く違う、色彩のはっきりしたキャラクターを作り出したことがとてもうれしい。」

彼の最近の演技での突破や躍進は、生活上の経験の蓄積によって大人になったことによるもので、「花瓶俳優」の名から脱しようと決心し演技をがんばったこととは関係がない。「香港の俳優はとても受け身で、監督の言うことに従い、自分が切望する役を求めない。すべては監督がその俳優の作品や表現を見てその人が映画に合うかどうかを決めるんだ」

意外なことに、彼自身の50本もの出演映画の中で、一番好きな作品は、映画評論家には一文の価値もないと酷評された作品、1998年に上映された『幻影特攻(ヴァーチャル・シャドー)』だ。なぜだろう?「その当時としては破格の作品のひとつで、『マトリックス』もその時はまだ世に出ていなかったのに、『幻影特攻』は既にCGに似た概念で画像を処理していた、香港にはもともとこういう映画を撮る予算がなくて、『幻影特攻』を撮ったことは実は大冒険だった。効果としてはあまり成功したとはいえなかったけれども、出来上がってみて、僕にとっては、映画を撮ることが夢をかなえることになったんだ」コンピューターおたくの名に恥じず、出演映画のテイストですら科学技術と関係がある、一般の観客にしてみると、マンガの主人公に似ている彼の代表作はきっと『古惑仔』シリーズか『風雲』ということになるだろう。

この近年まれに見る熱血漢は、チャリティ活動の常連でもある。WWF主催の海洋保護活動のために立ち上がり、またユニセフ基金活動に助力している。
黒のカーゴパンツと、キャンバス地のスニーカーをはいた彼は、いままさにユニセフ基金のイベントの後直接ここに来ていて、まだチャリティマラソン大会の宣伝用のTシャツを着ていた。実際に彼自身もジョギングをして体型維持に励んでいるだけでなく、週2回は蒙嘉慧と九龍の体育館でバドミントンをしている。二人の付き合うきっかけはバドミントンだったが、まさか今に至るまでパパラッチに見つかることもなくこの習慣を続けてこられたとは思わなかった。

蒙嘉慧のことといえば、既に不惑の歳に届いた彼が、愛情面で落ち着く準備をしたのか聞かずにはいられない。彼と同期の方中信や張智霖が最近もう父親になってしまったこと―特に方中信は隣人でもあり、伊健も彼の赤ちゃんはとても可愛いと褒めているが、蒙嘉慧とはまだ結婚や子育てについての話をしたことはないと言う。「僕たちは今の生活をとても楽しんでいるし、自分の人生の方向や新しい段階を無理にすすめることはしない、すべての事は自然にまかせるよ」

その他にも、「今の国際情勢はとても不安定で、新しい命が誕生するのに理想的な世界とは言い難い」とはいうものの、これは彼に家庭をもつ計画がないということではない。伊健のニューヨークで暮らしている従兄が最近中国大陸から養子をもらったばかりで、たぶんこういう方法もあると思っている。「いつか、僕も彼を見習うかもしれない。世界中には両親もなく、可愛がってくれる人のいない子どもたちが本当に多いから。」

年齢について楽観的な伊健には、まだなにも心配するようなことは起こらないが、去年ちょうど40代に入った時、突然「特別な感覚」にみまわれた。いつも何か事件が起きているようで、「僕にもなぜかわからないけど、それが良いことなのか、悪いことなのかすら区別がつかないんだ」まだ、彼にとって命にかかわるような大事件は起きていないけれども、でも彼ののんびりした性格からいえば、どんな重大事件が彼の身の上に振りかかろうと、淡々と何事もなかったかのようにやり過ごすだろうと思う。

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Baccaratには英語版と中国語版があって、こちらは中国語版の訳です。
英語版では出だしは同じなのですが少々内容が違ってもう少し長く、映画のことをメインに書いていますので、こちらも後日アップしようと思います。

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「ヴァーチャル・シャドー」が出たところで、たまたま見つけた変なサイトをご紹介。
「たぶん幻影特攻」

もう、何言ってんだかさっぱりな爆笑機械訳。
しかも、原文が下に載ってるけどたぶん原文も相当まちがってます。
「ウルトラ速い体が訓練可能」って・・・なんのこっちゃか。

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2008.12.14

写真の心得―同じ対象は三度撮れ

MetroBox issue34(2008年11月6日発行)

伊健×Canon IXUS 980 IS

Metrobox_1


以前からアウトドア活動を愛し、写真好きの伊健。もちろんカメラの品質にも要求は多い。今回われわれは特別に伊健を招いてCanon IXUS 980 ISの新機能・モーションディテクション機能とDISIC4デジタル画像処理について説明してもらった。キャノンの技術がいかにして最も美しい瞬間を簡単に切り取るのか、もう一歩進んで理解しよう。

B:編集部 E:鄭伊健

B:伊健さんは最近どんな仕事をしてましたか?

E:ちょうど忍者映画が一本完成して、今はちょっと休暇中で、これから日本の映画祭に参加します。

B:休暇の間には何か活動してました?

E:もちろん!最近も山歩きとか、サイクリングとか、バドミントンしてたよ!

B:以前から写真を撮るのが好きですよね、普段アウトドアで活動しているときもカメラを持って行ったりします?

E:カメラはいつでも持ち歩いてます。でもそういうときの撮影で動いている人をとらえるのは焦点が変わるので難しい。

B:そうですよね、ピント合わせは普通固定してやるものですからね!じゃあ、カメラに新しいオートフォーカスの機能が付いたらすごく便利ですよね?

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E:そうなんだ!実は前の世代のキヤノンIXUSのフェイスディテクション機能ではもう既に人の顔を捉えることができていたんだけど、前回日本へ旅行に行って、サイクリングしながら桜の花を撮影したとき、それでも写真はシャープに写っていた。新しいシリーズでもモーションディテクション機能が装備されていて、自動で動きを追ってピントを合わせることができるので、動いているものを撮るときも、主題を正確にとらえることができる。焦点を合わせきれなくて写真がぼけてしまうような状況も改善されて、画質もきっと良くなってるはずだよ。


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B:一般にデジタルカメラは夜間の撮影には向かないといいますが、フラッシュを焚くと明らかに不自然ですし、何か自然に撮れる方法ってありますか?

E:以前ほかのブランドのデジカメも使ったことがあるけど、フラッシュを焚かないと露光が不足するという問題点があった。感度を高くすると光を自然に取り入れられるけれども、今度はノイズが入るという問題が出る。それに対して、IXUS 980ISを使って暗い所で撮影すると、DISIC4デジタル画像処理によってノイズを抑えることができ、高感度でも画像をシャープに保て、友達との室内でのパーティや、夜景の撮影にきっともっと便利に使えるよ。

B:これまで、IXUS 980ISの効果をどのように撮影や創作活動に生かしてきましたか?

E:コンパクトカメラも便利だけど、でもIXUS 980ISの抜きんでたところはマニュアル機能が加わったところで、しかも操作が簡単。風景でも人物でも撮れるので、創作活動の幅を広げることができる。同じ景色をテーマにしても、シャッター速度や光が違えば写真に違う感覚や効果が出せるよね。


B:いろいろ撮影技術についてお話してきましたが、読者の皆さんにあなたの写真撮影の心得についてお話していただけますか?

E:普通は人物を撮影するとき、自分の背の高さを基準にして角度を決めて撮影するものだけど、それだと写真が平面的になってしまう。僕からみんなに試してほしいこととして提案したいのは、今度から一つの景色やテーマで写真を撮るときには、三つの違う角度から撮影してみるということ。そうすれば、写真が自然とより立体的に見えるようになってくるんだ。視野ももっと広くなって、新しい発想も湧いてくるよ!

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お断りしておきますが、わたくしキヤノンの回し者ではありません。(笑)で、これは1か月前の雑誌インタビュー。写真もなかなかでしたので上げてみました。
映画祭後のインタビュー記事がないので、その後あの握手会についてのコメントとかまだないです。ちょっと感想を聞いてみたいですが、今年はそろそろ雑誌記事もおしまいでしょうか。

個人的に注目したいのは、今年の桜の時期に来日してたのね…ふーん…(また我々に内緒で…w)ということと、「写真はいろんな角度から撮ってみよう」ということ。じつは私も最近それよくやってます、カメラがないので携帯ですが。お気に入りアングルは見上げる角度。木の葉とかイルミネーションを撮るときは必ず一枚はこの角度を使います。

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2008.12.11

美食の快楽

味道生活 2008年11月号


鄭伊健 飲食の快楽

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十年来、鄭伊健は三つの恋愛の始まりと終わり、仕事の上での成功と失敗を経験し、髪型は長髪から短髪、坊主に至るまでトライした。今年彼は「風雲Ⅱ」の撮影のためにまた髪を伸ばし、外見上は10年前に戻ったが、グルメの話になると相変わらず滔々と話題が絶えることはなく、唯一今まで自らの口で語ったことのなかった「僕の彼女」という文字も、なんと今回のインタビューでは自分から語ってくれた。


「バドミントン選手の中には上手な人がいくらでもいる、でも努力するのは嫌い、ただ楽しいから、純粋に興味があるからやるんだ」


CM出演をきっかけに芸能界入りした頃から、伊健はずっと陽気な少年であり、蒙嘉慧と「バドミントン愛」が発展する前も、彼がマリンスポーツが大好きで、船まで買って船着場のある場所に住んでいることはよく知られている。海に出るには便利な場所だけれども、彼はこの夏中ずっと海外で撮影をしていて、船も売ってしまった。
「僕の身近な友人たち、方中信や劉偉強は僕の家の向かいに住んでいて、彼らも船を買った。今年の夏は僕はほとんど香港にいなかったし、泳ぎたければプールに行けるし、海に出たければこういう友達が船を持っている。僕は沖縄に撮影で二週間滞在して、そこでマリンスポーツもやった。撮影はほとんどが夜遅くなってから始まるから、僕は昼間は遊んでた。だから今年の夏はとてもよく遊んだ、沖縄はとても楽しいところだったよ。」

スポーツの素質は幼い頃から見出されていた

伊健が今はまっているのはバドミントンということは知られているが、子供のころはサッカーが好きだった。でも、団地のサッカー場でサッカーをしているとケンカが起こるようになって、彼はサッカーが嫌いになった。その後、女の子たちがバレーボールをしているのを見てかっこいいと思い、自分でもやってみたくなったが、一緒にバレーボールをする友達を探すのが大変で、それもまた諦めた。今年北京オリンピックを見て、またバレーボールに対する興味がわいたという。
伊健はスポーツ好きだが、スポーツ番組を見るのは全然好きではなく、これまではどのオリンピックも見る気が起らなかったが、今年は北京オリンピックが開催されていて、ちょうどタイのロケから戻って香港で休暇を過ごしていたので、中国人としては注目はしていたが、まさかまた女子バレーを見るのが好きになるとは思わなかった。
「友達にはスポーツ好きならもっと試合を見るべきだと言われる。選手それぞれに必殺技があるから」
必殺技だけでなく、伊健は戦術もとても大事だと思う。たとえば林丹が金メダルを獲得した時、事実上世界ランキング1位の、決勝相手のマレーシアの李宗偉も、決勝戦の前までに多くのライバルとの苦戦の中から勝ち上がってきて体力をほとんど使い尽くしてしまっていて、決勝戦当日には李宗偉のプレーは林丹には全く及ばず惨敗してしまった。
伊健の運動の素質は、小学校の時にすでに見出されていて、体育の先生が体育学院への推薦状を持たせてくれたこともあり、家に帰って母親に見せると、母親は普段から成績が悪いのに、体育学院など行かせられないと言い、推薦状にバツを書いてしまった。もしそうでなかったら、たぶん彼は香港チームのエリート選手の一人であったかもしれない。今は、ワイヤーに吊られての撮影にその運動神経を発揮するだけであるが。
「ジャッキー・チェンのカンフーは5,6歳で練習を始めて、その分の犠牲を払っているから成功したんだと思う。だから、李麗珊(96年アトランタオリンピック・ヨット競技の金メダリスト。「香港のスポーツ選手はゴミじゃない」という名言を残した)は香港で最もすぐれたスポーツマンの一人だと思う。彼女は何にも頼ることなく、自分で努力して金メダルという栄光を勝ち取った。でも香港人は良いことはすぐに忘れ去ってしまう。その一年後に彼女が破れて戻ってきたら、誰も見向きもしない。本当は、僕たちは忘れるべきではないんだ。」

もし、その時母親が彼の体育学院入りを許していたなら、伊健は体操を習っていたらよかっただろうと思う。今年のオリンピックの体操競技を見て、体操選手は本当にすごいと思ったからだ。外見を気にする彼はこう言う。
「体型についていえば、半分くらい鍛えた体が一番美しいと思う。徹底的に鍛えてしまうとかえって変な体型になる、エリート選手は肉体を鍛えて体型も変わってしまう。バドミントンも頑張ると、ラケットを持つほうの手が変形してしまう。林丹は外国人のコーチについて筋肉を鍛えたから、スマッシュにも爆発力があるよね。」
「バドミントン愛」にはまってから、みんなは鄭伊健と蒙嘉慧の恋愛に興味深々だが、伊健のバドミントンの腕については論じられたことがない。彼はこう言う。
「いくらでも上手い人はいるよ、僕はまだまだ、おばさんにも負けるくらいだもの。実はそのおばさんはナショナルチームの選手で、子供の時からずっと練習してきて、僕は体力では勝てるけど、技術ではかなわない。バドミントンの選手にはうまい人はいくらでもいる。でも僕はがんばるのは好きじゃない、ただ楽しいから、純粋に興味があるからやるだけ」
子供のころ活発だった伊健少年は、「マーク・スピッツの弟のスピッチム」と呼ばれていたが、活発すぎるからだったのではないか?でも伊健は笑ってこう言った。「僕はそれほどでも、郭富城がまさにそうだよ、一緒に撮影をしていると、じっと座っていることがないんだよ。僕は好奇心旺盛で、自分で汗を流して何かやるからこそ面白いと思うんだ。」

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2008.12.07

等待入魔(3・完)

僕も李亞鵬と同じ

この世の中、よろずチャンスに乗ったり、浮き沈みを好む人というのはおり、芸能界ではなおさらのことだが、この20年来山あり谷ありの伊健はそれをどうやって軽々と乗り越えてきたのだろう。

「ゴシップの類はもちろん僕には影響しないよ。パパラッチは相手にしないんだ。結局、ぼくを相手にしてもしょうがないのに、彼らはどんどんひどくなって行動もエスカレートする。例えば僕が住んでいるブロックに入ってきて家を隠し撮りするので、見つけたらすぐに防犯ベルを押して、住民みんなにやつらがパパラッチであることを知らせると、今度は駆け付けたガードマンに向って「通報するな!」と難癖をつける。僕が一番頭にきているのは、こういうことを取り締まる法律がないことだ。警察もその場に駆けつけてもただ警告を発することしかできない。彼らを訴えることもできない。どうしてこうなんだろう?」

まさに、李亞鵬の事件にみるように、パパラッチは明らかに法の抜け穴を利用し、芸能人のモラルに挑戦した。
「僕は、法律上は彼(李亞鵬)が間違っているとはわかっているが、自分に娘がいると想像してみてくれ、パパラッチが乱暴にカメラを娘の前に突き出して、写真を撮るのを止めなかったなら、僕だって言うけど、そんなのありえないよ!僕だって手を出していただろう、とっくに限度を超えているよ!一人の父親として、李亞鵬はよくぞ言ってくれたよ!『娘に手を出したらただじゃすまない!』ってね」

伊健は気づいたことがある。最近人々の性格がかなり変わってしまったこと。どんな世界、職業、階層においても、昔はみんなそれぞれ礼儀というものがあったのに、今はみんなお構いなし。運転手は乱暴に運転し、勝手に車線を変え、無燈火で走る。多くのことがおかしな方向に変わってしまったし、もっとわからないのは、どうしてみんなそのことに無関心で、心配すらしないのかということだ。

無理せず低迷期を乗り越える

たとえば、先日の「好友移城」を注意して見てほしい。伊健と葛民輝が日本の自動車工場を見学したとき、似たようなことを話していた。面白いことに、TVBが毎回このような芸能人の心情を描くような番組を作るとき、彼は往々にしてプロデューサーの寵児であり、プロデューサーの多くは、伊健が低迷期や、恋愛のことや、遠回りしてきたことを話せば、視聴率は確保されたと思っているということだ。

彼のどん底の時を思い出すと、現在ではもう自然にふるまえているけれども、もともとはそうではなかった。

「だいたい2000年ごろに僕の転換期が始まった。それまでは、僕の生活はとても穏やかで、みんなはマンガを原作にした僕の出演映画を好んでくれた。僕のCDを買ってくれる人もいて、恋愛もうまくいって、生活にもゆとりがあった。ある日目覚めてみると、自分の回りの流行はすでに変わってしまい、身の回りのことすべてが違っていて、自分が正しいと思っていたことが実はすでに間違いだったなんて!芸能界も変わり、歌も契約の問題で続けられなくなり、映画ももはやマンガの原作は流行らなくなり、観客はコメディしか見なくなる。恋愛にも問題が起き、97年の香港返還後は景気が悪くなって僕も負債を抱えた一人だ。多くの苦難に直面して、一番辛い時期だったね!」

低迷期はまるで終りがないかのようだった。試練を乗り越えなければならなくなって、人生とは本来こういうものだと知った。その時陳木勝が彼にこんな物語を話してくれた。

「薔薇の花は、花盛りのときには周囲から拍手喝采を浴びていたが、時間がたつにつれて賞賛の声はどんどん少なくなり、隣に生えていた菊の花が開くにしたがって、拍手は次第に菊の花だけに集まるようになる。そこで薔薇の花は神様に、どうしてこんな目に逢わなければいけないのでしょうか、と尋ねた。神様はこう答えた。『実は、拍手が終わった後に、本当の人生が始まるのだよ』」

伊健は陳木勝もかつて人生や仕事のどん底に陥っていて、同じような経験をしているから、伊健にいろんな本を読むように勧め、その道理がだんだんわかって、もう一度自信を取り戻すように導いてくれたのだと思っている。

「世界はとても広い。僕たちはものを見るときに視野を狭くしてはいけない。たとえコンサートを開いて大勢の人が詰めかけようとも、実際にはある晩にある人がそこにいた、ということに過ぎず、その同時間に世界全体では様々なことが起きている。もしこの理屈さえわかっていれば、世界中で誰一人として大事でない人はいない、ということが理解できるだろう。」

風雲極速演唱会

以前、レコード会社が伊健のためにデビュー20周年コンサートを開くという噂があったが、それに関連して伊健は香港コロシアムのこけら落とし公演を狙っているとも伝えられていた。彼は、今の段階ではまだコンサートを開く心の準備ができていないと言い、CDについてはもうあきらめてはいるけれども、コンサートについては、まだかなえていない願いがあるのだという。

「CDを出すことと、コンサートは別のこと。CDは買ってくれる人がいればそれで満足。10年前にCDを出して、どれくらい売れるか見えているから、今はもう満足感がない。昔は歌う時にはとてもプレッシャーがかかった。しばらくするとたくさん批評されて、鄭伊健は進歩がない、もともと歌えるだけの実力がない、自分がそもそも何を歌っているのかわからない、と思えて、歌えば歌うほど悪くなっていった!落ち込んでみて、もともと歌うということはとても簡単なことで、ただ感情をこめるだけ、そうすれば聞いているみんなに共感してもらえるとわかって、そうしたらうまくいったんだ」

「コンサートについては、最近僕は他の歌手のコンサートを見ることが多いんだけど、自分は映画の主題歌を歌う歌手だった、ということに気づいた。初めてのコンサートのときはちょうど『古惑仔』の頃で、大部分の歌は自分が出演した映画やドラマの主題歌だった。その後の『風雲』『極速伝説』などの歌も、僕は人気があったと思っていたんだけど、でもその歌はもともとステージで歌うために作られた歌じゃなかった。自分の願いを叶えるためには、僕は第一部をすでに完成させたけれども、第二部を完成させるためにつづけていきたいんだ」

ここ2年くらい伊健の登場を目にすることが少なかったのは否めない。彼はずっと人も羨む生活をしてきた、仕事に追われず、自分の好きなテレビや映画の仕事を楽しみ、恋愛でもさらに輝いている。去年40歳を超えてから、彼にとってはようやく人生の輝けるステージへ入ることができたのだ。


剣撃少年

「僕はずっと仕事を楽しんでいる。歳をとってからはもっとね。他の人にはたぶん僕が演技しているときも歌っているときも楽しそうに見えるかもしれないが、僕はちっとも楽しくなかった、何が起きているかわからなかったから。かえって、今のほうが自分が今何をやっているかはっきりわかるようになった。生活の中で多くのことにふれて、自分のしたいことができて、ずっとこうしていられたら僕の人生は大成功したも同然じゃないかな!」

仕事以外では、伊健と蒙嘉慧のバドミントン愛がよく知られている。
「時間があればバドミントンをしていて、マリンスポーツはもうあまりしなくなった。船も買ったけど、もう過去のことかな。最近はお金をかけずに楽しみたいと思ってる。幸いにも経済的には前から悪くないし、多くの人々が一生懸命仕事してお金を稼ごうとしているのを見ると、たとえどれだけお金を稼いでも、朝食は相変わらず茶餐廳のタマゴ麺なのに、どうしてもっと生活を楽しまないの?って思う。僕たちはバドミントンをするとき、一人数十ドルのコート代で何時間もゲームに夢中になって、それで十分楽しめるよ」

彼を満足させるのはバドミントンの試合だが、彼が力を入れていることはチャリティで、彼はWWFの海洋大使や、隣舎輔導会の隣舎大使でもある。隣舎輔導会の定期公演にはパフォーマンスもあり、彼は毎回お年寄りが元気に中国舞踊を踊ったり、あるいは障害者の人々がWindowsXPの使い方を学んでいるのを見て、世の中って実際すごいよね!と話している。20年が過ぎて、絶頂期もどん底も経験したけれども、芸能界が変わったからといって、伊健は剣をふるいバスケに夢中だった、純粋で明るい少年であった頃と変わりはない。


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思ったより長くてしかも濃い文章だったのですが(なのでここまで延び延びになっていた)、この雑誌のインタビューでは、特に今回UPした部分に伊健の発言のキモがあります。かなりいいこと言ってます。伊健はかなりコンサバだしモラリスト。そして、不覚にもちょっとぐぐっとつまる部分が…あっ、もしかしたら伊健じゃなくて陳木勝監督の話かも(汗)、でも、この話はほかのインタビューでも度々出てきてますから、伊健にとってもとても大事な言葉だと思われます。

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2008.11.30

等待入魔(2)

高輝と「300(スリーハンドレッド)」

その当時、香港のCG技術はまだ黎明期にあり、周星馳や劉鎮偉も敢えてCGを使って『西遊記』を作ろうとはしなかったのに、劉偉強は勇敢にもこの難問に挑み、『風雲』を中国におけるCG作品の最高峰に押し上げ、特撮映画の潮流を作ることに成功した。10年後、CG技術の重責は彭兄弟のパートナー、高輝の手に委ねられていた。高輝も監督の一人であるから、彭兄弟が撮影を終えてその場にいなくても、フィルムの上に思いのまま他の特殊効果を加えることができる。これは撮影前にみんなでよく相談し、刀の振りひとつについてもどこへ向けて振り下ろすか、などを決め、みんなの意見を聞いて最良の決定がなされるためだ。
「高輝はすごいと思う。たとえば風が魔物にとりつかれ、僕の体が上から下まで煙に吸いこまれる場面があったのだけど、彼は市販の煙の効果を出すソフトでは飽き足らず、ドライアイスの効果でも追いつかないので、自分で作ったプログラムを探して持ってきたんだ!僕の知っている範囲でも、『風雲』の撮影が始まる前に、彼は既にわざわざプログラムを自作していたんだ!すごいよ!」
「今回は一場面たりともロケはなく、全てスタジオでの撮影で、僕たちはタイで大型の倉庫を借り、その中にジオラマを作って、更にCGを使って風景を作り出した。だから高輝の存在は非常に重要で、画面はきっと問題ないと確信している。特に、僕たちが取り入れた一秒1000カットの高速デジタル撮影、それは『300(スリーハンドレッド)』でも使われた技術で、例えば僕がジャンプした場合、それを通常の速さで上映すれば、たぶん1分は空中に浮いたままになって、とても面白い。だけど、それは使うべき場面に取り入れただけのこと。」
パート2は既に撮影を終え、今は更に長い長いポストプロダクション作業に全力投球している。パート1が原作に非常に忠実だったのに比べると、伊健は、年代が違うから、今回のパート2は細部が違うものになっている、と言う。もっと現実寄りで、さらに多くの場面が演出の力で表現されているそうだ。
「今回の内容は風雲の敗北といえる。風は囚われ、打ちのめされ、まさに監督が言うところの『徹頭徹尾の敗北』だ!敗北の後、風は魔の道へ堕ち、歩驚雲は無名から二つの奥義を学び、一緒に絶無心を殺す。その後風は狂ってしまい、歩驚雲を切りつけ、ついに二人は一気呵成に戦う、戦う、戦う!正確に言えば、場面はたったの6つだけなんだ。『300』みたいに、仲間に入れと誘い、拒絶され、そして戦う。ストーリーは非常に簡単だけど、でもとても明瞭。もし音を消して画面だけ見ていると、一幅の、動く油絵を見ているような感じだ。映画は現実世界に飛び出し、大きな戦いでラストを迎えて、観客は見終わってもまだわくわくするだろう。」

漫画影帝

聶風以外にも、伊健は『ストリートファイター』の阿Ken、『Feel100%』のJerry、陳浩南や華英雄などのマンガ原作の役柄を演じていて、これは監督が彼を選んだものではあるけれども、彼自身がマンガのキャラクターであることを選んだともいえる。数年前からコメディやシリアスなドラマなどへ転換していて、彼はそのことも俳優としての責任として、できるだけ違う役柄を試しただけと言っているが、内心はまだ『風雲』のような映画が一番好きだったのだ。
「本当のことを言えば、映画に出演するようになって以後も、漫画の世界から心が離れたことはないんだ。おかしなことに、漫画の作品を撮るとなったら特に張り切って、わくわくする!表情も特に生き生きするんだ。現代人は現実的すぎるよ、映画はほんとうは夢工場なんだよ。『キングコング』も元はマンガだけれど、でも『キングコング』が一番成功したところは、特撮だけでなくて、古いものから新たに創作してもうひとつ別の世界を作ったこと。チケットを買った観客に、現実から離れて、劇場の中ではワイワイ騒いで見ることができて、見終わって家に帰るまで現実を忘れさせ、ようやく『大変、まだ家賃を払ってなかった!』と思いださせるような、映画を見るってそうあるべきだと思うんだ。映画は漫画に向かって発展していくべき、また実写版古惑仔を撮るとか、あるいはその他の非常に現実的な題材を撮る、とかじゃなくてね。」
以前、『古惑仔』は子供に悪影響を与えるとずっと言われてきて、当時伊健ももう陳浩南をやりたくないと思っている、とも伝えられていた。もし映画会社がまた『古惑仔』を撮らないかと言ってきたらどうするの?
「劉偉強が撮るっていうならやるよ!はは!」

彼を初めて最優秀主演男優賞たらしめた、シンガポールの監督唐永健によるホラー映画『第一誡』ですら、伊健の目にはマンガの要素が濃厚に含まれていると映る。
「もし『第一誡』の1カット1カットをマンガのコマにしたら、きっと死ぬほど怖いと思うよ!監督の撮る画は本当に残虐なんだ。ある場面では女の子に幽霊がとりつくけれど、その後他の人もみんな頭がおかしくなってしまい、ついには彼女が自分のおさげ髪と、他の子のおさげ髪を縛ってみんなでビルの上から飛び降りるんだ!僕は現場で見ていて、内心こう思った『わぁ、そこまでやるのか!』でも、映画の撮影というのは現実離れしているものだ。みんなは監督が変態だと思うだろうけど、漫画の中で起きたことなら、読者はただ怖いと思うだけ、でも怖いほど刺激になるから、もっと見たくなる。」

残念なことに、不況のせいで配給会社も映画館の館主も冒険する勇気はない。幸いにも伊健と余文樂がダブル受賞した効果で、5つの映画館で上映されることになった。宣伝なしという劣勢の下では、興行成績が良くないのは予測済みではある。でも、映画自体に実力があり、ネット上のクチコミによって、興行成績は次第に挽回してきた。「実は、『第一誡』は損はしていないんだ。僕と余文樂にとっては、既に儲けを出したといえる。それは、もともと香港では映画館で上映する予定はなくて、DVDを出すだけだったから。でも脚本を読んで、すごく気に入ったんだ!香港の監督にはこういう発想はない、だから出ることにした。撮影が終わって海外のプレミア上映に行ったら、反応がすごく良くて、その後賞ももらって、香港でも上映されて、十分稼いだよ!香港のマーケットは面白いね、宣伝ゼロで、インタビューもなしでこんなにいい成績が出るなんて、めったにないことだよ!」

(つづく)

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2008.11.18

等待入魔(その1)

JET MAGAZINE Vol.74

鄭伊健「魔物に憑かれるのを待つ」

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「風雲2」は来年のクリスマスの上映が暫定的に決定している。厳格に言えば、一年フライングしたことになるわけだ。伊健でさえ、久し振りに友人の誰もがいま何の映画を撮影中か知っている、と言うほど、みんなが風雲の再来を心待ちにしている。
それも無理はない。ここ二、三年、彼はずっと中国大陸やタイに行ってドラマのロケをしているが、「霍元甲」は亞州電視でひっそりと放映されただけ、タイ版「ウルトラマン」は未だ放映すらかなわず、それから、あとはたった5つの映画館でしか上映されなかった「第一誡」。もし韓国で主演男優賞を獲得したことが知らされなければ、5つの映画館すら危うかっただろう。表面的にはこれだけマスコミに派手に宣伝されているが、気力の消耗がどれだけ著しいかは想像に難くない。でも、彼はこの20年芸能界にいて無駄に過ごしたわけではない。噂話をやり過ごす方法を学び、向上心を忘れず、熱烈な歓迎の中、雪飲刀を高々とかかげ、彼の最愛の存在である聶風とともに魔物に憑かれる瞬間を待ち望んでいる。


風雲三部曲

10年の時を隔てて風雲が再会する。
伊健は語る。「去年『第一誡』を撮り終えてから、ユニバースの林小明社長の電話を受けて会う約束をした。彼は、僕が風雲に出演することを伝えたが、僕は当時の状態では無理だと思っていた。『第一誡』では太らないといけなかったし、髪も短く切ってしまっていた。林小明は僕にできるだけ早くダイエットし、髪も伸ばすようにと言ったので、年末からまた髪を伸ばし始めた。」
10年前の風雲での、彼の長髪をなびかせた聶風のイメージはいまだ記憶に残っているが、もともと漫画「風雲」の大ファンだった彼は映画版「風雲」に至る隠れたエピソードを披露してくれた。
「当時僕はまだTVBでドラマに出ていて、そのころすでに『風雲』に出たいと思っていたけど、みんなは僕のことをバカにしてこう言っていた。『有名な俳優がこれだけいるのに、誰がお前なんかに依頼するんだよ』でも、本当に真剣に『風雲』について検討していたプロデューサーもいたけれど、テレビ局では資源が足りなさすぎて上手くいかないだろうと思っていた。あるいは、僕らが出たかったことを知らなかったのかもしれない。その時は仕方なくあきらめるしかなかった。」
その2,3年後、思いがけず伊健は映画界に入ることができ、ついに願いは叶い、もっとも好きな役を演じることができた。
「僕は原作を読んで、歩驚雲のほうが強いと知っていた。だけど、なぜかはわからないけれど、僕は風の方が好きだった!たぶん、何ものにも縛られず、あちこち行ける自由を愛したからだろうね」

風雲2に出演できたことは、彼は奇跡中の奇跡だと言う。この10年来、彼と郭富城は共に多くの浮き沈みを経験してきた。今回は同じ目標に向かって、劇中では力を合わせ、映画を最高の高みへ押し上げようとしている。
「僕は本当に長いこと映画の撮影をしていなくて、撮影に入るまでの間に友達に会うと、みんなこう聞いてくるんだ。『ねえ、最近どう?『風雲』はもう撮り終わったの?』数年前はどの映画を撮っていようとも、最近君のことを見かけないねと言われ、今回はクランクインしてみたら、みんなが僕がタイで撮影していることを知っていて、帰ってきたことも知っている。本当に変だよ!もし、今回パン兄弟が撮影していなかったらひどい出来になっていただろうと思う。出来はきっと悪くないはずだよ、はは!僕はパート3も希望しているよ。」(つづく)


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2008.10.14

霊異コンビ伊&樂

2008年9月4日 Milk372号 

鄭伊健・余文樂 「霊異コンビ」


警察官はコンビで行動するものだ。少なくとも安全上の理由からだが、今回は鄭伊健と余文樂は映画「第一誡」の中で警官のコンビを演じ、韓国富川国際ファンタスティック映画祭で最優秀主演男優賞をダブル受賞し、「おそらく香港映画史上初となるダブル主演賞」の伝説を打ち立てた。数えてみると、東南アジアには大小合わせ少なくとも数十の映画祭があり、一つや二つの賞を獲ることなどどうってことはないわけで、二人はまだまだ慢心などできないのだが、でも、一つとはいえ認められたのであるから、筆者は心から言おうと思う。
「伊健、樂仔、おめでとう!」

淡々と受賞

はっきり言って、香港でさえもノミネートされたことのない伊健だから、海外での受賞などまして思いもよらなかった。

「思い出してみて、過去一番うれしかったのは、台湾金馬獎でノミネートされたときで、その時はもっと興奮したね。今回はほかの仕事中で、忙しくて映画祭に行くことすらできなかったから、ニュースを知っても一笑に伏しただけさ。僕にとって、映画を撮って一番大事なことは、賞をもらうことじゃなくて、その作品が観衆に楽しんでもらえること、映画界に入って以来望んでいることは、興行成績が良いこと。興行成績はすなわち、多くの人が映画を見たことを表すのだし、そうでなければ意義はない。」

かつて30歳までに賞をとりたいと発言した樂仔に至っては、今回の突然の受賞については自分でも不思議な感じだという。

「電話に出て最初の答えは『よく調べた?』とても信じられなかったんだよ。嬉しかったけど、一晩眠ったら特に何も感じなくなった。劉青雲がインタビューで『賞をもらった年は1年間特に仕事がなかった』と言っていたのを思い出してちょっと心配になったんだ!仕事は多い方がいいからね」

コンビ

二人とも受賞の感想を淡々と話したが、一本の映画で同時に受賞というのはそうあるものではない。審査員も甲乙つけがたく、一つの賞を二人に与えたということは、この二人の散らした火花がいかに印象深かったかということを表している。役柄の間にある相互作用について、伊健は「男たちの挽歌」を例に話した。

「ティ・ロンもいなくて、レスリー・チャンもいなかったら、チョウ・ユンファがあれだけ格好良かっただろうか?同じようにユンファもティ・ロンもいなかったら、レスリーの役柄に面白みはない。恋愛映画もそうだ。一組のカップルがカップルらしく見えなかったら、たとえどちらかの俳優がどんなにうまくとも、人を感動させることはできない。だから、良い映画を撮るにはすべての俳優の協力がとても大切なんだ。」

樂仔も相手がいてこそ助演の力が発揮できると思っている。

「ある独り舞台の物語があって、それがとても面白いとしたら、その主演は絶対的に素晴らしくないといけない。でも、自分はまだそのレベルまで到達してない。もし一年間、よくよく考える時間をもらえたら、あるいは到達できるかもしれないけどね。二人の俳優の関係を公式化できるかって?僕にもうまく言えないけど、役柄上の交流が生む化学作用は、確かに映画に緊張感を与える。一人の俳優がどれだけうまく演じても、いい映画ができるとは限らない。今回は、監督と、伊健と、僕の三人が起こした化学作用がとてもよかったんだと思う」

新米とベテラン

劇中、伊健はベテラン警官を演じ、樂仔は熱血新米刑事を演じている。しかし実際にはまるで反対で、樂仔は自分が何度警官役を演じたか忘れるほどであり、伊健はまだ二回目だ。

「僕は古惑仔(やくざ)だからね(笑)だから、起用してもらえて監督には本当に感謝しなくちゃね。昔の役はほとんどヒーローだけど、今回のこの警官の役はだらしなくて、ろくでなしで、ルールを守らない、以前やった『雙雄』みたいな正統派の警官に比べればもっと実力が発揮できるよ」

伊健はずっと明朗活発な印象があるけれども、今回はちょっと中年の危機感、憂鬱、不機嫌を漂わせている。どうやって役に入ったのだろうか?

「人間はいつかだれでも経験するものさ。僕の芸歴上の経験でも山があり谷があり、そうした経験が役に立っている。人って面白いもので、性格が運命に影響されるものなんだ。物語の役柄上ある荷物を背負うことになると、結果的に変わらざるをえなくなる。鄭伊健の性格ならばこういう選択はしないのに、ってことをやる。だから演じている時はとても辛くて、すごくストレスになる」

何度も警官役を演じてきた樂仔でも憂鬱になることはあるのだろうか?

「警察官という身分背景、職業、理由、口実があるだけさ。重要なことは物語がどう発展するか。この役がこれまでと最も違うところは、霊の存在を信じられない人が霊の存在を認め、心の中で葛藤するところだ。


ホラー映画デビュー

香港ではホラー映画が数多く制作されているけれども、おもしろいことにキャリアの長い伊健が今までホラー映画に出たことがなく、最近出演作の頓に多い樂仔ですら二度目の出演であるということだ(初の映画は恋愛映画之要素がある「塚愛」)。「第一誡」という題名は二人の所属する部署「雑務課」の第一番目の信条で、「この世に幽霊は存在しない!」であり、その部署の目的は、すべての怪奇現象を合理的に解決し、幽霊の存在を否定し、社会不安を減らすことにある。
二人は幽霊の存在を信じているか?伊健と樂仔は示し合わせたわけでもないのに信じていると言う。

樂仔はこう言う。「実は、幽霊は皿やコップなんかと同じように、物事の一形態で、ただ、簡単に見ることができないだけなんだと思う。空気中にはたくさんの細菌など、人の目には見えないものがまぎれこんでいるけれど、みえないからと言ってそれがないということにはならないでしょう?」

伊健も同感だ。「幽霊は僕にとっては名詞のひとつといえる。他の人には、たぶん霊というのはとても怖いものと思えるかもしれないけど、別の言い方にすれば、或る種の脳波や、心霊学上の現象かもしれない。現代社会ではみんな科学を信用しすぎて自然の力を信じられなくなってしまった。でも、実はすべての生物には思想があり、その思想の延長上に霊魂の存在があるんだ」

伊健、幽霊とニアミス

ホラー映画を撮影していて、霊の存在を信じていて、では撮影の時は怖くなかったの?

樂仔は言う。「撮影の時は全然怖くなかったからこそ、かえって困ってしまったんだ!(笑)人に体格の差があるように、幽霊もおなじさ。共存するには、お互いのテリトリーを侵さず、それぞれの世界にいること。でも、世の中の幽霊についての形容がとても怖いものだからみんな怖がるんじゃない?もし、幽霊がとても可愛いものとして形容されていればみんなもそこまで怖がらないよ。僕は幽霊を見たことがなくて、本当はどんなだかわからない。もしかしたらよく話し合えばそうでもないかも、みんな先入観がありすぎだよ」

樂仔は幽霊を見たことがないけれども、撮影の時、伊健は一度幽霊がそばをかすめたことがあるという。
話によると、ある日スタッフの噂でも「出る」と評判の校舎の屋上から、飛び降り自殺の撮影をしていた時のことだ。手のあいた伊健がひとりでトイレに行ったのだが、なぜか開いているトイレは撮影現場から遠く離れた別棟のしかなかったのだ。
「誰もいない教室を通りすぎるとき、ずっと何か身の毛のよだつ感じがあって、最初は自分にこう言い聞かせていた。日が照っているし、さっきの屋上は暑すぎるから、きっと廊下は寒く感じるんだろうって。でも、だんだん妙な感じになってきて、トイレの入り口まできて引き返すことにした。戻りながら、心の中ではこう唱えていた。『走るな、走っちゃだめだ』って。今も思い出すとぞっとするよ」

シンガポール式ハードコア

「第一誡」の監督唐永健はシンガポール出身で、元は映画評論家であり、その後二本の映画を撮ったり、テレビ版の映画を撮ったりしている。シンガポールの映画といえば、たぶん政治の影響が強いということを思い浮かべるが、唐永健について樂仔は、創作人としての彼がちょっとした変人であると感じている。

「この監督は本当にハードなんだ。理屈上は、自分の出た映画は明らかに虚構でこわがることなんかないはずなのに、完成した映画を見てみたら本当に怖かったんだ!ケビン(唐監督の英語名)はみかけはとても紳士で、でも出来上がった作品との落差がとても大きい、ホラーは最近本当にたくさん制作されているけれども、彼は自分の世界を持っていて、別の法則をもって物語をかたっている。これは観衆にとっても新鮮な体験になると思うよ」

伊健も唐永健が一筋縄ではいかないと思っている。
「僕がクランクインした日の撮影は、ストーリーの後の方の場面で、普通なら最初に簡単な場面から撮影して次に重要な場面を撮るので、すごく苦労した。あやうく潰されるところだったよ」
始めてすぐにラストを撮るというのは、把握しにくいから、ということだろうか?
「言いにくいなあ、厳格に言えば、この映画には結論がないんだ。ホラー映画ではあるけれども、実は監督は商業路線に載せたくなかったんだ。恐怖だけでなく思想的なことをたくさん描いているよ」


*********

雑誌が届いてみたら、伊健表紙じゃなくて楽仔表紙のやつでした。まあいいですが・・・。
それにしてもこの二人、インタビュー読めば読むほど精神年齢の差がないなあ(笑)
樂仔が妙に老成してるのか、伊健が若いのか。
DVDそろそろ出ます。買わないと~♪

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2008.10.13

ただ、元に戻るだけさ③(完結)

香港電影 第9号
「ただ、元に戻ればいいだけのこと~鄭伊健独占インタビュー」


今の流れについて

■当時、「風雲」を撮影していた頃のあなたは非常に順調でしたね、でも11年前の「風雲」と11年後の「風雲」はもう違うと思います。あなたは自分のポジションというのをどのように見ていますか?

□鄭伊健:わからないよ、全体的には、たぶん僕の思っているとおりだと思うんだけど、良かったと言われる頃には、既に自分が落ち込んでいるというのがわかっていたからね。みんな知っていると思うけど、人生なんてこんなものだよね。
僕だってそんなに順調だったわけじゃない、みんな一緒に活躍していた頃は(かえってこのように思っていた)、わぁ、何が順調なんだ?ありえないよ!それから…でもみんなもわかってると思う、でもほんとうは…どちらかというとつらかったんだ。僕が感じているだけじゃなくて、郭富城だって感じていると思う、香港芸能界全体が僕らが低迷してると思っている。実際、多くのことが…時代が違うもの。僕らの時代はもう終わったんだ。僕も一番良い時代をもういちどと思い、あるいはしばらくの間自分のできるかぎりのことはやった、でもしばらくしてわかった。人生はコントロールできないんだ。
幸いにも、みんながまだ「風雲」という映画を覚えていてくれていて、まだこの二人の俳優を覚えていてくれていた。他の俳優を選ぶことだってできたはずだ。完全に違う、新人を二人でも選べたのに、どうしてまた郭富城と鄭伊健なんだろう?これは幸運なことだよ。

■では今回はあなたにとってのチャンスだったのですね。

□鄭伊健:チャンスかどうかはわからない。こういうことは言いにくいけどね(笑)。でも僕は全力でやれるだけのことはやった。何年か前の自分の映画をもう一度見たら、直せるところはあるけど、問題は僕がほんとうにベストを尽くせるか。彭兄弟はどうしてもう一度鄭伊健を出演させたのか?彼らは鄭伊健の出演したものを見たことはあるけれど、「見習黒薔薇」を見てみて、もう一人の僕を発見し、こんなこともできるんだ、と思ったんだ。それから、僕は「阿孖有難」や、「森冤」に出演した。実はこの前の「見鬼」にも僕の役はあったんだ、客演でね。でも技術上の問題でカットされた。だから、僕は自分でやった多くのことが自分に返ってきていると感じているよ。

■自分を実生活ではどんな人だと思いますか?陳浩南や聶風に近いところはありますか?

□鄭伊健:ないよ…僕を指導してくれた先生が言ってたんだ。「ああ、本当に彼は心配だよ、彼の性格は芸能界向きじゃないからね」でも、今の僕は以前とは違うよ。それは、僕が自分のことだけじゃなく、もっと多くのことを見たいと思っているから。事情を知ったり、俳優として多くの人と交わること、また他人と自分の性格の違いを知ること、これは演技の時に非常に役に立つんだ。
たとえば、僕が数日前に馮徳倫に会った時の話だけど、僕が「世の中には不思議なことに、こんな性格の人がいるんだ」、と思っていること、そのことをもし彼に話していなかったら、彼が僕の行ったことのない場所へ連れていってくれて、それも悪くないなあ、と思うこともない…だから、僕の適応能力は以前よりも高くなったと思うよ。

■では、友達に対する要求も高いのでは?

□鄭伊健:いや。だってもう友達なんだもの。もちろん性格が合わないこともあるし、喧嘩することだってある、でもすぐ忘れちゃうよ。友達は、デビューしてから今まで変わらないんだ。たぶん情があるからだろう。僕が友達に対して腹を立てるのは、僕がみんなといつでも一緒に上昇し、落ちるときも一緒にいたいからなんだ。たとえば、僕が本当に悪い時でも、友達には僕のことを見捨てないでいてほしい、がんばって、もっとよくなりたいからだ。反対に、友達が落ち込んでいる時は、僕も一緒にいたいと思う。だから、友達になるのは簡単だけど、長年の親友を大事にすることは本当に難しい。
(完)

***********

彭兄弟が「見習黒薔薇(ツイン・ローズ)」で伊健に開眼した話は初耳かも…(笑)で、そのあと「阿孖有難(ツイン・ショット)」に続いたというのはやはり納得。
やはり「見鬼(鬼域)」で出演部分があったのは本当だったらしい。結局カットされて出演なかったことになってるけど。(←この件に関してはちょっと思うところ…いろいろあるんですけど、過ぎた話なのでもう言いません。)
ステとは意外と仲良しみたい。確かに彼とは生活圏が違いそうだし。たまに会うと刺激になるんでしょうか。

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ただ、元に戻るだけさ②

香港電影 第9号
「ただ、元に戻ればいいだけのこと~鄭伊健独占インタビュー」(つづき)


風雲際會~風雲、出会い


■劉偉強との仕事と、彭兄弟との仕事の違いをどのように感じていますか?

□鄭伊健:当時、第一作目の「風雲」を撮影した時、僕たちは寄せ集めの軍隊のような感じだった。戦いの現地に赴いても、その場での戦いはどうしたらいいのか誰も把握できていない。でもリーダーが「進め」と言ったらみんな進むという感じ。実際、その頃の特撮はなにもないところから始めなくてはいけなかったからなんだ。「風雲」以前では、形式的な特撮というのはもちろんあったけれども、この映画は「まるごと特撮映画」なんだ。わぁ、想像だけで成り立っているんだ。現場に入って、衣装を身につけて撮ってみて、どうだろう、これでうまくいってるだろうか?って、つまりみんな手探りなんだ。でもね、こういうやり方もそれはそれで楽しい。劉偉強監督とこの話をするといつも、あれはみんなが作り上げた奇跡だった、愚直にやっていて、本当にうまくいくんだろうか?もしかしたら失敗だったかもしれない、けど結局このときは成功だったって話になる。彭發とどうやって知り合ったかといえば、実は元は同じところにあって、「風雲」のとき彼は編集をやり、それから僕の映画の多くに彼もポストプロダクションとして参加していた。僕の歌のミュージックビデオでも彼が編集を手掛けていて、劉偉強監督の映画でも編集をやっていたんだ。

■今はスタッフとの摩擦で辛いことはないですか?

□鄭伊健:本音を言うのはとても難しいね。「風雲」は一冊の本で、当時は初めての試みで、みんなやるべきことをやったから、すべてのキャラクターをうまく作り上げることができた。では今回はというと、実は僕は仲文(奚仲文)がとてもうまくやってくれたと思ってる。彼はすべてを変えてしまうことなく、ただそこに色彩を加えただけなんだ。摩擦というのは実際必要だと思ってる。最初はみんな自分の意見を持ってる。俳優もパート1ではこうやってきた、と考え、仲文でさえそれは思っていることで、パート1はこうだけど、今回はこうすべきだと。それから、僕はちょっとした動作、アクションの一つ一つにさえ全部練習が必要だと思ってきた。でも始めてみたらそれは不要だとわかったんだ!摩擦が起き始めている時期は、みんなそれぞれの考えで意見を言うものだ、でもそのあと気づくんだ。監督の考え方を見て、そしてみんなが動くとね。だから経験豊富なアクション監督が意見を出す以外にも、さらにこういうもの(特撮)を加えて、1000カットの撮影だよ、それはみんなが頭を寄せ合って考えた結果だね。

■今回のアクションはパート1と違いはありますか?

□鄭伊健:今回の足技は全部が僕自身のアクションによるものじゃなくて、特撮の合成があって、それからカット割りがあって、一つになる(効果が表れる)。たとえば、原作で聶風が持っている血飲狂刀は、飛び出させてこの刀の上に乗る、スケートボードみたいにね。
僕の足技にはちょっとした効果があって、三回蹴るところを一回蹴れば済むことになってる。今回みたいに特撮を加えればうまくいくし、面白いと思うよ。構想の段階では、最初の場面で無名も含めてみんながさらわれて、もうだめだと言う時に突然聶風が助けに現われて、歩驚雲と再び力を合わせる、この場面でキックと刀を加えようと考えていたんだ。でも、そのとき、もし僕が一蹴りしただけでは大したことがないように思ったんだ。鄭伊健のキックに刀を合わせた場面を見たら、きっと新鮮に感じると思うよ。


Wind_1


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今回は衣装がシックでかっこいいんですね。劇画タッチは残しつつ、地味すぎずやりすぎでないという・・やはり奚仲文ですねえ。
次回が残りの部分ですが、伊健の仕事に関する心境について。

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2008.09.21

「ただ、元に戻るだけさ」①

香港電影 第9号
「ただ、元に戻ればいいだけのこと~鄭伊健独占インタビュー」


11年前は鄭伊健のもっともいい時期だった。しかし今日まで続編の登場を待った。ある人は彼がゲーム好きなだけで、自分の殻に閉じこもっていると言い、ある人は彼が芸能界に合わない人間だと言う。けれども、彼はずっとベストを尽くしてきて次第に変わってきたし、上の世代の芸能人のようにやはり義理人情を重んじる。どのように「聶風」を演じるのだろう?彼は言う。ただ、元に戻ればいいだけのことさ。今、更にたくましくなった体と成熟した頭脳をもって、自信に充ち溢れ、当時を凌ぐのだ。


風起こり雲が湧く

■実際のところ、今回の映画を受けるにあたって心理的な壁というものはなかったのですか?もう11年がすぎましたが、当時は大成功して、第一作が上映されたあと、みんなからいつ続編を撮影するのかと言われましたよね。

□鄭伊健:ご存じのとおり、「風雲」の第一作目では、実は聶風という役の一面しか出ていなかった。実際は原作漫画の中では彼の性格は非常に複雑に描かれているんだ。第一作の中ではほんのちょっとしか描かれていなかったから、役柄をふくらませるのは難しかった。だからその頃どれだけ続編を熱望したことか、だけどこんなに長いこと撮影しないとは思わなかった。だからこういうチャンスをもらえて嬉しい(笑)、だってこんなに待ったんだからね。昔僕が香港で撮影していた映画は、たとえば「古惑仔」に始まって、全部マンガを原作としたもので、当時はたくさんたくさんたぁーくさん撮って、そのあと次の段階に来たら、漫画原作の映画を撮るのは嫌になった、全部コメディ映画ばっかりだったからだ。今の僕は、まさにこのチャンスを待っていたんだよ(笑)。
去年だったかな、僕は小明(林小明)と食事に出かけて、その時に彼が「『風雲』を撮るんだ」と言い出したので、僕は「版権はあるのか?」って聞いたんだ。そしたら彼は「できるよ、(版権を)僕が取ったからね」と言う。僕も「ええ?ほんとに?」って言ったら、次に彼が言ったのは「おい、君にはダイエットしてもらうよ!」だった。僕はちょうど「第一誡」を撮り終えたばかりで太っていた。それで僕は「いいよ、心配しないで、大丈夫だと思う」って言ったんだ。壁があるとすればそのことだよ。他にはない。「風雲」は僕がイメージを作ったもので、それが既に自分ものになっているから、障壁に感じることはないんだ。僕はただ、自分の姿を以前のままに戻せばいいことさ。

■今回のキャラクター設定を教えてもらえますか?

□鄭伊健:今回の歩驚雲は割と人情的で、「俺には弟弟子を殺すことなんかできない!」と言う。今回はお互いかなり実力を発揮できると思うね。昔は歩驚雲といったらかっこよくてクール、でも今回は前回よりちょっと人間らしくなった。聶風のほうはね、僕はもともと考えていたことがあって、それは魔物にとりつかれるのをどう演じたらいいかってこと。まさか監督がいいよ、僕に任せてくれればいいよ、演技は特撮を使ってサポートするから、って言うとは・・つまり監督は演技がそこまで到達しないって思ったんだろうな。知ってのとおり、彭兄弟はホラー映画を撮っていて、たぶん聶風が魔物に取りつかれた後は…(■つまり彼らの撮るホラー映画と大差ないと…)そう、だから監督に任せることにした。だから人間性についての部分は十分発揮できたと思うよ。

■では、恋愛ストーリーのほうですが、一作目では非常にはっきりしていましたね、兄弟弟子が孔慈をめぐって争うというものでした。今回は歩驚雲は楚楚と、それから第二夢ですね、彼女は聶風と恋愛関係にあるんですよね。

□鄭伊健:第二夢は今回出番があるとはいえ、あまり多くの場面はない。だけど「風雲」のマンガのファンならみんな知っていると思うけど、劇中では省略されているんだ。僕と阿Saの演じた場面は初恋みたいなもので、ちょうど出会ったところですぐに僕が魔物にとりつかれてしまう。じゃあ彼女は死ぬのかどうか?映画を見ればわかると思うけど(笑)、実際マンガの中では死なないよ。それからもっと悲惨なことがある、知ってのとおり、楚楚は死んじゃうからね。
(続く)


******

全部いっぺんに載せるのは時間的に無理そうなので段階的に行こうと思います。

伊健てば、ネタばらししていいのか・・・(汗)「風雲」自体は香港では誰でもストーリーを知っているので今さらってことでしょうか?
写真を見る限り、阿Saもしっとり落ち着いたイメージに見えるので、伊健とのツーショットもあまり違和感なく非常にいい感じです。やー。。。この雑誌、伊健ファンなら絶対お買い得っすよ。私は紙ものは買ったら通常それっきりってことも多いのですが、これは暇さえあるとつい眺めていたくなるもん。heart04


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2007.06.10

男人、四十(前編)

伊健・不惑


JET MAGAZINE VOL.58


先日行われた金像奨の授賞式で、王天林はステージ上でため息をついていた:最もいい作品が賞をもらえるとは限らない、賞を獲ったからといって必ずしもいい作品であるわけではない、と。
先輩の口から出た言葉は、マーティン・スコセッシがそのいい例でもあり、人生は「間違い」に満ちている。
鄭伊健は特に「間違い」の恩恵を受けている。生まれつき遊び好きゲーム好きの大きな少年は、刺青を入れたチンピラという姿で不良少年の人気を集める。性格は内向的で夜遊びやナンパではただの一度も写真を撮られたことすらなく、十数年来の恋愛生活についてはマスコミの顕微鏡によって暴かれてきた。
張學友や陳奕迅のような美声という切り札を持たないのに、CDは空前の人気を博して十数万枚を売り上げた。
彼は自分でも認めているが、10年前の最も華々しかった古惑仔の時代は、正に最も心定まらず、熱湯に足を浸しているかのような落ちつかない時代だった。
もうすぐ四十歳になる男性として、仕事も恋愛も縁と気持ち次第、手放すべきものは既に手放し、却って胸に思いつづけていたものを手に入れることができた。不惑の歳は、たぶん鄭伊健にとって葡萄の実の熟する時なのだ。


意味のない仕事


鄭伊健はこう言う。自分は深謀遠慮のもとに計画を練るような人間ではないし、四十歳になるというのは自分にとってそんな大ごとではない。相変らず遊びたいし、けれど一つだけ変わったことがあるとしたら、健康に気をつけるようになったことだ。


「今の僕はただ、仕事や、人生を楽しみたいと思っている。彼女とデートして、家族と一緒に過ごして、自分の好きなことをして、時間があったらほかのことを勉強する、とってもいい状態だ。一番売れていたと言われるあの時代を思い出そうとしても、何も思い出せないよ。あなたに聞くけどどんなことを覚えてる?僕が覚えていることは、ただ毎日歌って、歌い終わると映画を撮って、映画を撮り終わるとまた歌い続けた、ということ、僕だって歌はうまく歌いたい、でも残念ながら、映画のほうも撮らないといけない。仕事は永遠に山積で、結局僕は自分で何をやってきたんだろう?数年経ってから突然悟った。生存と生活は全く別のものだということ。昔は「生存」で、何の意味もなくただやるだけ、今は「生活」で、やることに思想や感覚があるんだ。」

数年前のスキャンダルによって、多くの人が鄭伊健は下降状態だと批評した。それは、彼が未だかつて受けたことのなかった深いショックだった。

「あの頃はかえって得たものも、はっきりしたことも一番多い時期だった。多くのことは避けられない、怖れてもしかたがない、全力でやり遂げることが唯一の方法だった。以前よりも高いところにいて、風当たりも弱くて安全だと思っていても、そういう時こそ危険はつきものだ。俳優としては、お客が入ってくれるかどうかというのはコントロールできないし、お客さんが僕の演技がいいかどうかを認めてくれるかではなくて、ただ、監督が僕に任せてくれるかどうかということだけを求めている。僕にとっては『天行者』や『森冤』での演出は昔とは明らかに違うし、申し訳ないけどそのことについては自分では充分満足しているんだ」

この数年を経て、鄭伊健が最も変わったこと、それは自信だ。
以前は何をするにしても自分に懐疑的だったけれども、経歴と経験を積み重ねて、今ではどんな仕事を任されようと、霍元甲だろうが、ウルトラマンだろうが、課題をしっかり把握してうまくやれるようになった。

霍元甲とウルトラマン

香港の映画市場が低迷して以来、芸能人は内地へ北上してドラマに出演することに生活の道を求めた。
伊健は過去一年の大半をタイで仕事をし、「ウルトラマン」や「森冤」を撮影した後は再び中国大陸へ戻り、香港は彼にとっての休息の地となった。

「今、僕は内地の市場に一番関心がある。たとえタイにいても、僕は芸能人としてまだ尊重されていると感じている。この10年近く、香港の芸能界は後退し、みんなに団結を呼びかけても、多くの人には仕事がないし、仕事があっても食べていくことができないんだ。出資者を探すのが難しくなり、そのことは直接、脚本や創作の場が奪われることにつながった。多い時には、脚本が1冊だけでなく2冊3冊と増えていくような方式は、映画にとっては重要なことなのに。かえって僕は、興味を惹くニュースは、常に海外から来ているように感じているよ。」

2本の新作は同じようにエンターテイメントとして最も良い仕事となった。ジェット・リーが以前に頭を剃って臨んだのと同じ『霍元甲』では、かれは八爺(袁和平)の弟子である谷軒昭に武術指導を仰ぐこと、また陳小春が陳真を演じると聞いて、この班ならばこの上なく面白く楽しいはずだと思った。


「僕はいつも、『霍元甲』の撮影では遊んでいるみたいだったと話しているけど、非常に質の高いテレビドラマで、でもコントロールできないところもある。今は社長がもとの30話から40話に編集し直しているから、かなりいいものになるだろうと思っている」
聞くところでは、彼はこのテレビドラマの報酬がこれまでの最高額で、今は10話増えた分の報酬も受け取ったので、今年一年休業できるというのも不思議ではない。

「幪麺」からのスタート

先日タイで撮影された『ウルトラマン』で、伊健にとっての夢は叶ったといえる。伊健は、たとえ世界を救えるかどうかわからなくても、一着のウルトラマンスーツを手に入れることができたし、もう一回ウルトラマンに出演できたら、それで死んでも悔いはないと冗談を言う。
また、図らずも蒙麺(伊麺(伊健)と蒙嘉慧(YOYO))カップルの出現は、幪面(仮面ライダー)を連想させるものになった。

鄭伊健の恋愛生活というのは、たぶん芸能界とマスコミの生態系の最も具体的な例で、しかも、ミレニアムも近づいてのスキャンダル以後、彼は長いことパパラッチの飯のタネにされてきた。

「盗撮されだした頃は、自分ではとてもわずらわしかったし、どうにもできなかったけど、数年経つともっと手がつけられなくなった。妥協しているわけじゃない、だけど短期間ではどうにも解決できないこと。法律も取り締まることはできないし、一番ひどいのは、(写真の)買い手が大勢いることだ。世界はずっと変わってきたのに、みんなは相変らずこういうニュースを見るのが好き。僕に一体どういう感想を持てというんだろう?」

確かに彼の言うように、昔から芸能界はこうだったが、彼は自分の恋愛が全香港人の茶の間の話題になるなどとは考えたことがなかった。ある記者の友人は、鄭伊健はまだ人気がある、だからみんなが買うし、パパラッチも盗撮する、と言ったが、彼は一笑に伏した。

「人には感情がある。自分が盗撮されて、名前を汚されるのを見て、あるいは街でパパラッチと出くわしたら、絶対怒るはずだし、冷静になるにはかなりの時間が必要だ。新聞や雑誌のインタビューでは、僕は怒らない。読んでる側にはわからないけど、書き手の描写に少しでも悪意があれば、みんなは伊健は怒っているんだなと感じてしまうだろう。でも、ラジオのインタビューを受ける時は、リスナーには、本当は僕が怒っていないことがわかるはずだ。」

恋愛が先、仕事は後


彼もよくわかっているが、好調の時も不調の時も、ハッピーな時も失意の時も、彼といつも一緒にいてくれる林珊珊のことを挙げないわけにはいかない。サンサンの言うところの「かっこよくて、おばかさんだけど、稀有な良い男」には、まず恋愛があってこそ全力で仕事ができるのだ。

「家庭のことでも、恋愛のことでもいい、僕は安定していないとだめなんだ。それでこそ仕事に集中できる。そのどれか一つでも欠けていると、仕事中の情緒に影響する。彼女がいないときは、次の相手が早く現れてくれないかなと思っているし、でも自分では積極的に出ることはできないから、全ては縁まかせだ。この性格は生まれつきだし、自分がこういう人間だというのはよくわかっている。多くの人は、性格が運命を左右すると言うけれど、全くそのとおりだ。無理をしても楽しくないし、妥協はしても、ある一点では譲らない」

彼の性格といえば遊び好き、しかも努力が嫌い、多くの人は彼が電化製品とゲームに熱中していて、だからきっとパソコンを自作したり分解してまた組みたてることのできるようなITおたくだと思っているようだが、実際は彼は新製品にどんな機能があるかをよく知っているという、純粋なユーザーに過ぎない。もちろん、伊健はネット上の掲示板にいるような普通のデジカメマニアというわけではない。自らも5年前からキヤノンIXUSのイメージキャラクターであり、彼がカメラのイメージキャラクターなので売れているのか、カメラのおかげで伊健が売れているのか、その違いは定かではないが、結論としてはまさにお互いに相乗効果が得られ、ぴったりな組み合わせ、といえる。
(つづく)

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2007.04.22

悠々自適

Let's Talk
U-Magazine Life 1066号

「だらだら過ごし じっくり選ぶ」鄭伊健


大陸で埃にまみれ黙々と撮影した3ヶ月間は、一杯のコーヒーを味わってのんびりすることもままならかった。それに、新しく生えてきた髪もまだ短い。今の鄭伊健は一歩を踏み出したところで、自嘲するところの「ムショ上がり」の状態だ。
「古惑仔」に別れを告げてから、伊健はこの数年間仕事の停滞期に入っていたと言われているが、彼にとってこの期間は、昔と違うことを試し、自身の俳優生活に新鮮味を加え、また、違ったライフスタイルを見つけることができた期間なのだ。


未体験の新鮮味

鄭伊健は新作「森冤」の中で植物学者を演じている。彭發監督は「阿孖有難」の次に再び彼と組んだわけだが、理由はこの俳優の口が達者だからなのだ。

「彼は僕のことを『口がうまい』って言う。どんなことも僕の手にかかれば、真実味が出てくる。彼は、もしこの役を僕が演じたら、僕の説得力をもって、きっとリアルに演じられるだろうと言っていた」

植物は動物と同じように感情をもっているという理論は、1960年代にある専門家が提唱したが、彭發監督はこの点から「森冤」の物語を構築した。自殺の森での連続殺人が発生し、死体が見つからない、ついには幽霊のせいか、あるいは謀殺なのかというところに至るが、伊健の演じた植物学者・樹海は植物が人間の聞き取れない音波を出して反応すると信じて、植物に訴えかけ、ついに事件の真相をつきとめるに至る。

「僕と彭發は子供のころ二人とも樂民邨に住んでいて、お互いの存在は知っていたけれども、友達ではなかった。まさか、その後彼が僕の出た映画(「風雲」)の編集をしたり、監督や演技指導をすることになるなんて思いもしなかった。彼はこう言っていた。『以前銀幕上で見たことのある鄭伊健はもう見たくない、だから自分が伊健にやらせるのは、彼が演じたことのない役なんだ』」

『阿孖有難』では双子の兄弟、弟は同性愛者で、『森冤』では伊健は初めて学者の役、そしてサスペンス映画に出演し、同じように新鮮だった。

「俳優として、僕はとても新鮮に感じた。またヤクザのボスをやるよりもずっといい。TVBにいた当時は、人にやれといわれたことをやるしかなかった。殺し屋とか、ゾンビとか、当時はばかばかしいと思ったけど、実際にはいろいろなことを試すことができたんだから。今の選択肢は昔よりかえって少なくなってしまったよ」

大陸で視野を広げる

去年の年末、伊健は大陸のテレビドラマ「霍元甲」を撮影するために、長年伸ばしてきた髪を切り、剃りあげてしまった。彼は香港のドラマで清服を着て陳近南の役(『鹿鼎記』)でゲスト出演したことはあるが、その時はかつらをかぶっていた。大陸のドラマに出演するのはこれが初めてで、「霍元甲」が彼にとって二つの初体験に踏み出す第一歩になったといえる。

「実は、撮影するのかしないのか、一年間揉めに揉めていた。僕は生まれつき怠け者で、遊びにかけては天下無敵で、仕事はやりたがらない、だから本当は撮影するのがすごく嫌だった。出発の前もずっと怖かった。その訳をどう説明していいかわからないけど、こんなに長い時間香港を離れていたことがなかったからだと思う。『森冤』の時だってタイに行っている期間は最も長くて一ヶ月、だけどテレビドラマは三ヶ月もかかるんだ!」

プロデューサーの關錦鵬の説得と、マネージャーの林珊珊の命令で、伊健はついに撮影を了承する。

「小春(陳小春)やチーラム(張智霖)は一早く北京に進出していたけれど、僕たちは行こうとしたことがない、それに頭を剃ったこともない、死ぬほど緊張したけれど、実際は大したことじゃなかったんだ。本当に可笑しいよね、大陸の人は僕に会うとすぐ、僕が霍元甲にとてもよく似ているって言うけど、内心こう思ってた。「あなたたちは霍元甲に会ったことがあるの?僕が頭を剃ったところを見た事があるの?」口を開けば僕以外に合う人はいない!って言うんだ。とても可笑しかったよ、別の世界に行ったみたいだった」

香港の俳優が大陸で撮影をすると、「香港組」として差別されるが、伊健もこの境地に初めて接し、大陸の俳優に驚かされる。

「彼らは以前からずっと壁を築いていて、近寄り難い雰囲気で、自分が一番と思っていて、一つの席を奪い合うようにとても競争心が強い。でも知ってのとおり、僕は遊ぶのが大好きだし、加えて小春や家仁さん(梁家仁)は一緒にいるし、今回彼らには『香港人というのはとても話好きで、とてもくだけている』と思われたんじゃないかな。」

大陸に行きたくはなかったが、皮肉にも大陸は、香港にはない自由な場所を与えてくれた。

「香港のマスコミが芸能人に与えるストレスは大きすぎる。クランクインすれば、パパラッチは向かいの山に撮影しに登ってくるけれど、大陸では誰も芸能人にはかまわない。とても自由で、気分良く撮影ができるよ。とても矛盾しているけれど、香港を長く離れていることは嫌にもかかわらず、こっちに来て見れば、香港を離れたことで却ってとても広い空間を得ることができたんだ。」

大きな勇気

大陸には俳優が多く、競争は激しく、香港の俳優が慢心していると簡単に競争に敗れる。皮肉なことに、伊健は北京に行ってみて自分がまだやっていけることに気づいたと言う。

「アクション、度胸、経験は全部そのために用意してあった。今日アクションシーンを撮ると言われても、僕は全く問題ない。どんな動きでも以前苦労してやってきているからね。以前の僕は辛いことや、ちょっとでも間違うと、みんなに頭を下げさせられるのがとても嫌だった。でもその頃の訓練がなければ、今日の僕はいない。40歳になってこんなことに挑んで、と心配する人もいるけれど、年齢や体力の心配なら、僕はまだ大丈夫さ、自分にまだ価値があるって証明できるよ」

香港映画の市場は弱く、大陸のマーケットは常に日が当たっている、しかも香港スターは大陸では引く手あまただが、伊健は自分が短時間の間に再び大陸へ行くことはないだろうと言う。

「大陸の市場でのドラマは得るものが多いが、また、金儲けに変わってしまうことも珍しくないんだ。食いぶちを稼ぐのでなければ、僕はエンジョイしたい、良ければ撮影する、それに過程は絶対楽しくないと。現段階の僕は、一つの仕事を終えたら、成果を味わって、それから他のことに取りかかりたい。この点では、自分はとてもラッキーだと思う、今はお金のことを気にせずに、じっくり選ぶことができるからね。」

仕事の停滞を経験した後、伊健は、永遠に頂点に留まっていることは不可能なのだとわかった。

「歌のほうでは、僕はもうCDを出すことはないかもしれない、アイドルが出てきた時、本当に現実を受け入れなければならなくなった。あるいは、将来は仕事を変えるかもしれない、社会福祉の仕事をしたいと思ったこともある。自分にまだ影響力が残っているなら、それを社会福祉のために使うんだ。でも、まずそれにはどこかでブレイクしないと。例えばドラマを一本撮って、反応が良ければ、ひとつ良いイメージが作れる、それをもって公共のために仕事をするだろう。」

伊健は言う。お金儲け以外に、自分には野望がある。「僕は霍元甲を選んだもう一つの理由は、もうすぐ北京オリンピックがあるから。国内ではこのテレビドラマを見ることが教育になる、霍元甲の武術の精神はみんなの心を奮い立たせるはずだ。」

10ドル儲けて4ドル使う

仕事を選ぶことができるなんて、多くのサラリーマンには夢のような話だが、それには安定した財政状況が必要だ。この点では、伊健もかつて失敗を経験している。

「マンション市場の景気が良かった時、周りが買えば僕も買うような状態で、1ヶ月に40万ドルもローンを払っていたことがある。マンション景気が暴落して、僕の銀行口座にはまだ100万ドル残っていて、2ヶ月分は払えるけど、2ヶ月後はどうしよう?マンションをどうしても投げ出したくなったけど、それでも200万ドルは損するんだ。こんな苦労をした後、僕は自分に言った。こんな生活は、二度と経験するものじゃない、と。」

だからたとえ遊びが好きで、無駄使いが好きでも、収支については、今は分相応なのだ。

「僕は、いつお金を使うべきで、いつ節約するべきかわかっている。10ドルあったら、3ドルまでは好きに使うけど、4ドル目で自分にストップをかけて、自分の今後のことを考える。結局、芸能人の命は短いもの、みんながみんな劉德華ではいられないんだ。それに、芸能人の生活は、踏み石の上に乗っかっているだけのものかもしれない。明日には違う業界に行っているかもしれない、ゲーム業界に進出して、ゲーム王になっているかもわからないよ」

彼の髪に至っては、儲けが少しずつ増えていくようになるのかどうか。また昔のように長髪がさらさらとなびくかどうかについては、保留のようだ。

「ちょっとは伸びてきたけど、以前のように長くする、とは言えない。時代は変わった。また長髪にするなんて、僕はイケてないって思うね」

後記

ある日、鄭伊健が本当にゲーム業界に進出しているかもわからない。
伊健には3回インタビューしたが、いつも話が尽きないのは、カメラマンとゲームの話をしている時だった。このゲームはどうやってクリアするか、あのゲームのパート1はあそこのショッピングセンターで買える、終りですよ、と制止しなければ、インタビューは全部PSPとニンテンドーDSに乗っ取られる。
鄭伊健は何年も前からちっとも変わらない、今も親切で、遊ぶのが大好き、アイデアがいっぱいで、でも自分ではこのものぐさな性格は50年経っても変わらないだろうと言う。彼は映画監督をしたいそうで、關錦鵬は喜んで資金を出したいと言ってくれてはいるが、ただしその脚本はまだ影も形もなく、面倒くさがりで頭脳労働の嫌いな鄭伊健にはまだまだ高い壁といえる。

********

先月現地でゲットした雑誌のインタビューより。
写真は今度載せておきます。。「ムショ上がり」発言でこの衣装はどうなんですか~?って服です(笑)

髪はのばさないかもしれないし、CDは出さないかもしれないし、監督するにも脚本はまだないし・・・鄭伊健はどこへ行こうとしているのか。
今年一年は仕事しないつもりかなあ。「ゆっくり選ぶ」期間ということで。
まあ、それもいいかもね。

四十歳は「不惑」の歳、周りがどう思おうと、伊健の心の中ではきっと決まったことがあるのだと信じたい。
伊健、唔好心急、慢慢行喇。

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2007.04.15

夢は映画監督

2007年4月2日 wenweipo

◆本文
◆後記


ロングインタビュー「鄭伊健、監督としての転身を希望する」

(場所:ラウンドテーブルカフェ/銅鑼灣;利舞臺の向かいあたりです)


10月には40歳を迎える鄭伊健は、近年仕事面でどん底であると指摘されてはいるものの、実際のところは仕事はずっと途切れることなく続いている。10年前「古惑仔」シリーズが代表作となっても、その後の作品が壁を越えるのは難しい。演技の方面で壁を越えることに困難を感じ困惑している彼も、ついに自分の活路を見出したようだ。彼は、将来映画監督として一志報いることを願っている。

鄭伊健はかつて仕事面でピークを迎えていて、「古惑仔」シリーズがその代表作だが、その後の作品がその壁を越えることは難しい。去年の「天行者」では比較的成熟した役柄を演じたのに続き、この一年では伊健にとって新しい試みは多く、さらに煩悩の糸を断ち切って髪を剃り内地でドラマ「霍元甲」を演じた。サスペンス映画「森冤」では植物学者を演じ、監督の彭發は彼が成長したと言い、伊健にとっては特別な思い入れがある。

「僕と彭發は二度目の仕事になる、一回目は「阿孖有難」だ。実は10年前には、「古惑仔」シリーズや「中華英雄」などでも彼は編集の責任者で、ずっと仕事仲間だったんだ。ある日、彼が僕に電話をくれて言ったことを覚えている。僕が演じた役柄の幾つかは僕に十分に合っている、しりごみしなくていい、役柄はとても面白いし受け入れられないはずがないよ、ってね」

挫折に勇敢に立ち向かう

実際の話に基づいて製作された「森冤」は、日本のある森林にインスピレーションを得ている。ご存知のように、日本の富士山の裾野には森林があり、自殺で有名な場所で、政府でさえ富士山に看板を立てて、「生命は一度限り、大切にしましょう」と書く事で人々に命の尊さを訴えている。劇中、鄭伊健が扮する植物学者は、人としてなすべき道理をいろいろ語っている。しかし、もともと伊健も、この映画はもっと重要な効果があると思っていた。それはあるメッセージを伝えること、それは世の中の人々に命の尊さを訴えなければならないということだ。

「僕は、人間生きている間には、美しいことが山ほどあると思う。もし小さな挫折ですぐ自殺するとしたら、そんな愚かなことはない。ただ自分をしっかり持ち続けること、そうすれば絶対成功する。人生には山あり谷あり、辛いことを経験しなければ、何が樂かもわからない、いわゆる小さな苦境をバネにするってことだ。今の人は挫折からすぐに立ち直れないけど、以前ある先輩が僕に言った。『挫折もある種の楽しみで、どこかで転んだら、必ずどこかで起き上がるものだ。』僕は彼の話は正しいと思う。一番大事なのは、楽しむ過程で、結果はもともと他の人と比較などする必要はないんだ。」

恋愛のことは口にしない

梁詠琪と鄭伊健がつきあい始めたころ、二人とも仕事が低迷し、人気は最低まで落ちた。何年もの努力によって、二人はまたファンの人気を取り戻した。しかし残念なことに、二人は結局別れを選ばざるをえなかった。その後、マスコミによって伊健と蒙嘉慧(YOYO)の「バドミントン愛」が発覚し、YOYOは伊健の誕生日にヒロインとして姿を現した。蒙嘉慧との新しい恋については、伊健はあまり語りたがらないが、結婚に対する見方を打ち明けてくれた。記者がさらに伊健とYOYOのカップルでCMに出ないのかと聞くと、伊健は大笑いして、答えを避けた。

「僕は、二人が一緒にいるには、楽しいことが一番大事だと思う。結婚のことは、自然にまかせるよ。それに両親も僕に結婚を急かしたことはない。芸能人として、本当ならおおっぴらに恋愛のことを話すべきでないけれど、それでは相手に対して却って不公平でないかという問題もある、他の人が見ても、この問題は既に片付いてるよ。
僕は黎さん(黎明)を尊敬する(黎明と樂基兒のことを指して)、彼は日本への旅行を記者に隠し撮りされてたのを明らかに知っていて、だからといって彼女と離れたりしないで、でも何でもかんでも許すわけじゃなくて、記者には、他の人の迷惑になるから遠くに行って写真を撮ってくれと言った。物事にあたるにはこうでないとね。
あなたの知りたいことはもう話したよ、将来彼女と一緒にCMに出ることはあるかって、ははは、先にスポンサーを見つけてきてから言ってよ、当分見つからないと思うけどね。」

子供のころ、樂民邨で大きくなった伊健は、父が縫製工場の検査員の仕事をしていて、それから兄と妹が一人ずついる。小さい時は「ガイキング」のおもちゃに夢中になり、このおもちゃを持つことが人生最大の願望にさえなった。
伊健は、初めてデパートでこの30センチほどの超合金製のおもちゃを見た時のことを覚えている。当時、市価で68ドルするそれは、既に十分高価なものだった。今はそれが3万ドル以上しても買うだけの経済力はあるのだが、それは逆に物欲に対する反論となった。

「子供のころはいつも隣の家の子供にゲーム機を借りて、家に持ってきて兄や妹と一緒に遊んだ。もし何も借りて来れなければ、友達と裏山へいって鬼ごっこをして遊んだ。こういう生活は、実際僕の人生の中で一番温かくて楽しかった思い出なんだ。みんなは僕がゲーム好きなのを知っているけど、子供の時はマリオブラザーズで遊んで、最後まで終るともう一度、失敗したらまた挑戦、絶え間なく何度も繰り返し遊んでいた。それはただ、子供のころは娯楽がなくて、ゲームが一つあればそれで自分を満足させることができたからなんだ。それに対して、今は選択肢が多すぎる。ニンテンドーDS、PSP、PS3など、一月すればすぐ新しいゲームが出て、品物も簡単に手に入る、元から物を大事にするなんてことはない、これが現代人の生活なんだ。」


監督の仕事に憧れて

この一年、鄭伊健は常に香港から離れて仕事をしてきた。まずタイに違う仕事で7回行って、なかでも特に「ウルトラマン」の撮影は彼にとって忘れられない思い出になった。その後今度は中国大陸で3ヶ月かけて完成した「霍元甲」がある。異なる場所や仕事のやり方を体験して、伊健には思うところがある、香港の芸能界で生き残るための空間は次第に狭くなってきている、俳優をやるということはとても受動的だ、それに対して監督をやらなければ、という考えが起こってきたのだ。


「TVBで俳優をやっていた頃はもう、自分は監督になれたらと夢見ていた。初めて劉偉強と仕事をしたときには、映画監督についてとても興味があった、彼とは撮影のことでたくさん意見を話し合い、撮影の角度とか方法などの問題についてとても関心があって、監督というのはとても意義があってクリエイティブな仕事だと思った。いま、僕は歳をとって、仕事や役柄を変えても十分いけると感じている。既にいくつか脚本を手にしているけれども、映画を撮るのにはとても多くのお金がかかる、スポンサーを見つけるのは容易じゃない、だからデビュー作は小さな作品から始めるしかない。自分で一番撮りたいのはマンガを題材にした映画で、でもあまり自分が俳優として参加はしたくないので、新人を発掘したい、そうすれば創作の幅がひろがるからね」

後記:仕事とゲーム

他の人から見ると、鄭伊健はまぎれもなく「大きな子供」だが、初めて彼に接した時、仕事の時は仕事、ゲームの時はゲームをする人なのだと感じた。インタビュー当日、今回の一大プロジェクト上の質問を聞き終わると、話題は伊健の新しい恋の噂に向けられたが、映画会社の広報とレコード会社のスタッフがすぐにスキャンダルと映画の宣伝は無関係だからと発言を制止した。ところが一悶着した後、かえって伊健は満面の笑みでオープンに恋愛の話を始めた。インタビューを終えてみて、伊健にとってインタビューの場は頭脳ゲームのように面白く感じるようで、真剣に遊ぼうとしている。やってみたらわかるが、伊健は「ワニと歯医者さん」ゲームの時も本当に集中しているのだ。

**********

*宇宙飛龍」というのは、日本のアニメ?特撮?で「ガイキング」のことらしいんですけど、一応この時代には既に生まれて物心ついてるはずの私は「ガイキング」を知りませんでした。一生のお願いになるほどすごいおもちゃだったんでしょうか??一応調べてみましたが、何がそんなにすごいのか全くわかりませんでした。

*そして「ワニと歯医者さん(直訳)」というゲームは、検索すると「ちっちゃくたってイタイワニ」という日本のおもちゃの名前が出てきます。「黒ヒゲ危機一髪」系統のゲームですね。ちょっと笑った。インタビューで何をやらせておるのだ。

*伊健、りよんとは実際一歳しか違わないんですが、「雙雄」で共演して以来、影響されてることも多いようで、なぜか彼の話をするときはいつも尊敬のまなざしがこもってます。うーん、でもあちらのほうがたしかに大人だし(笑)

*このインタビュー、「歌手・鄭伊健」をこよなく愛する私としては、だんだん紅館が遠くなる発言てんこ盛りで、寂しいことこの上ないです。もう歌は捨てたのでしょうか?趣味でもいいからCD出しましょう。お願いします。このうえ俳優の肩書きまで捨てられたらなんかやりきれないよ。。もう既に伊健が歌うことを知らない人のほうが多いかもしれませんが…イタタ。


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2007.01.06

健康は心から

健康な生活とは~悠然自得
Lifestyle Magazine 創刊号

創刊号のインタビューには鄭伊健を迎えた。鄭伊健は「生活新体験」の創刊号の表紙を飾れて光栄です、と語り、それは最近自分の生活においてちょっとした新しい体験があったからなのだ。ようやく自分の時間が持てて、生活をゆっくり楽しめるようになり、身の回りの全てを把握できるようになった。伊健の家は西貢にあり、彼が言うところによれば、ずっと西貢の景色を楽しむことができなかったけれども、本当はとても美しいところなのだ。以前は気にしなかったが、いつのまにか家の前の木がとても高く成長していた。

突然のイメージチェンジ

鄭伊健はイメージチェンジを図った。
多くの人々が同じように考えると思うが、彼が突然さっぱりと髪を短くしたので、デビュー当時のようになった。かつて「長髪の方が仕事がうまくいく」と言っていた彼が、どうして突然短くしてしまったのだろうか?

「主な原因は、自分でコントロールできないところにある。大陸でテレビドラマ『霍元甲』を撮影するために短くしなければいけなかったし、最近の新作映画『天行者』の宣伝をしなければいけなかったんだけど、新しいイメージを加えることで、僕がかなり変わったと感じられるでしょう。生まれ変わったかのような衝撃を与えるのと同じことなんだ。実際は、僕は仕事に対してはずっと同じ姿勢でいるけれどね」

伊健は最近『天行者』の宣伝のために、劇中の「葉秋」という名前で活動していた。葉秋は劇中では大慈善事業家であり、宣伝活動を兼ねたチャリティ活動に参加して、老人ホームや病気の子供たちを訪問した。伊健は、これは宣伝活動ではあるが、自分も社会の重要な一員としてチャリティに参加できる機会を得ることができたと話す。最も印象深かったことは、東華三院老人ホームを訪れたときのことで、老人たちと一緒に健康のために体操をして、またとても楽しかったそうだ。

「数日前に老人ホームへ行って、一緒に運動したりおしゃべりしたりしたんだ。仕事のスケジュールが詰まっていた関係で、ちょっと疲れていたんだけど、お年寄りたちの顔を見たらすぐ元気になった。みんな年はとっていても、とても元気で健康なんだ。僕たちは一緒にゲームをして、時間が経つのがとても早かった。普段からこういうイベントがあるといいのにな、仕事が忙しくても、周囲の人は大切にしなきゃ。」


ゆっくり歩むこと、それが真の健康への第一歩

伊健はずっとチャリティ活動に熱心に参加したいと思ってきたが、いつもあまり時間がとれなかった。彼が言うには、香港人は概して時間がなさすぎるのに、仕事は多すぎるのだ。映画『天行者』のクランクアップ後には、ちょっとした休養期間があったが、その間は公開のイベント活動に出ただけだった。例えば世代肝炎大使に任命されたり、第三回世界リンパ癌デーのイベントに出席するなど、自分のできる限り健康に関する知識を広めていきたいそうだ。

「僕は自分でも健康に注意しようと思ってる。香港人の多くは健康に関心がなさすぎるが、世界各地の人々は健康にとても関心があると思う。香港人は生活に汲々としていて、最も基本的な食べることでさえままならない。いつも規則正しく食事をすることができないし、食べられる時でも仕事をしながら食べたりしている。自分のリラックスできる空間もない。」

伊健は続けて、多くの人は健康のために運動をするけれども、本当の健康は心の持ちようから始まると思う、と言う。

「健康ってどんなもの?単に運動するだけでは健康とは言えない、僕たち香港人はいつもせかせかしていて、朝は早起きして仕事に出かけ、朝食を食べる時間もない。出勤すれば、仕事を間に合わせようと急ぎ、常にドキドキ、ヒヤヒヤしている。しまいにはランチも夕食も食べる時間がなくて、生活がこんな調子じゃあどうだろう?僕は違うと思うよ。できるときには自分でもっとコントロールして、リラックスしなくちゃ。外国人のライフスタイルには僕たちが学ぶべきところがたくさんある、いつまでも香港はこうしてはいられないと思うんだ」


身の回りの些細なことに関心を

伊健は最近ようやく生活のリズムを変えることができるようになったと言い、自分の新しい体験とは生命の一瞬一瞬を楽しむことができるようになったことなのだそうだ。

「昔は仕事を楽しむことができなかった。時には仕事が多すぎてブチ切れることさえあった。今はもう変わった、仕事も前に比べたら緩やかになったし、選ぶこともできるようになった、自分の能力や興味にあわせることができる。最近僕は日本へマドンナのコンサートを見に行ったけど、面白くなかったという人もいたね。それは、期待していたような激しい歌やダンスがなかったからだろうけど、僕の目にはかえって彼女がパフォーマンスを楽しんでいるように見えた。マーケットの要求を気にせず、自分がいちばんやりたいことをやることができていた、それが芸術ってものじゃないかな」

伊健にとってこの数年最も嬉しかったことは、自分の時間を持てたことだ。昔は何年もの間、仕事に忙殺されていたが、今はもっと家族と一緒にいる時間ができ、いろいろなことを学べて、ゆっくりとしたライフスタイルをとることができた。だから自ずといろいろな新しい体験ができるのだ。

「いまの仕事と休暇のバランスはとてもいい、仕事も生活も楽しむことができる、ありがたいことに経済的問題で悩むこともないしね。昔は総じて夜も昼もなく働いて、とても辛かった、今はようやく楽しんで仕事をできるようになった、今の状況には充分満足しているよ。ドラマの撮影でもいい、映画の撮影でもいい、監督ともゆっくり話ができるし、CDを出すにしても満足しないものはやらないから。」
「僕の家は西貢にある。本当にここが大好きなんだ。でも以前は時間がなくて、ずっと保母車の中から眺めるだけ、そのあと眠って、車を降りたら家に帰って眠り、次の日はまた朝早く起きて仕事に追いたてられる。今は車からゆっくり途中の風景を眺めることができて、家に帰ったあとも近所の草木をじっくり眺められる。この前、家の前に生えていた木がすっかり大きくなっていたのに気づいたんだ。人生は短い、僕はもう何も逃したくない、眠って、仕事して、食事することだけは。みんなも機会を作って、身の回りのすべてを大事にするべきだと思う。

プレッシャーと夢が人生の原動力

伊健の仕事は以前ほど忙しくはないが、楽しめている分だけ、以前に比べてこだわりとプレッシャーは大きくなっている。

「新しい仕事を受けるときにはいつもプレッシャーがある。例えば今回『天行者』のように、仕事を受ける前にはいつも脚本を受けとって、どんな映画なのか、できるのかできないのかを考える。僕の仕事の性質上、予想もつかないようなことがたくさん起きるから、思うように動くことができなくて、クランクインの日までずっと待つしかない。でも僕のリラックス方法は簡単、それは楽しむこと。考え込むことはないんだ。プレッシャーは僕にとってはいいことなんだ。プレッシャーがあるのは、僕が仕事に対して緊張をもって臨むことができている証だから。でも一旦仕事が始まってしまえば、慣れてくるにしたがってプレッシャーは自然と消えてしまう。」

暇な時は、伊健は写真を撮るのが大好きだ。風景をメインにして、命の一瞬を記憶に留めるために。

「僕は写真を撮るのが好きでもう何年にもなる。自分で楽しむためで、昔の写真は無くしてしまったし、写真を撮るということを知らなかった。映画のカメラマンについて習ったことなんだ。時には過去の記憶を留めるために写真は撮られ、長い時間を経て当時の人も物もすっかり変わってしまい、思い出せなくなってしまったら、写真をひっぱり出してくればすべてのことが明らかになる。僕の写真は人物が少なくて景色を撮っているけれど」

また、伊健は実はほとんどの時間は夢想して過ごしているのだそうだ。最近の理想というか夢は、西貢區の区議員になり、早く環境保護に向けて動くことなのだ。

「僕は小さい頃から大人になるまで、夢想することが好きだった。夢があれば楽しく生活できる、だから僕はいつも白昼夢を見ている、この夢が物語になり、あるいは映画に変わるんだよ!時々、自分が映画監督になれたらなあ、あるいは区議員になれたらなあ、って考えたら楽しいよね!」
(完)


**********

今年も週末ブログになりそうな予感ですが(笑)・・・できるだけ平日も更新していこうと思いますのでよろしくお願いします。

昨日ようやく東京に帰ってきて、今日は香港より年末に発送された雑誌がやっと届いたのでさっそくご紹介です。
思えばこれが今年最初の伊健ネタです。

伊健って見た目若いよなー。とは思いつつも、こういう雑誌の表紙を飾るようになったあたり、やはり「不惑」なのか。


表紙の特集記事見出しのひとつひとつが泣かせます。それ、何も伊健の顔と並べなくてもさ(泣)
しかも、さわやかな伊健のインタビュー記事の裏ページに●●腺の図解とか・・・今更赤面はしないですが、なんだかなぁ(爆)やはり日本の「爽●」なんかと同じ位置付けなのかしらね、この雑誌。
なぜかバイリンガル編集のため、英文の部分は思いっきり医学用語だらけでよくわかりません。反面中文で見ると妙に生々しい(爆)

問題の表紙です。

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2006.12.10

伊健小春、この10年を語る

伊健小春インタビュー「霍元甲」の現場で10年の付き合いについて語る

2006年12月5日~6日 北京新浪網

《前編》


1996年製作の香港映画『古惑仔之人在江湖』は群れをなしたヤクザが格好をつけクールに振舞うのが子供に対して悪影響を与えると同時に、それでもなお多くの人の心のバイブルとなり、義理人情の代名詞という輝かしい意義があった。
鄭伊健と陳小春の二人は劇中で確かに命に替え難い親友同士で、映画を離れてもこの10年間の芸能生活をお互いに見てきた証人でもある。陳小春は鄭伊健も大人になった、10年の間に次々と彼女が変わったからな、と言いながら伊健の太ももをさすっていやらしい目つきをしたので、伊健は照れ笑いをして小春の手を払い、「またバカなことばっかり言うなよ!」といった。

仕事の方面に話題を振ると、二人の友情からマスコミの環境にいたり、話は次第に深刻になってきた。鄭伊健は、自分はただ、真実をもってみんなと向き合うだけだと語った。(インタビューは南都周刊記者)

◆◆◆

11月21日午後、北京の奥座敷、飛騰スタジオの『霍元甲』の現場に鄭伊健と陳小春の二人がやってきた。最近記者は鄭伊健と会うことが多かったが、けれどもこの二人がそろって記者のインタビューを受けるという機会はめったにないのだ。鄭伊健は長衫を、陳小春は木綿の綿入れを着ていて、たとえ遠くからこの二人を眺めたとしても、二人から受ける性格の違いははっきりわかる。鄭伊健は落ちついて物静かで、身振りがわりと少ないが、小春は身振りが大きく、撮影の時でも周囲を笑わせている。二人を待っているとメイクを落とす間もなくやってきて、記者の前に座ってインタビューを受けている時も、このアニキたちは香港式の掛け合い漫才を見せてくれた。


性格編

鄭伊健:陳小春はもっと「バカ」になった

陳小春:鄭伊健はもっと成熟した


十年前、鄭伊健は29歳で、無線電視では既に主役級だったが、映画界ではまだまだ新米だった:陳小春は23歳の時、まだグループ『風火海』の一員で、また、1994年に出演した映画『晩9朝5』では第14回香港金像奨で最優秀助演男優賞にノミネートされた。この時は彼らはまだ香港映画界の「若造」だった。

南都周刊(以下南):『古惑仔人在江湖』でお二人は初めて共演しましたが、この十年にお互い変わったところはありますか?

鄭伊健(以下鄭):変化は大きいよ、小春はさらに「バカ(衰)」になった。(本当はもっと格好良くなった(帥)、と言いたかったらしい。笑いが起きる)それから痩せたね、前はもっと肥ってた。

陳小春(以下陳):伊健はもっと成熟したな。この10年、こいつは次々に彼女を変えて…もちろんどの彼女とも長い間付合ってる、俺も見習うべきだな。

鄭:気をつけて話せよな。

陳:10年來、俺たちは香港にいて、会うとお互いに『剣客』と呼び合うような厚い友情はあったけれども、でも会うことはほとんどなかった。こうやって北京に来てみて、毎日一緒に撮影して、飯を食うのも一緒だ。俺は(指で自分の胸のところでハートの形を作って)心が広くなったと思う、ここに思ってることはたくさんある、でも言い方がわからないだけなんだ。簡単に言えば、愛情だな、友情が愛情に変わったんだ。

南:お二人を比べると、小春のほうが性格がおだやかで、変わりないように感じます、まだこんなに面白いですし。伊健の変化のほうが大きいですね。

鄭:実はそれは違うんだ、小春が面白いのは彼がいろいろな役柄をやってきているからで、でも僕は彼にももっと見た目のイメージチェンジをしてほしいんだ。

南:小春、あなたは鄭伊健がまだ10年前みたいに格好つけてクールにして、たとえばこんな風に髪をかきあげたりしているのをみてどう思う?

陳:伊健は始めからカッコつける必要なんかないんだ、もともと格好いいんだから。ただみんなの思っている彼が格好つけている風なんだ。

南:多くの観衆があなたたち二人を典型的な男の二つのタイプだと思ってますね、でも二人とも男らしい、自分たちではどう思いますか?

鄭:とても男らしい?僕は思わないね、たぶんイメージとか映画の中の僕だよ、でも実生活の中では僕は違う。陳小春みたいだ。あいつのほうがもっと子供っぽいな。僕は時々自分があいつのお兄ちゃんみたいに思えるよ。男らしいなんて言葉をどう取ったらいいかわからないけど、自分で言ったらいいことだね。

陳:俺たちはもう若くないよ、たぶんこんなことはできないな(と裏声を出して)、こんにちわ、僕は陳小春です、僕は鄭伊健です、…そうだろ、君、笑ってるじゃないか。気持ち悪いだろ?

十年後、鄭伊健はちょうど39歳の誕生日をすぎたころ、新しい彼女の蒙嘉慧が颯爽と現れ、陳小春は33歳の時、新譜『斗』をリリースして、自分でも世の中の中国人の憂い、鬱憤を感じるようになった。何も変わってないわけではない。けれども、記者は小さな発見をした。鄭伊健はもう髪の毛を丸坊主にしてしまっているのに、まだあの癖を残していた。それは、左手で耳たぶを掻く癖だ。もう髪は長くないのに、こんな癖を見ると相変らずだなと思える。芸術総監の關錦鵬が本紙記者に言うには、新版『霍元甲』では二人が霍元甲と陳真を演じることに多くの人が興味をもち、期待し、『古惑仔の古装版』だと思っているのだそうだ。關監督はモニターを通して二人の演技を見た後、とても感動し、二人はとてもすばらしいと思った、一つには二人が演技の上で大変成熟したこと、それからもう一つには二人の間にある声にせずともわかる暗黙の了解と友情に感動したのだと言う。

事業編

過去10年、誰にも認められてないとは思わない

これからの10年は、裏方へまわりたい

ちょうどいま上映中の映画『天行者』の宣伝文句が『鄭伊健は10年たって古惑仔に戻る』だった。確かに売れそうな文句だが、陳浩南は既に20世紀の人間で、それを演じた鄭伊健も既に若くはなく、中年に入り、仕事も恋愛もこの10年間の間に一つの区切を迎えた。この10年間に鄭伊健は『暗戰2』で金馬奨の主演賞にノミネートされ、陳小春も賞レースに参加する機会を得た。けれど、二人とも賞を目前にしながらまだどの賞ももらったことはない。演技を重視してきた彼等にとって、残念なことではないだろうか?


南:今回お二人がこのテレビドラマ『霍元甲』を選んだのは、仕事上でなんらかの突破を目指してのことでしょうか?

鄭:僕はこういう英雄を演じる機会に恵まれただけでとても嬉しい、俳優をやってて、しかもこんな段階で、自分の好きな役柄を選ぶことができた、それに頭を剃らなきゃいけない、これは僕にとってとても新鮮な経験だ。

南:お二人は賞に近づきながらもまだ収穫がない、香港映画界に見る目がないと思いませんか?

鄭:(笑)そんなふうに言ってくれてありがとう。

陳:あの人たちに言ってあげるべきだよ。賞を獲らなかったことが結果を表すわけじゃない、賞をとったことが結果を表すわけでもない、ただ続けていけば、きっと収穫はある。俺がこの世界に入った時、ある先輩がいて、その人が俺に袁和平の父親の、袁小田のことを話してくれた。彼はずっと諦めないで、80歳になった時ジャッキー・チェンと共演した映画『酔拳』でついに開花した、だからこの世界にいる限り諦めるな、いずれ君の番が来る、と言ったんだ。

鄭:人生の目的はそれぞれだ。香港映画は今は不調だけど、僕はずっと作り続けて安定供給していくと思う。小春と同じで、賞を獲ったからといって何かを代表するわけじゃない、映画がヒットしなければ賞だって獲れないし、映画が売れないのに賞なんて意味がある?俳優としては、僕はその過程を楽しむよ。

南:10年後もこの世界にいるとして、次の10年までにどんな目標に到達したいですか?

陳:10年後は表舞台は引退して、きっと裏方にいると思う。必ずしも映画やテレビの監督なんかじゃなくても、舞台劇にも興味があるな。

鄭:小春と同じで、裏方に行きたい。実は長いこと俳優をしてきて、次第に永久に主役ではいられないと思ってきた。いまの僕たちの撮っているドラマにはたくさんの年老いた俳優がいて、一日二日の撮影でもとても真剣に取り組んで、演じる過程を楽しんでいるよ。今は武術指導の先生とも交流があって、その技術やなんかを勉強してる。俳優だけでなくて、もっと他のことも知りたいんだ。

俳優の中にはたぶん一生賞とは縁がない人もいるし、このインタビューの中で、鄭・陳の二人には本当は賞が欲しいと思っている気持ちが充分感じられる。二人は名誉や利益のために賞が欲しいのではなくて、自分たちの10年間の努力に対する証明として賞を望んでいるのだ。賞がないのは残念だけれども、でも彼等の映画や役柄は依然として多くの人に支持されていて、二人が撮影している現場には女子大生のグループがわざわざ見に来てくれて花を贈ったり、一緒に写真をせがんだりするのは、それにみあう価値ではないだろうか。

(後半に続く)


《後半》


友情編

鄭伊健:彼のお母さんの死は僕を突き動かした

陳小春:あいつは僕をだましてこのCD会社に入れた


鄭伊健と陳小春は古惑仔シリーズで共演し、その上「熱血燃燒」という歌でデュエットもしている。映画ファンにはまだ記憶に新しいところだろう、劇中で山鶏は罠にはめられ、自分の彼女と関係した浩南とは決裂、また義兄弟の惨死を許すことができなかったが、浩南は彼一人を台湾へ逃し、万一のために大事なロレックスを餞別にと渡した。浩南と山鶏の友情は厳しい試練をくぐりぬけてきた、まさに歌の中で歌われているように。「俺が絶望の淵にいるときやってきてくれる、俺の危機にはかならず駆けつけてくれる、それがお前」実生活での鄭伊健と小春も固い友情で結ばれているし、記者の前では子供のようにお互いじゃれあっている。多くの人が映画の中では山鶏のほうが目立っていると言うが、陳小春は記者に対してはこのように言っている。「俺達2人はもともと他の俳優のように張り合うのではなくて、譲り合っているんだ」

南都週刊記者(以下南):あなたたち2人は本当に大親友で、ナイスガイで、何年もつきあってきているけども、お互いに対して一番印象に残っていることは何ですか?

陳小春(以下陳):2人のことだよね、じゃ、俺から先に(鄭伊健:お前が先に言えよ!)。それはね、伊健が俺を「騙した」(←ここ強調)ことだね。あいつは自分の所属のCD会社(BMGのこと)に俺を騙して入らせたんだ。伊健は「この会社は本当にいい、すごく良い、それに僕がいるからね」って。じゃあ、OKだって入った。結果、しばらくしないうちにあいつはバイバイだよ。俺は「ハァ?!」って言うしかないよ。

鄭伊健(以下鄭):(口を挟んで)だって小春が来たら、社長がもう僕のことは要らないって。

陳:実際は伊健は契約が切れたので出ていかざるをえなくて、そのあとEEGに入った。

鄭:その名前は出さないでよ。アレルギーなんだ。

陳:えー、だって巨大な娯楽の王国じゃないか。

鄭:結局、お前は歌っていけたけど、僕はできなかったよ。

陳:それはお前が歌わなかっただけだろ、歌えばすごいのに。

南:では2人で『萬里長城永不到』を歌っては?

陳:はぁ?!国語かな、それとも広東語で?
(そのあとまた裏声でワンフレーズ歌う。「昏睡百年、國人漸已醒…」伊健はそばで可笑しそうに笑っている)

陳:実はもうデュエットして歌ってるんだ。広東語ならできるけど、国語は本当に難しいよ。

南:そのとおりですね。伊健も小春から大きな影響を受けたエピソードを話してくれませんか?

鄭:(小春の方を向いて)じゃあ、僕が話すよ、(小春:お前が話せよ、と言い)小春のお母さんが亡くなった時のことかな。僕にはとても深く心を動かされる出来事だった。とても不思議な感じ、まるで自分の親が亡くなったかのようだった。小春はとてもいい息子で、良い友達でもある。この時、僕は小春に何をしてあげたらいいかわからなかった。でも僕達はこんなに良い友達だし、あいつがただ、そばで自分のことを見ていてほしいと言うなら僕はそうする。この時のことは本当に忘れられない出来事だ。実際、この10年来は楽しいことも、辛いことも、たくさん出来事があってどれも忘れられないんだ。

南:2人は性格もまったく違いますが、その性格の違いでケンカになることはありませんか?

陳:ないみたいだけどね、あるとすれば撮影の時で、意見の違いで話し合いになるけどね。でも原因は伊健だよ、だから俺はあいつの言い出したきっかけが何か知りたいと思う。2人とも良くしようと思っているからで、でしゃばってどうこうするためじゃない、もしこの場面の中心がお前なら、俺は自分の演技のしかたを抑えてお前に譲るよ、大したことじゃない。


以前陳小春があるテレビ番組のゲスト司会をやったとき、対談には鄭伊健を迎えた。鄭伊健は、自分たち2人はシリーズの映画で共演して友達になったこと、ここ何年も、2人の関係は2人の女の子みたいな感じだと言った。お互い共通点が多く、しかもわりと率直に物を言うかからだ。二人の男性を「二人の女性」に例えるあたり、二人の親密な関係が充分に証明されると言える。


生存編;

鄭伊健:好きなものは好き、嫌いならそう言う

陳小春:そのうちニュースは見ないというルールができるだろう

陳小春は鄭伊健のことをからかって、伊健は彼女を次々にとりかえるけれども、それでいて長持ちする、それは見習うべきだと言う。邵美琪から梁詠琪、さらに蒙嘉慧と、正式に認めた彼女は三人だが、鄭伊健はもうマスコミの嫌がらせには飽き飽きしているのか、どんなゴシップが飛び交っても、彼がマスコミに対する方法は沈黙のみ、たとえ大陸へ撮影に来ていたとしても、かなり口は固い。
インタビューのお約束として、ある記者が彼に「大陸で撮影をしていることが蒙嘉慧をがっかりさせるのでは、そのことが心配じゃないの?」と聞くと、鄭伊健は非常に冷淡にこのように返した。「あなたが記者をやっていることを、彼氏が嫌がるの?そのことが心配?だとしたらいつも破局だね。」その後すぐ大陸の記者は恋愛問題については質問を避け、彼も笑っているだけだった。陳小春はというとマスコミの前ではプレイボーイ然としている。張柏芝とはタイ旅行に行ってマッサージをしあうような仲だったが、最近査小欣のインタビューを受けて、大口をたたき、彼女の結婚のことは別に大した事じゃない、自分も謝夫人(張柏芝)とは一緒に住んでいたことがあるのに(実際は言い間違いで、自分でも近所に住んでいたことがあると訂正していた)と語った。以前は、短気な小春はよくパパラッチと衝突し、罵ったり手を上げることもあった。二人とも香港の芸能界は生き残るのが大変だと言い、維持していくための全ての原則や方法を確立してきたのだ。


南:お二人とも香港芸能界生え抜きのタレントですが、今の芸能界はだんだん生き難いと思うことはないですか?例えば新人の売りだしかたとか、マスコミの報道のしかたとか。

鄭:実際は全世界的に同じだよ。

陳:香港はもっと深刻だよ、俺はよくわからないけど。

南:では、お二人はこういう事に直面した時の対処法ってあるんですか?

陳:何のために対処しなきゃいけないのかな、俺はもともと対処はしてないよ、例えば今日ここでインタビューされたことが、次の日には新聞になり、雑誌が出る、でも俺は読まない。どうして?ペンってのは武器でもある、よく書けばペンに、悪く書けば刀になって人殺しをする。だからこの何年も、俺はこういう報道は一切見ない。しかも香港のゴシップ紙なんて自分が見ても何一つ利益にならないのに、見る必要がある?誰と誰が付合ってるとか、俺には屁の役にも立たない、彼や彼女に聞けなければ、彼等の両親や友達にまで質問するだろ、俺の態度なんて聞かなくていいよ、もし自分に利益が返ってこないなら、こんな仕事はしたくないね。

鄭:陳小春のこういう様子は本当にすかっとするよね、小春は時々こんな風に無作法になるけど、僕もあいつと同じ、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いだからね。

南:実際、たとえ大陸にいようとあなたの恋愛に関する報道は目に入ってくると思うのですが、こういう報道に対してはどう対処しますか?

鄭:そういう報道が始まった時は、僕は阿Q精神で、自分のことを面白がってばかりいた。でも後になって自分の反省や、学習したことを生かして、回りの人に影響を与えるべきだと思うようになった。なぜなら自分は中国人で、こういう伝統的道徳観念をもっている。僕の行為を通して彼等に影響を与えれば、影響は一人では済まないんだ。僕はインタビューの時にはとても真剣に自分のことを話して、次の世代のためになるといいなと思っている。例えば盗撮だけど、次の世代には出てきてほしくない。一人一人が他の人から尊重され、自分の空間をもつべきなんだ。

この時、陳小春が突然携帯電話を取り出して、本紙記者のことを撮ろうとしたが、記者はもちろん無意識に避けようとし、笑った。そのあと小春はこのように言った。「ほらね、君も笑うだろ」記者は彼の言いたいことがわかった。どんな人も、突然の隠し撮りという行為の前ではうまく立ち振る舞いできないのだ。インタビューが終った時、記者はこう聞いてみた。あなたたちは私たち大陸のマスコミと、香港のマスコミ、どちらが友好的だと思いましたか?陳小春はすばやくその言葉に反応して、頭を低く下げて、記者のほうに手を伸ばしてきた。そして鄭伊健はこう言った。「どんな場所でもいいところもあり悪いところもある、香港のマスコミは大部分が良くないけれども、いいところもある。僕は大陸にもパパラッチはいると思ってる」多くは語らなくても、二人の性格の違いが一見してわかった。それは「率直」と「中庸」の違いだ。


**********

ええと、ちょっと原文に間違いがあるので訂正…。
伊健が金馬奨のノミネートを受けたのは「暗戰2」じゃなくて「冷戰」。
あと、この文を読むと、一見伊健と小春に10歳の年の差があるように見えますが、同い年でしかも小春の方が3ヶ月お兄さんです。

どうも、インタビューの間は二人でずっと突っつき合っていたらしいです。とても来年不惑を迎える男どもとは思えません(笑)伊健は、小春といるとちょっとおとなしくなっちゃうんですかね?二人でいると、伊健のほうが落ちついて見える・・・なんて、ありえね~(爆)伊健、大細路じゃなかったのか?!それとも猫かぶってる?


性格や見た目は違うといいますが、二人はわりと同じようなことを考えているんだな、というのは感じました。例えば賞レースに対する思いとか、今後の仕事の方向性とか。袁小田のエピソードなんかも、伊健が話しそうなことなんですが、今回は小春のほうが話してたり。


最近よく、伊健は裏方へ行きたいという言葉を口にするのですが、正直ちょっと寂しいです。
ビジュアルが10年後も保ち続けられるなんてもちろんそんなこと、ファンの私だって期待しませんが、俳優はその年齢にあわせた役柄が続けていけるじゃないですか。若いアイドルが主役にとって代わるのは時代の流れとしても、それを支えるだけのきちんとした演技のできる、中年以上の俳優はもっとたくさんいないといけないと思うんです。俳優やるならまだまだこれからだと思うんだけど…もうこれで充分、なんて思わないでほしい。
あと、歌。別に大々的にコンサートを開いてくれなくてもいいから、歌だけは続けてほしいんだけどな・・。

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2006.11.12

『天行者』チャット

11月11日の新浪網チャットルームにて。(前編)
(後編)
昨日のチャットの模様を再録してくれたようなので、のちほど訳して載せたいと思います。「天行者」の話いろいろ。…しかし、呉嘉龍と伊健のペアルックって。(こう言っちゃなんだけど、これって“どろぼールック”では…帽子から何から完全にかぶってるw)。

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<前編>鄭伊健『天行者』を語る もう悪の道へは戻らない_新浪娯楽傅


香港の有名映画監督・脚本家の阮世生が監督し、鄭伊健、馮德倫、方中信、張智霖、狄龍、周麗淇、胡静、霍思燕、葛民輝ら多くのスターが参加した映画『天行者』がまもなく11月14日から全国で公開となる。11月11日夜6時、監督の阮世生、プロデューサーの方平、主演の鄭伊健と呉嘉龍が新浪網広東チャットルームのゲストとして訪れ、ネット民のみなさんと映画の裏話や物語の詳細について語った。以下はチャットの採録となる。


司会:新浪網をご覧のみなさん、こんにちは!ようこそ新浪チャットルームへお越しくださいました。皆さんはもう今日のゲストが誰かはご存知ですよね、そうです、有名な俳優の鄭伊健さん、呉嘉龍さん、それから名監督の阮世生さん、辣腕プロデューサーの方平さんです。

鄭伊健:こんにちは、鄭伊健です。
阮世生:こんにちは、監督の阮世生です。
呉嘉龍:こんにちは、呉嘉龍です。
方平:こんにちは、方平です。

『天行者』は運命と人との関係を探る 『古惑仔』は単なる宣伝文句


司会:みなさんは廣州へ『天行者』の宣伝にいらっしゃったわけですが、阮監督にお聞きしたいのですが、監督であると同時に脚本家として、『天行者』はどのような映画にしたいと思ったのですか?

阮世生:実際これはある一個人の物語ですが、私はそこに関わってくる全ての人々の物語を撮るのが好きです。たとえ彼が警察であれ黒社会の者であれ、あるいはクロでもシロでも、私は興味を持って撮影しています。

司会:なぜ『天行者』というタイトルにしたのですか?何か特別な意味があるのですか?

阮世生:実はこのタイトルは、私たちが長い時間かかって討論してようやく決まったのです。劇中で描かれる「天」と「人」との関係に大いに関係があるからです。

司会:私たちは映画の宣伝ポスターに『古惑仔、渡世に戻る』とコピーが打ってあったのを見ましたが、これは合っているんでしょうか?

阮世生:一般的な言い方ですよ。たぶん他の場所でも宣伝になるからでしょうね、この地方でだけ古惑仔と書いているわけではないです。

鄭伊健:古惑仔は僕が以前演じた映画で、でも今回の『天行者』にはまた別の風格があって、古惑仔とも違う点があります。やはり僕たちの人生について語るもので、実は監督が言いたいことは、僕らが最初はこのような人であったとしても、後からどのようにでも自分の運命は変えられるのだということです。


鄭伊健は生まれ変わってももう一度自分になりたいとは思わない 賞を望んだこともない


司会:鄭伊健さん、あなたが劇中で演じる葉秋について、どこが以前の古惑仔と違うのか、ちょっと説明してもらえますか?

鄭伊健:全く違いますね。『天行者』はとても複雑で、名前一つ取っても全く同じではないと思います。

司会:今、あなたはかつての『古惑仔』シリーズをどのように見ていますか?

鄭伊健:僕はその後もたいへん多くの映画を撮ってきました。例えば『風雲』とか、実際本当に様々な種類の映画です。僕は俳優ですから、いつまでも以前のことを言われるようであってはいけないし、いつも変化があるようにしたいと思ってます。

司会:今回の演技と以前の演技ではどこが違いますか?

鄭伊健:監督の要求はいつも同じではありません。昔の演技のやりかたとは同じではないです。僕と陳小春が共演した時は、たぶんそのほとんどが自分の中で作ったものでしたが、今回は監督の要求は非常に高く、それは、監督がそれぞれのキャラクターを非常に鮮明にしたかったからで、僕は葉秋として、方中信は警察官として、一人一人が出す風格は全く違います。今日のこのインタビューの時点では、まだ皆さんはこの映画を見ていないと思いますが、もし見たことがあるなら、たぶん別の感覚を味わっているだろうと思います。

司会:この映画で賞が獲れそうですか?

鄭伊健:僕は最初からそういう方向で考えたことはないです。でも、一番楽しめたのは監督との仕事、それから他の俳優たちとの共演ですね。得たものは、この映画の製作の過程で、その過程の中からもかなり多くのものを得ることができました。


鄭伊健と張智霖の共演は、既に息のあったものか、それとも見知らぬ者同士だったのか


司会:この映画の中では馮德倫、方中信、張智霖、周麗淇などなど、大変多くの俳優による華やかな演出がありましたが、この中でほとんどの人と共演したことがあるんですよね?

鄭伊健:大部分が初めての共演ですよ!張智霖とは前に共演したことがあったけど、同じシーンはなかったから基本的には初めてだね。僕はとても嬉しかった。例えば張智霖についてだけど、彼とは知り合ってずいぶんなるのに、この映画が初めての撮影で、一緒に撮影している時はよく知っているようでもあり見知らぬ相手のようでもあった。僕らは知り合ってから長いけど、僕は彼にもいろんな事情があったことは知っているし、彼も僕がこの世界でどんな経歴を経てきたか知っている。だからおしゃべりしている時も、演技の時も、とても大きな助けになっているんです。

司会:監督とは初めてではないですが、今回は何か特別な感想はありますか?

鄭伊健:とても楽しかったですよ。

呉嘉龍:僕は鄭伊健に引っ張られる 方中信はアニキ


司会:呉嘉龍さんは伊健に対してどんな感想をお持ちですか?

呉嘉龍:実際とてもいい人です。僕も彼にリードしてもらってます。

司会:他の俳優との共演はどうですか?

呉嘉龍:方中信との共演もよかったです。僕たちは同じシーンが比較的多かったんです。彼も僕にとってはアニキのようだと言えます。関係はとても良かったです。


阮世生は俳優の表現に満足 男性の演技も女性の演技も大事


司会:監督は彼等の表現についてはどう見ていますか?

阮世生:その人の過去ではなく、現在を見るべきだと思います。私はほとんどの俳優の演技については非常に満足しています。俳優はみんな私とプロデューサーと話し合っていて、誰が誰を演じれば最も適切か考えました。彼等もみんな私たちの大好きな俳優ですし、それにこういう役をやってくれ、と頼んだら、どんなに難しい役であっても、彼等は自分の特性を充分発揮できました。これが最も重要です。彼等はみんなとても努力して演じてます。

司会:鄭伊健さんや呉嘉龍さんの外にも劇中には多くの俳優が出てきますね、例えば方中信、黎耀祥、狄龍、馮德倫などなど、この人たちの劇中での表現についてそれぞれ語っていただけますか。


阮世生:実際、どの俳優も大変誠意をもって演じています。私たちもそれほどの超大作を作っているわけでは
なく、出演を依頼したときに言ったのは、場面がせいぜい多くても8シーンくらいしかないので、一人でそんなにたくさんのシーンに出ることはありえないということです。こんなにたくさんの俳優がいますからね。だから俳優たちは自分の出演シーンには大変気を使っていました。例えばある一つのシーンがあったら、それをどのように演じるか?俳優同士の間にも葛藤がありますが、私は良い演技を求める。だから彼等もがんばって演じてくれます。

司会:劇中には男性俳優ばかりですが、この映画は男性中心なのでしょうか?

阮世生:はい。でも出てくる女性は全員非常に重要です。もしこの映画を見たら、きっとそれぞれの女性が少なからず出てくるということを感じると思います。

司会:登場人物が多いことで構成が荒くなる心配はありませんか?

阮世生:いいえ。登場人物はそれぞれが自分の物語を持っていますし、俳優はそれぞれ自分が何を演じているのかわかっています。私は、見終わった後も記憶に残るのが映画であってほしいと思っています。


方平:人物が面白ければ観客も満足する


司会:プロデューサーはいかがですか?

方平:私たちはこんなにたくさんの俳優たちに演じてもらっています、何人かについてはもう言及しましたが、実際映画というのは見る側や、演じる人によるもので、演じる者がおもしろければ観衆も満足するものと信じています。さきほど、司会の方は登場人物が多くなれば印象が弱くなるのではと言っていましたが、実際のところ映画というのは人が集まってできるものですから、どんな役柄であろうと、人物が多かろうと少なかろうと、その役柄がただ突出していることが必要となります。しかも彼等にはそれぞれキャラクターがありますから、組み合わせることで映画は面白くなると思うのです。


鄭伊健:もう古惑仔はしない


司会:伊健さんは、この映画で最も注目してほしいところはどこですか?

鄭伊健:僕は今の映画の考え方というのは比較的現実的だと思います。この映画は真実じゃないけれど、見た後自分の人生について考えさせられるものです。この映画ではひとりの古惑仔であることから始まりますが、実際はそれぞれの人生ととても近いものがある、見終わった後に人生についての自分の考え方が改まると思います。

司会:十年後もう一度「古惑仔」を演じるのはどうですか?

鄭伊健:僕はちんぴらじゃないし、もうやらないです。

司会:劇中にどんな相似点がありますか?

鄭伊健:多くの事情に直面すれば困難はあります。どんな角度から直面するか、楽しいか楽しくないか、ストレスのあるやりかたなのか、総じて重要なのは人生におけるストレスや、恐ろしい出来事に対する想像力です。実際、想像できれば簡単に対処できます。

司会:出演してみたい映画や共演したい俳優はいますか?

鄭伊健:たくさんね、まだ共演したことない俳優とはみんな共演したいです。


阮世生、香港映画の特色を語る 泥棒の映画を撮りたい


司会:監督は何か取り上げたい題材はありますか?

阮世生:ありますよ。僕は泥棒の映画を撮りたいんです。自分の命の危険を冒してまで何でも盗める、というのは刺激的ではないですか。こういう考え方もありです。

司会:監督のここ数年の映画を見ていると、基本的には年に1本のペースで作られていますが、わざとこのようなスケジュールにしているのでしょうか、それとも脚本の要求が高いからなんでしょうか?

阮世生:要求が高いのは絶対的です。私とプロデューサーは去年の11月頃から、『天行者』のストーリーの相談を始めているので、こういう映画を一本撮ろうと思ったら、脚本を書いてもらって、それから俳優を選んで、ロケハンをして、撮影して、製作後の宣伝などなど、一年はゆうにかかります。私は今の映画は観衆の要求が非常に高いことで持っているので、何でも好きに作ればいいというわけではないと思っています。


司会:『完全結婚手册』は阮監督が監督されていますが、同じ期間の間にラブコメディを監督したり、ガンアクションの映画を撮影されたりしていますが、ご自分では最も得意な分野は何だとお考えですか?

阮世生:実のところは物語は語る人によるということですね、でもストーリーについてはもっと気軽に言うなら、舞台が同じでなくても、見た後に悲しくなったり、どうしようもない気分になったとしても、ストーリーにはそれなりの意義があるものだと思っています。

司会:最近監督が撮影していらっしゃるのはみんなラブコメディーですが、どうして突然今回はアクション映画に転換しようと思ったのですか?

阮世生:実は私は以前はほとんど刑事ものばかりを撮っていたのですが、でもたぶん今撮っているものには現在ならではの感覚があり、だから何を撮影していようと、自分が撮りたいものがより良いというわけではないですね。

司会:ご自分の『無間道』の後、似たような雰囲気の映画が非常に多くなってきていますね。王晶監督や、杜琪峰監督らの撮っているような映画について、このような現象をどのようにご覧になっていますか?


阮世生:実は、彼等の撮っている映画はどれも素晴らしいと思ってます。アクションと刑事もの、ヤクザもの、どれも非常に強烈な映画で、私はこれこそが香港映画の特色だと思っています。


(後半に続く)


<後編>

「鄭伊健、頭を剃って生まれ変わったと語る 恋愛については黙し監督になりたいと語る」


方平:映画はもともと大衆の娯楽


司会:方平プロデューサーはヒット映画を数多く手がけてきました、例えば『旺角黒夜』『千杯不酔』などですが、刑事ものについてはどのような期待をお持ちでしょうか。

方平:刑事ものは面白いですよ。映画は実際は娯楽ですから、刑事ものにも私たちは娯楽的であると同時に、一つのメッセージを伝えるものであってほしいと思っています。例えばこの『天行者』について言えば、私たちは鄭伊健、それから阮世生のところへ行って、この映画を撮る前からいつも一緒に、一般的な刑事ものを撮るのか、それとも特別な刑事ものを撮りたいのか、といった話をしていました。さきほど監督は準備期間に一年かかると言いましたが、本当に必要なんです。私たちはまだ準備が必要ですし、脚本もそれほど簡単にできるわけではありません。パソコンのキーを一個押せばOKというものではないのです。私たちは伊健、それから俳優たち一人一人に言いました。彼等はその通りだと思い、またそうではないと意見する者もいました。私たちは、どんな問題も粗略に扱っていないと感じるまで元に戻って相談し、すぐに改めました。一つ秘密をお話すると、これは大変幸福なことでもあり、しかもいいことです。良い俳優がたくさんいたら、自分から売りこみに来るでしょう。自分で監督に電話してきて、これこれこういう映画に出たいと訴えてくる、これは私たちには大変嬉しいことです。

司会:資質ある優秀なプロデューサーとなるための心得は何ですか?

方平:私の一番大事にしている心得は、自分の良心に背いてはいけない、ということです。私は何でも撮影できます。二十日、十日では映画が撮れないという人がいますが、できます。全然大丈夫です。どうしたらそう思えるのでしょう。私たちは自分たちに一つの原則を課しています。つまり妥協しない、自分が出演を依頼した俳優に申し訳ないことはできません、たとえ映画が売れようと売れまいと、私たちはこの原則に従います。この原則に従いさえすれば、多くの映画はすばらしい出来になります。

司会:将来的に映画はどのような方向へ向かっていくとお考えですか?

方平:私の見方はこうですが、映画は本来大変大衆的な娯楽だと思います。ここ数年来、映画は市場の流行りに流されることはほとんどなくなりました。以前はありました。例えば、一つ当たれば時代劇や、あるいはみんながアクションものを撮ったり、ギャンブルものを撮る。今は主流になる映画に左右されることはなく、何でも撮影することができます。これがひとつ。もうひとつは、いろいろな俳優を使うべきだということ、映画で当たったからと言って同じ俳優ばかり使うのでは、映画には何の意味もないのです。


鄭伊健は『霍元甲』のために頭を剃る  自らを生まれ変わったと語る


司会:今日は伊健さんは帽子をかぶっていますが、『霍元甲』の撮影のために頭を剃ったんですよね?

鄭伊健:そうです。

司会:犠牲は大きかったのでは?

鄭伊健:いいえ、生まれ変わった気分ですよ。僕にとって坊主頭は初めてですが、つるつる頭を見たらたぶん自分じゃないように思うかもしれないし、ちょっと自分が変わったようにも感じます。だから、俳優じゃない方もちょっとやってみると良いです。実際は悪くないですよ。

司会:犠牲ということで言うと、伊健さんは演技の面ではどんなことが耐え難いですか?たとえば特殊メイクで醜くなるとかはどうです?

鄭伊健:耐え難いことはありません、一番大事なのは監督がどんな角度から僕を見ているかですね。

司会:呉嘉龍さんはどうですか?演技の方面ではどんな尺度をお持ちですか?

呉嘉龍:僕の以前の演技はあまり大胆でも刺激的でもありませんでした。他の俳優はもっと大胆だと思います。自分の演技はまだまだ大胆さが足りません、でも脱ぎませんよ(笑)。


鄭伊健は『霍元甲』はチャレンジだと思う カンフーで怪我をしないことを祈る

司会:伊健さんはまもなく『霍元甲』の撮影に全力投球するんですね?

鄭伊健:はい。

司会:古惑仔から一大侠客になるわけですが、どうして『霍元甲』を受けたのですか?

鄭伊健:これは大変大きなチャレンジです。その前にはタイで『ウルトラマン』の撮影をしましたが、こういう機会をもらえてとても嬉しいです。子供の時からウルトラマンが大好きで見ていたので、こんな役を演じるのは本当に素晴らしいチャンスです。

司会:『霍元甲』ではどのようにブレイクしようと思ってますか?

鄭伊健:僕が出演するのは連続ドラマで、実際は俳優それぞれが自分の考えかたがあるので、見たときにみんなが違う感想をもつでしょう。

司会:アクションに関しては、出演前に何か特訓しましたか?

阮世生:実は彼、普段からスポーツは得意ですよ。

司会:では武道のほうは?

鄭伊健:もちろん比較できないです、僕はテレビ局の出身なので、スタントは使わず、全部自分でアクションして撮影して、そのドラマは海外で売れましたよ。実はもうずいぶん鍛えたんです。怪我をしないことを祈ってますよ。

司会:このドラマには陳小春も参加しますね、彼はどんな役で?

鄭伊健:陳真です。

司会:では女優はどんな人が出ますか?

鄭伊健:それは秘密ですよ。

司会:いつ撮影が終りますか?

鄭伊健:たぶん来年には。


鄭伊健の目標はもういちど紅館でコンサートを開くこと


司会:CDを出す予定はないんですか?これは多くのファンからの質問です。

鄭伊健:僕の使命はもう一度紅館(香港コロシアム)でコンサートをやること、これは目標でもありますね、ドラマの撮影が終ったらスケジュールを組まないと。

司会:仕事のことはたくさん語っていただきましたが、私生活の伊健さんはどんな人ですか?

鄭伊健:僕はとても気ままです。仕事以外では、スポーツも大好き、ショッピング大好き、みなさんと一緒です。僕本人はわりと単純で、気ままで、わりと楽しむほうです。

鄭伊健はバドミントン好き 蒙嘉慧との恋愛にストレスなし


司会:普段いつもスポーツを?

鄭伊健:たくさん運動します。バドミントンもね。

司会:香港のマスコミはあなたと蒙嘉慧はバドミントンで愛を育んだと言ってますが、そうなんですか?

鄭伊健:あー・・僕は次回作ではバドミントンの映画が撮りたいです。

司会:いまは大陸でドラマの撮影中では、蒙嘉慧との仲も冷めてしまうのでは?

鄭伊健:仕方ないね、仕事はしないとね。

司会:俳優であるがゆえに、恋愛でストレスを感じることはありますか?

鄭伊健:いいえ、ありません。

鄭伊健はアクション監督がやれて嬉しい 希望は映画監督をやること


ネット視聴者:タイで撮影したときにアクション監督をやったそうですが、感想は?

鄭伊健:とても嬉しかったよ。

阮世生:全てのアクションは自分でやるものだから、どこをどう打ったらいいかはっきりわかっているし、タイにもアクション指導の先生はいて、一晩中明日の撮影ではどういうふうに撮ろうかと相談したので、みんなわりと安心していたし安全でした。

司会:ではこれからは俳優と同時に、もっと裏方の仕事もしていくのですか?

鄭伊健:僕も映画監督をやってみたいんです。

阮世生:できるよ、できるはずさ。

ネット視聴者:もう一度紅館でコンサートをやりたいそうですが、来年ですか?

鄭伊健:僕もそうしたいけど、自分ではなんともできないからね。何曲かいい曲を出したいね。

ネット視聴者:伊健、あなたの映画はとてもいいです、来年は主演男優賞を獲ってください。

鄭伊健:主演男優賞もいいね、でも僕はもっとたくさん映画を撮りたいね。

『天行者』は良い成績を目指す 観衆が満足してくれることを望む

司会:みなさんは映画の宣伝で廣州にきてますので、この映画のために一言おねがいします。

鄭伊健:映画は映画館で見てこそ味わいがあるもの、もちろんVCDを買って見る人もいるでしょう、でも僕たちの作った映画のある場所は映画館なのです。映画は夢の工場のようなものです。僕はみんなが映画館に足を運んで見てくれるといいなと思います。

阮世生:この数年、私たちは多くの大作を見てきました。時代劇、アクションなどなど、でも皆さんはそれほど不満足でもなかった、だから皆さんにもこの映画を見て欲しい。私は見る価値はあると思うし、見た後はきっと忘れられない映画になると思いますよ。

呉嘉龍:鄭伊健も、方中信も出てますから、実際ストーリーもたいへん良いですよ。

方平:私は皆さんが映画館で見てくださることを期待してます、私たちもこんなに多くの人々が参加して心血そそいだ映画ですから、皆さんが満足してくださることを願っています。


司会:
みなさんには、本日は大変お忙しい中を時間を作ってチャットルームに来て頂き大変感謝しております。インターネットを通して見ていただいたみなさんもありがとうございました。本日はこれにてお開きとさせていただきます。


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2006.11.11

明報インタビュー:どん底からの脱出

11月9日 Sina.com(明報)

鄭伊健 どん底からの脱出


鄭伊健は言う、見てくれる人がみんないつまでも心に残るような役をやりたい、もう何年も前になるが記憶にいまだ鮮明なところでは、發哥(周潤發)が『男たちの挽歌』でやったようなマーク哥の役や、『誰かがあなたを愛してる』で演じたサンパンなど・・伊健は忘れてしまったのか、あるいは謙虚なのか、彼だってかつて観衆に深い印象を与えた役を演じている…『古惑仔』の陳浩南、『風雲』の聶風に、『中華英雄』の華英雄はそうでしょう?

でも、どれだけ人気を博しても、たった一つの『情』という字(梁詠琪との恋愛)によって人気は落ちこみ、人は去ってしまった。最近になって、彼と蒙嘉慧との交際が伝えられると、みんなまた『情』という字が彼の仕事に影響をあたえるのではないかと心配した。けれども今回は、みんなもこの「蒙麺恋」を普通に受け入れ、それに仕事も前より増えてきて、YOYOは伊健にとってあげまんだとまで言われるようになった。

「蒙麺戀」が観衆に受け入れられるようになると、今度はこの2人が一番ゴールインに近いカップルだとか、できちゃった婚に発展するのではという人まで現れた。

伊健はこの意見に大げさに反応する。「ばかな!変だよ!結婚?そんなに早いわけないよ。運命は自分の手でコントロールするもの、誰か(占い師)に何か言われたからって聞くものじゃないよ。将来のことは誰にもわからない。僕が『我相寫我心』の中で書いたようにね:『ひとつの恋が始まるのは難しく、終らせることも難しいといわれている。僕はどちらも難しいと思うけれど、関係を保ち続けることほど難しいことはない。ただ全力を尽くすだけ、でもそのがんばりは相手のストレスにならないようにしないといけない、ちょうどよく、というのはとても難しい。』」

上を見ればきりがない、下をみれば充分すぎる

2人に結婚の予定はないの?彼はまず、「ない」と否定してから補足した。「2人ともどうしていったらいいかわかってる。結局は、目下のところ発展中なんだ、そんなに結末を迫らないでよ」

伊健はYOYOとつきあいだしてから、以前に比べ明るく、おしゃべりになったと言われていることを否定して、自分では前からこうだったという。しかし事実は明らかだ。伊健は、人生には山も谷もあり、時期がくれば谷底から抜けるものだと言い、彼はまた自分をネタにおどける。「僕は敢えて言わないが、たぶんまだ最低のところが見えてない、もっと下があるかもね」
彼に、いつ洗礼を受けるのか(YOYOはキリスト教徒である)と聞くと、笑って、「わからないよ」と言う。

沈んでいた頃、伊健は楽しくなかったと言っていたけれど、楽しくない原因は仕事のことではなくて、人気が下がると共に棘のある報道のされかたをしたことだ。

彼は言う。「人生は山を越えるようなものだ。登ったり下ったり、低い所がなければ高いところなんてあるわけがないよね。苦しみを経験しなければ人生の甘みはわからないよね。世の中の事に永遠なんてものはない、一番大事なのはその過程を楽しむことなんだ。僕は自分に問いかけた。もう自分は充分稼いだ、学校の勉強は良くなかったし、それに利口な人間でもない、ただ成長した普通の子供と同じだろう。芸能界に長年いて、お金も稼いでたくさんの知識と人生経験を積むことができた。生活はどう?上を見ればきりがない、下を見れば充分すぎるほどだ。」

願いは成績表に一つの星を残すこと


伊健は続けて、「人はそれぞれ性格も必要としているものも違う、僕はもともと他の人と比べたりしない。いつもいろんな所を訪れたり、世間のニュースを見て感じることは、僕は他の多くの人よりもすでに幸福だということ。実は仕事が落ちこんでいた時、僕はもっと嬉しかった、以前には僕はただ歌うこと、演技することに一生懸命で、このチャンスを逃すわけにいかないと思って両方とも気にしていなければならず、結局どちらも中途半端になってしまったからなんだ。もっとも悲しいのは家族や友情や愛情を犠牲にして、自分が勉強したいと思うことを学ばなければならなかったこと。失ったと同時に何ひとつ残らなかった。自分を取り戻せて僕はほんとうに嬉しい、仕事がある時は、僕は全力で取り組むだろう、他の人からどのように見られようと、どのように言われようと、もう怠けたりしない」

鄭伊健は演技を知らないのでは、という批評もあるが。

彼はおちついた様子で語る。
「演技を知らない、僕は何年も仕事してきたが、金馬奨にもノミネートされたことがある、もちろん成績表に星をつけたい(賞をもらいたい)、でも賞はその俳優が芝居を知っているか、ということを計るものではないはずだ」

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2006.09.08

鄭伊健・絶対新鮮(2)

イーキン一問一答


成報(以下「成」):いつ頃が最も不安でしたか?

伊健(以下「伊」):2001年だね。CDとか、契約問題とか、映画が変わり始めてたり。仕方なくコメディを撮らなくてはいけなくなって、この頃が一番不安だった。当時、友達と喧嘩になると、あいつもダメなやつ、こいつもダメって疑っていたけれど、実際は本当にダメなのは自分だった。この時が一番深刻だったと思う。安心感がないと、人はイライラし始めて、考え方も偏る。なんですべてが上手く行かないのかと思うけど、その人個人に問題があるんだ。

コメディに転向し適応すること

成:コメディに転向したのはあなたの希望?新しい路線を試してみたいって言ってたけど。

伊:違う。当時はどうしてもやらなきゃいけないってわかったからだ。第一の理由は、俳優ならばやるべきで、第二の理由は、市場が変わってきたと思ったこと。もし自分がやらなくても他の人がやるだろう。俳優は自分の壁を乗り越えなければならない、とても変だけど、昔の僕はこういうことを知るべきだったんだ。ある一定の成績を収めた時、人が一番恐れるのは死だ。ゼロの時は死ぬのも怖くない、ゼロから始めればどんなことがあってもなんとでもなる。一旦成功してしまうとすぐ「嫌だ!」と思う、例えば髪を切る時「髪なんて切らないで、今のイメージはこれなんだから」と言う。
でも本当は、僕の性格からすると、きっと切ると思う。本当は髪の長さなんて僕の好きなようにできるんだ、でも切らなかった。どうしてって?失敗するのが怖かったからだ。タレント養成所を出た時は、何でもしなければいけなかった。でも僕は、これまでのステップを通ってきて、自分が一人の俳優だということを忘れてしまっていた。俳優はなんでもやらなきゃいけない、できるなら、自分にまわってきたことは自分の持てる全てをかけてやるべきだ。

成:だからコメディもやってみたんですね?

伊:とても楽しかったよ、始めは好きじゃなくて受け入れられなかったけれど、だんだんエンジョイし始めてとても面白くなった。でも特別にオーバーすぎるような役はとても苦労したどね。

チャンスはきっと来る

成:自分に強制したんですか?

伊:そうさ、だからある監督には、君はこうしたほうがずっといい、と言われた。今もまだ自分のスタイルを探し続けている。

成:他のタレントもこのような段階を通るものですか?

伊:そう。多くの人がみんな言うように、実は芸能人をやっていると、その人がどんなことをやってきたか思い出されなくなる。例えば偉仔(梁偉朝)だけど、彼は昔くだらない映画にもたくさん出てきたけれど、そのことを覚えている人なんていない。成功したことだけは覚えていてもらえる。それすらなければ、どうして今生き残っていられるだろう?

成:一番大事なことは、続けていくことと、自分に合った役にめぐり会う機会ですね。

伊:かならずしもそうじゃない、サンサンとも時には意見の別れる時があって、彼女はこうすべきだと思い、僕はああすべきだと思っていたけど、最終的には仲直りした。アン・リー監督は8年待った。彼も何もしてこなかったけれど、8年間一つのことを待っていた。時には、「何かする」ことが間違いかもしれない。運の悪い時には何をやってもすぐ上手く行かないと言われる。後で、よく気をつけてやればよかったと思っても、だめなときはだめなんだ。


成:その時どんな方向に向かうと決めて、何をし、また何をしませんでしたか?

伊:実は、この段階ではどうしたらいいか全然わからなかった。つまりあの人もこの人も間違っている、自分だけが正しい、と思っていたから、その時の意見の違いについてサンサンと話して、お互い別れようということになったのだけど、結局踏みとどまりこんな約束をした:
「昔のように、お互い「信」の字を使いましょう。今年はまだ半年ある、最終的には、私(サンサン)がやると言ったことを、伊健は全力でやらなくてはいけないし、私がやらないと言ったことはやらない。どうするか決めるのは伊健だよ。」
「じゃあ、この半年の間に、サンサンがしなきゃいけないと言ったことを、僕は全力で一生懸命やるだけだ。」
半年をすぎた後、誰もそのことは持ち出さなくなっていて、僕も契約書にはサインしないままだった。


成:でも、この件はあなたにとっていい試練になったのでは?

伊:以前、長いことスター歌手でいたから、僕は甘やかされるのに慣れきっていて、すぐ「そんなことしなくていいよ」だった。たぶん気づかないうちに周囲の人につらく当たっていたと思う。以前は歌手は王様みたいなものと思っていて、「これはやらない、いつでも辞めてやる」と言えた。でもこういう試練の時にこそ、きっと周りの人のことを理解できる、もともと、みんながとても苦労している。自分を助けてくれる人はとても大事なんだ。

空間をとりもどす

成:あなたの頭の中で、失敗と復活の数を数えたことはありますか?

伊:転ぶも起きるも一回起きあがるのと同じ、はっはっ、数えたことはないよ。実は、高いも低いもどちらも感じている、今の考え方はこうだ「僕はまだ元気だし、どうしてそこが頂上かどうかなんて解る?たぶん今度転職したときもまだ頂上にいるかもしれないのに!」次に何をしているかなんてわからない、かならずしも芸能人じゃないかも、もしかしたら政治に関わるかも、あるいはどこかで農場を開くかも、それでも低くなったとは感じない。つまり僕が学んだことは、絶頂期というのは本来、子供を生んで、その子供があっというまに大統領になる、たぶんそういうものだ。

成:恋愛の渦中から離れて、いいスタート地点に立てているのではないですか?

伊:OKだよ、僕はこの段階がとても面白いと知った、今僕は、そういうものを智慧とか、経験とか、あるいは空間と言ってる。とてもいいよ。この時間は、最初は少し慣れないけど、今はとてもいい感じだ。周りの人がみんな僕に言うんだ。「しょうがないよ、仕事のことは気にするな、人がみんな君とおなじ階段を上るわけじゃないのだから」

苦悩が楽しみに変わる

成:今はどんな段階ですか?

伊:結局、楽しくない状況では永久に最高の仕事はできない、自分を高めることが一番いいね。いいプロデューサー、いい俳優に巡り会い、みんなよく話し合って、楽しんで、そうすると僕はすぐ怠け者になって、戦闘力が下がりはじめる。この環境を「だめだ、こんなことではいけない、がんばらないと」と思うとまたがんばれる、今もずっと同じだ。…実は、今もこういう時になると頑張らないといけないって思う。昔なら面倒だと思っただろう、「だめだ、半分やったら帰ろう」って。今はこの面倒が楽しみに変わった。別の態度から見ると、とても面白いんだ。昔は歌を録音するのに時間がない、また練習しないといけない、また撮影しないと、というのがとても辛かった。今はじっくりできると思うし、眠らなくても大丈夫だよ、それも面白いと思えばね!


成:いつからそういう態度になったんですか?

伊:1999年で、いわゆる「停滞期」が始まった頃、恋愛、CD発売、契約に問題があって、映画のパターンも変わってきた。時間の経過とともに次第に始まり、だんだん変っていくものだ。当時はとても辛かったな、それが楽しみに変るなんて思えなかった。ただ悲惨に悲惨を重ねただけだった。もともとやりたくなかったことを、無理してやらなければならなかった。でも仕事に対して神経が太くなって、かえってちょっとした楽しみを探すようになった。遠くから引いた目線で見ると、自分のことが見えるようになるんだ。

成:二つの恋愛を経て、自分自身にどんな新しい発見がありましたか?

伊:実際のところ、とても複雑だよ!僕の恋愛における態度が、他の人から見るととてもバカみたいに見えるらしいということはわかった。実は、小さい頃から聞かされてきたことなんだけど、僕の父は大陸から香港にやってきて、母は孤児だった。2人はある工場で働きそこで知り合って、すぐ意気投合して、結婚して今に至っている。僕の家族の態度は、つきあわないか、つきあったら即結婚。すごく大胆なことを言う(最初の恋の時に「一生面倒をみる」と言ったエピソードのように)。当時の生活はとても単純で、でも実は、僕は簡単に女の子と友達になれるような人間じゃなかった。中学校は男子校だし、どうしてかわからないしとても変だけど、好みがすごくうるさくて、自分で選ぶもの、買うものは絶対気に入ったものでないといけない、つまり全てにパーフェクトじゃないといけなかった。僕の家族、妹や兄も同じだ。たぶん両親の教育のうちの一つで、2人が現在までとても仲良くしているのを見て、自分もそういう人になりたいと思っていて、だからつきあっている過程の中で、どの子とつきあっている時も、その彼女一人だけを見て、他の人に見向きもしないんだ。恋愛というのは本来そんなに簡単なものじゃない、童話じゃないんだ。両親は例外中の例外だよ。

成:最初の恋愛を通して、自分の性格や相手に対する要求はどんなふうに変りました?

分担を学ぶ

伊: 何事も、すべてを抱え込むことなどできない。もともと人は自分だけの空間を必要としている。僕が初めてそれを感じたのは、最初の恋愛でつまづいた時で、自分には始めから空間などなかったんだ。僕はすべてを抱え込んでいて、でもきっといつか爆発していただろう。自分に場所をあたえなくてはいけないと感じたが、まだなにも学んでいなかった。二度目の経験でようやく学んだ。もう一つは人とわかちあうこと。どうやって人と何かをわかちあうか、それを学ぶのは難しい。一つの会社があるとして、僕はそこの社長で、全部面倒をみる立場、受付さえも自分がやって、すべてを見るのは自分、それがさほど大変じゃないとしても、絶対に分担することは必要、社員には仕事を与えて、それから成果が返って来ることを待つべきなんだ。
僕が研究したところによれば、友情というのはいつでも、始まる時はお互いがとても積極的になる。実は、僕はこんな歌を書きたいと思っている。本当に好きな人と出会った時、その時の勢いは周りのすべてに伝染して、会った女の子みんなが「みんな良く」見えるような時、お互いに気があると、気持ちが盛り上がってくる、それからとても熱心になって、知らず知らずのうちに熱烈に好きになっている。だれもが同じ、どんな恋愛も始まりはかなり積極的で頑張るものね。

成:寛容はどれだけ必要か、受け入れられないことがあったとき、どのように解決するべきだと思いますか?

追いかければ追いかけるほど見失う


伊:僕は普段、わりと率直なほうで、一番悪いところは、完全に自分をさらけ出してしまうところ。でも、みんなは努力する、何のためかわからないけどいつも頑張っている、頑張るのって一種のパワーなんだろうか。これは仕事の上だけのことじゃなくて、或いは芸能人だけじゃなくて、香港人みんなが同じだとわかった。後でみんな疲れて、もう二度と頑張らなくなる。だから今は、多くの人の結婚や恋愛の失敗が、もう努力しなくなってしまったことにあるそうだ。昔の人はとても単純だよね、家庭が一番だったから。昔は、女性は家庭にいるのが一番で、男の人がいたら、その人の後ろに隠れていればよかった。でも今は違う、おそらくみんな対等だ。僕は長い事研究してきて、自分のことも研究しているけど、以前の恋愛のことも、本当はとてもよかった、それは最初のうち僕の仕事が少なくて、お互いの関係もよかったからだ。僕は心地よかった関係のことがずっと頭にある。
本当は、人は簡単なことで気分よくなれる、だけどだんだん複雑になってきて、みんな自分に注目するようになる。
林珊珊は言う。「やるの?やらないの?」「やるよ」そんなふうにして歌って、映画に出て、歌って、映画に出て、そうやって本当の自分は別の人に変っていった。憧れから始まったことが達成した後、自分がどこに向かうのかわからなくなる。目覚めて天井が見えた時、ここはどこだっけ、どこのホテルだっけ?台湾だった、というように。自分が変り始めたと感じると、以前は必要だったものが、次第に要らなくなりはじめる、それは既に自分の姿が変ってしまったからだ。じゃ、必要な物って何?

世界を見るのにパートナーが必要

伊:コンサートが終った後、実はとても迷っていた。自分が何をしてきたかを覚えていなかった。コンサートは一つの目標で、あんなに苦労して香港コロシアムでコンサートを開いた、本当だ!わあ!じゃあ、楽しかった?わからない。恋愛はどこに向ってる?わからない。なんのためにここにいるの?それもわからない。とっても変だ、疑問がいっぱいで、とても好き勝手で、それなのにどうしてなのかわからない。

成:実際、あなたはかなり長い時間受身で、人に動かされていたようですね。

伊:人生なんて本当は受動的なんだ。

成:でも、自分から動くとちょっと気持ちがいい、つまり、本当はどれだけ必要で、何が充分なのか自分で決められますから。

伊:そうだね。今は実はとてもシンプルなんだ。僕は本当に思うけど、お金は決して足りていない、でも結局はこう思ってる。もしだれか僕と一緒に世界を見に行ってくれる人がいたら、それでもう充分満足なんだ。目で見ることがとっても大事、実は自分は井の中の蛙だから。

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2006.09.02

鄭伊健・絶対新鮮(1)

2006年8月29日 成報 ロングインタビュー


鄭伊健は絶対に新鮮

愛情の渦から自由になった後、彼は一人で再出発した。今年は長い夏休みをもらったかのように、ウルトラマンを演じたり、タイに7回も行ったり、長い時間バドミントンに興じ、余暇にはボランティア活動をして、英語を一生懸命勉強し、両親と一緒に食事をした。以前は身近な人とはただ顔を合わせるだけ、舒淇のような親しい友達にさえ1人で会いに行くことはなかった。今は、生活圏も広がって、友達もたくさんいたのだということがわかってきた。彼はやったことのないことをやってみたいと思い、恋愛ドラマを撮ってみたいと思ったり、またちょっと昔の歌を歌う、例えば「我的歌」のような。もし誰かが「三国志」を撮るなら、どんな役でも大丈夫。鄭伊圏は再び穏やかに歩み出した。どんな風雲があったのか見てみよう。

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鄭伊健を理解するには、彼の幼少時代から入るといいだろう。鄭伊健のお父さんは悲観的な人、お母さんは楽観的な人。彼はお父さんの悲観的な部分とお母さんの楽観主義を受け継いで、しかもてんびん座であることから、解決の鍵が見つかるときは、いつも心の中の秤はお母さんの楽観主義に傾いている。「解決しないときは気にしてもしかたない、時が来ればどんなこともうまくいくよ!」と彼は言う。

中学校時代は混乱とぼんやり

小学校は聖匠小学校に通った。おちつきがなかったが、わんぱくというわけではなく、それでいて宿題を終らせないという悪いくせがあった。例えば宿題で13行の書き取りが出されたら、9行しかノートを埋めなかった。「もういいや、明日になれば書き終わるよ!」明日になると絶対宿題を忘れて居残りさせられる。毎回新学期には学級委員や班長に選ばれるが、宿題をやっていかないので、いつも一ヶ月足らずで辞めさせられてしまった。今日の今日までこの性格はそのままだ。彼は笑って言う。「豹が食事したくない時に走りまわったり飛び跳ねたりなんて見たことないよね、無駄な労力は使わないでしょ?」

小学校の成績がよくなかった彼は聖徳肋撒中学に行かされた。学校は別名「まるごとゴミ学校」と呼ばれていた。そこは半日制でしかも午後部の男子校だった。学校はとても荒れていて、清潔な学校に行きたかった。「その当時は真っ暗。ヤクザのようで誰一人まともじゃなくて、先生は勉強を教えない…」中一から中三までは苦痛の中で過ごした。その後、大同中学に転校して、状況は好転、少なくとも共学校には行けた。
でも彼は、学校にはたくさん女子学生がいたが、自分のクラスには4人しかいなくて、しかも可愛くなかったと言う。中学はこんな具合で混乱していてぼんやりとしていた。鄭伊健が言うには、自分にはふつうに中学にあるような段階はなかったのだ。

スターへの夢破れ、そして復活

将来がはっきり見えないということが鄭伊健を動かすパワーとなった。彼は同級生と一緒に新人歌手コンテストに出場し、結局落選する。けれども一週間後、TVBがカメラテストに呼んでくれた。当時訓練班に入るにはお母さんのサインが必要だった。最初はアクション俳優の養成クラスにいたが、全くアクションの基本がなかったため、3ヶ月で追い出されてしまった。

スターへの夢は敗れ、彼はオフィスで仕事を始めた。偶然にもそこの同僚の親戚が養成クラスの同級生で、彼はもう一度試験を受けようと考え直す。もともと、試験官の馮美基は以前彼を見出した当人で、伊健に対してこう言った。「いいよ、試験はなしだ。」このようにして養成所に入った。デビューはその他大勢で、「4時半のドリル(430穿梭機)」の銀河救兵だった。彼が注目されるようになったのは、レモンティーのCMだ。

「古惑仔」は望まなかった

その後、彼は簫笙に見出され、「月兒灣灣照九州」に出演する。このテレビドラマは彼に歌手としての契約をもたらした。これまでの過程で失ったものは取り戻された。「とても不思議だった、いつもいつもこんなふうだった」

その後、彼は「古惑仔」の出演でスーパーアイドルとなる。
「僕はとても断りたかった、でも王晶が、『悪いけど僕の映画に出てくれないか』と言った、彼は当時僕に主役の依頼をくれたのだけど、どれも良くなくて、最後の映画が『古惑仔』だったんだ。彼は僕に『君に2本選んであげたよ、一つはこれ、もう一つはあれ』もちろん僕なら他のを選ぶよね、『古惑仔』なんて三文字を見てしまったらもう撮りたいなんて思わないよ。でも当時は歌も歌ってたし、仕方ないよ、契約書にサインしてしまったし、借金は返さなきゃいけない、そうなったら撮影するだけさ。良かったよ、たくさん稼げたし、少なくとも陳小春と知り合えたしね。」


彼に、その頃多くの人から"陳浩南は子供の教育に悪い"と言われたでしょう?と聞くと、伊健は「僕もわからない、もしそんなに影響力があるのなら、きっと主演俳優賞を獲れていたはずだと思うけど。本当に可笑しいよね、みんなそういうことしてたんだよ、發哥(周潤發)も、劉德華も当時同じことをしていたのに、どうしてみんなは何も言われなくて、僕は人から批判されるんだろう。」


5年冷遇されても品質は変わらない

多くの映画を撮影した中で、一番好きな一本はどれ?伊健は言う。
「『Feel100%』、あの世界が好きなんだ。あの映画の中ではニ人の男と一人の女が親友で、一緒に住んでいる間に出来事があって、仕事はどこで何をして稼いでいるかわからないけど家はすっごくきれい、世界の全てが美しい。実は、撮影というのは気持ちにとても影響を与えるものなんだ。正直、『古惑仔』を撮っていた時は楽しくなかった。やっててみればわかるよ、ヤクザは実際あんな感じで体じゅう刺青だらけで、とても現実的だ。僕も感じたけど、水道の蛇口をひねれば水が出るように、何かあればすぐ喧嘩して、みんな血をダラダラ流して、パトカーが来て聞かれる。「誰がやった?わからない?」こんな世界を撮影していたら、とても辛くて重い気分になるよ」

鄭伊健は偶然のきっかけで芸能界に入り、チャンスをつかんで人気が出た。二十年芸能界にいて、5年間冷遇された。映画撮影をTVBの授賞式よりも優先したためTVBに2年間干され、梁詠琪との恋愛を公開してEEGで3年間干された。「楽観的に見れば、僕は何度も冷蔵庫に入れられた(冷遇された)から、新鮮さは保たれているよ」鄭伊健は笑って言う。

(続く)


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おー、ひさしぶりに新聞だー♪
と思ったら、すごい量でした・・・。

サイトでも普通2ページとかに分けるんですが、それもないです。
あまりの量の多さに、嬉しいんだけど涙出てきました。

後半部分は、伊健、自ら語る語る語る・・・
いやいや、ほんとによく語ってます。普通は雑誌なんかだとほとんどカットされてるんだろうな~。
文字よりグラビアのほうが多いから。(それはそれで嬉しい)

成報さんは随時の時も特集記事組んでくれたりしたし、いつも伊健には優しい。


さ、これから続きの訳です。
がんばりまふ。。

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2006.08.22

すべてをチャンスに

チャンスは逃せない―鄭伊健
Milk 262期

鄭伊健は昔から、人にある種の楽天的な感覚を与えてくれる人だ;彼の顔には憂いに沈む表情が現れることがなく、大変に優れた長所だ。彼という人は、各国を旅行するのが好きで、さらにカメラを手にどこにでも行き撮影するのが好きだ。最近彼の作品を集めて「我相寫我心」という本ができたが、自分で思ったこと、したいことのすべてが写真をとおして表現されている。

絵を字の代わりに

大きな子供はまだ小さかった頃、文字よりも写真の多い本を好んで読んでいた。伊健は言う。これは自分の小さい時からの習慣で、写真は文字に比べると頭に入りやすいと思う。だから映画を撮影したり歌を歌う時でさえ、文字よりも映像に依存しているのだ。彼はまず、自分の歌うことになった歌、あるいは演じる芝居を頭の中でイメージに置きかえて、それから歌詞や台詞をしっかりと覚えていく。伊健が最近出した本でも、写真を使い、読者がさらに彼のことをよく理解できるようにしている。
「残念ながら、自分が子供の頃に文字や文章というものに親しまなかったせいで、僕が覚えている全てのものは、写真に頼った記憶だ。だから、今年初めて会社の勧めで僕たちタレントが一人一冊本を出すことになったとき、自分ではどうしたらいいかわからなかった。もともとは危機意識に関する本を出すつもりで、それはみんなで旅行に行った時、自分が安全だと思いこんでいる場所が実は事故が起きる危険性に満ちていた、ということから思いついたこと。自分の愛情の問題、生活、仕事の方面でも、表面は安全無事に見えていて、中にはらんでいた危険が表に出ることがある。でも、後から会社には題材がちょっと重すぎる、写真を撮るのが好きならば、写真集を出して、自分の感じたことを写真を通して表現してはどうかと提案されて、それもそうだなと思って同意した。それに僕の性格にもとても合っているしね。」


写真の保存、記憶が最もすごい

生活と仕事において、伊健はいつも流れに任せて動く人で、彼と一緒に仕事をしたことがある人が感じるだけでなく、彼のことをよく知らない人でも、「我相寫我心」を読むだけで感じることができるような、一種の目に見えない心地よい雰囲気をつくる人だ。

「僕は静物を撮るのが好きだ。写真の一枚一枚がその人の記憶に結びついている。たぶん他の人には何のためにその写真を撮るのかわからないだろうけど、これは僕の記憶の一つだから…本の中にはたくさん青空に白い雲とか、景色の写真があって、他の人がその景色を見て楽しくなったり何か感じること、それが僕にとっての一つの本の書き方なんだ。でも、自分の写真はあまり枚数が多くない、まだデジカメを買うまえに、もっとたくさん写真を持っていたけれど、毎回引越しをするたびにちょっとずつなくしてしまったんだ!写真の枚数と記憶は正比例しない、毎年たった一枚だけ、その年を象徴する写真があれば、僕がその年に起こった全てを思い出すのには充分さ。数の問題じゃない、質が決め手になるということさ。」
デジタルテクノロジーの愛好家・伊健はデジカメを使って自分の行った場所を撮影するのが習慣になっている。でも、彼の写真をパソコンの中に保存していても、時にはパソコンが壊れてしまうこともあり、そんなときは、永久不滅に信頼できるのはいまだに自分の記憶だということに気づくのだ。。

因果についての興味深い考察

伊健との対談では、ストレスをほとんど感じることがない。どんな話題でも彼とは打ち解けて話すことができ、写真から処世術まで、話題の途切れることがない。彼はこう言う。どんなことにも因果によるめぐりあわせがあり、自分がやりたくないことをやらなければいけない時、実は自分が嫌だと思っていることは、将来の目標に近づくための素晴らしい道のりで、ただ歯をくいしばってやりすごすことができれば、また別の景色が広がってくるものだ。

「人生のすべてのことが、自分の意に沿わないことであったとしても、やらないわけにはいかない。そんな時、僕は自分に向って言う。まず、この仕事をすることが面白いのであって、 自分には仕事をうまくやりとげる責任がある。他の人から見たら、どうしていつも鄭伊健はこんなに楽天的なのか、と思われるけど、それは自分の不愉快な面を他の人に見られるのが嫌だからなんだ。前に撮影した「我老婆唔夠秤」では、始めのうちは自分の心理的な壁を乗り越えるのがとても大変だった。それは自分が今まで演じてきた役はみんなヒーローで、一足飛びに変わることができなかったから。世界中で最も怖いのは、自分がそのように思っていなくても、周囲の世論や圧力でそう思われること。でも、仕事が完成した後、多くの人が自分が昔そのような役柄※を演じていたことを覚えていてくれて、しかも大部分は好意的にみてくれた、と聞こえてきたことなんだ。だからどんなことでも、自分に合わないと思ったことでも、それは必ずしも悪いことじゃない、時には意外な喜びももたらしてくれることもあるよ!」

***********

※テレビドラマ時代は、どちらかというと「隣のお兄ちゃん」的な2枚目半の役もよくやっていたので、見ている人はそのことを思い出してくれた、ということらしいです。


伊健の「疲れた顔」はよく見ることあるけど(笑)、本当に嫌な顔とか怒った顔ってあまり見たことがない。。

伊健は、他の明星さんに比べるとスターらしくないとか、気遣いが足りないとかよく言われるのですが、あまりに過剰な気遣いとか表面的な大サービスよりも、「人に不快感を与えない気遣い」みたいなちょっとしたことって結構重要だと思う。


話題が尽きないって、いいなー。なんか伊健とおしゃべりって結構楽しそうだなぁ。
しかし話題についていけるのか。。まずはスピードが・・そして内容が・・・やっぱ無理かも(T_T)


そうなのそうなの、どうせやるなら、仕事は楽しくやらなきゃね。
最近つくづく思うのです。
例え仕事や上司に不満があるとしても、その不満のもとは、仕事人生においては何一つ決して無駄にはならない。
・・・・そのことに気づくにはとてもとても長い時間がかかりますが。。(ひとりごと)


ワタクシ事ですが、本日も上司とちょっとバトル(たいしたもんじゃありませんが)して、最後は一泡吹かせたので、今、ちょっといい気になってます(笑)。ま、長く仕事をやってくると、たまにそんなこともあります。ふふ~ん♪
・・・これも「意外な喜び」?(笑)


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2006.08.01

風雲をもういちど

Hi-Tech Weekly 2006.7.6版

CoverStar:鄭伊健  「デジタルで世界を感じる~鄭伊健」


「情・景」を捕らえる

数えきれない映画を撮影してきた伊健は、光線と構図には特別敏感だ。だから彼の目の中には、デジタルカメラを通して生活の中の「愛」と「景色」を捉えることができる光があるのだ。

2006年に入ると伊健は非常に様々な場所で仕事をした。その中には「向世界出発」の撮影で訪れたプーケット、ソブリン島がある。伊健が最も感じたこと、それは「以前、外国で仕事をする時はただその土地の一番面白いものを見て、その土地の美味しいものを楽しむことだけだった。今は、その土地の別の面、つまり「貧困」について感じたり、考えたりすることを覚えた。保安上の理由があって、車を降りて人々と接触することはできないけれども、デジタルカメラを通して僕は自然と自分の感じていることを写し出すことができるようになった。僕は自分が幸せな国で生活していると思う。多くの人々は、この世に生まれるとすぐに飢餓と病気に苛まれて生きなければならない。デジタルテクノロジーが貧しい国の国民に更なる幸福をもたらしてくれることを願うよ。」

海の底の世界を感じる

新しいマネジメント会社に加入してから、伊健の可能性は更に広がったといえる。以前の映画や歌の仕事に加えて、今は本を出版する機会もある。今回の伊健の新書は「我相寫我心」という題名で、伊健が身近で感じたこと、ものの見方の他、もちろん肌身離さず持ち歩いているカメラで取ったスナップショットの写真が載っている。「本当は、自分が昔撮影した写真も載せるつもりだったんだけど、いつもパソコンを新しい機種に変えているから、写真の一部はなくなってしまった」伊健はくやしそうに言う。伊健を愛する皆さんはこの本の最後のページで、新しいマネジメント会社のサイトと、そのサイトを通じて伊健の新曲「感官世界」のMTVを楽しめることを知るだろう。このMTVは伊健がソブリン島でスキューバダイビングをして撮ったショートフィルムも含まれている!伊健を好きな人は今年のブックフェアに要注目だ。

「風雲」をもう一度

伊健が演じたマンガの役柄といえば、「風雲」の中の聶風を挙げない訳にはいかない。もともと、少年時代の伊健はそのころから「天下畫集」の世界にのめりこんでいて、TVBからこの世界に入った後も、いつも友達に「聶風の役がやれたら本当に満足なのに」と言っては、「そんなことはありえない」と笑われていた。しかしついに、デジタルテクノロジーの力によって風神腿と雪飲刀が伊健の手により舞う姿が実現し、非常に深い印象を残した。伊健は残念そうに「聶風」の役に充分はまりきれず、脚本も原作の真髄の大部分を削ってしまった、だからとても後悔していると言う。誰かまた投資して続編を作ってくれる人が現れ、もう一度「風雲」の夢がかなう事を願っている。

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2006.07.16

最初の一口がうまい(1)

壹周刊7月6日号 豪語録

身軽になる― 鄭伊健

鄭伊健は記者にケントを一本もらうと火をつけて言った。 「一口目の煙がいちばんおいしい、食事の時の一口目のお酒もそうだ」 愛情もそう、どうしてかはわからないが、問題は、38歳にもなると、初恋の時のドキドキ感はもうありえないということだ。今は恋愛に休みを必要とする時期、まさに嵐の時の休漁期のようなものだ。 鄭伊健は言う。芸能界に入って以来、大衆の注目を集める以前から、彼女のいない時期がなく、いつも誰かいた―あるいはいない時期が極端に短かった。たとえば:伊健がマギーに一生愛すると誓った言葉がまだ生きている間にも、梁詠琪が既に勝利者として伊健の家を出入りしていた。間髪をいれず、伊健という漁師は交際に忙しかった。 梁詠琪と別れて6ヶ月になり、この20年間体験した事のない感情の空白は、まさに一口目のたばこや酒にも似ている。鄭伊健は、映画の共演者の黎耀祥(既婚)、張智霖(もうすぐパパになる)、方中信(彼女あり)を引き合いに出して、彼らが自分の身軽さをうらやましがっていると言う。―男とはまったく気が多いものだ。皮肉なことに、一人になったあとはまた仕事の依頼が多くなったり、先日本紙がタイで水着姿のもっこりを撮影したこともあったよね?仕事もOK、愛情もOK、精力を蓄えることが大事なのだ。

◆◆◆

西貢・ミッドレベル

「タイでもっこり」の事件の時、彼はちょうど「ウルトラマン」の撮影中だった。
芸能界デビュー当初、鄭伊健は元ミス香港の梁佩瑚と知り合い、彼女は若い彼に対して、自分の希望を一つ一つ書き出してみなさい、と言ったことがあった。何年も経ってから、彼女はそのタイムカプセルを開けて伊健に見せてくれた。
「本当にびっくりしたね!CDを出す、と書いてあって、それは実現していた!当時はマンガの『風雲』に夢中になっていて、風の役を演じたい、と書いたけど、それもかなった!ウルトラマンさえも、日本の俳優しかなれないと思っていたのに、タイにも版権があったから、僕に演じさせてもらえたんだ。」
鄭伊健は、成功するとか会社の社長になるとか大口をたたいたわけではないし、景気の暴落による大損や、運に恵まれないこともあったけど、目標を達成できてないわけじゃないから充分満足なんだ、という。

不動産投資(マギーと住んでいた北角の摩天ビルも含め)への失敗については、鄭伊健も運が悪かったとは思っているが、一方で、一人西貢に移ったのはロッククライミングとかダイビングをやるのに便利だったからでもある。もしパパラッチの心配がないなら、保安も比較的しっかりしている匡湖居に移り住んで、できるなら一生暮らしたいと思ったのだ。
「大埔に住んでいた最後の頃は、不動産屋が絶えず電話をかけてきていて、近所の人たちも駐車場の空き地にペンキで境界線を引き始めていた。僕は駐車料金のことなど気にしなかったのだけど、変な感じになってきた。香港人はその人がどこに住んでいるかでどれだけ稼ぐかを判断するけど、お金が稼げなくなったらあっというまにいなくなる!引っ越さなければ誰かが心配するだろうし。匡湖居に入居したあとでも、珊珊は僕の生活がのんびりしすぎて野心が足りないのを嫌がっていたね」

マネージャーの林珊珊だけでなく、彼女の梁詠琪もまた本音を見せた。2人の仲が良かった頃は、朝晩と会うのに便利だからと彼女も匡湖居に住んでいたが、別れた後、ジジはまず最初にミッドレベルの豪邸へ引っ越してしまった。もともと辛い選択ではあったのだろうが、女はロビンソンロードへ去り、男の住まいは田園の中に残った。2人が別れることになったきっかけ、分岐点はなんだったのか?
伊健はため息をつく。「別れるときには、当然考え方の違いがあるよね」
(つづく)

**********

酒、たばこについて。

ビールも最初の一口が一番おいしいんです。
先日、一ヶ月ぶりにホンモノのビールを飲んだらかなりハイになりました(笑)


最近スモーカーであることをあまり隠さない伊健です。
確か最後に日本でファンミをやったときには、禁煙映画を持ってきて見せてなかったっけ・・・?
(・・・やはり嫌煙家の彼女がいたときは自由に吸えなかったのだろうか)

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2006.07.14

鄭伊健の精神世界(5)

太陽報


愛を語り道理を説き、本を出版して世に警鐘を鳴らす
伊健が言いたいこととは…


今年の夏休み、鄭伊健は作家の仲間入りをし、彼の初めての本『我相寫我心』を出版する。
この本は写真から物語を引き出す形式だ。
もともと伊健の構想では、危機意識に関する本を出すつもりで、それは彼が香港人は幸福を絶対的なものと思っている人が多すぎ、危機に直面したときにうまく対応できないと感じたからなのだ。
彼自身は非常に危機意識の高い人で、だからこそ低迷期も絶頂期もうまく乗り越えられてきた。けれども、最終的には市場のニーズを考えて、テーマを変えたほうがいいということになった。

◆ ◆◆

学がない自分を思うと、本を出す機会があるなどと思ったこともなかった。すべては社長夫人の梁芷珊の提案で、彼女は会社に所属するタレントが本を出版することを全力で応援してくれている。僕もためらっていたけれども、先日テレビ局の仕事でタイに行き、ドキュメンタリー番組『向世界出発』を撮影してからは、人生に対する新しい見方をもつようになり、これを受けることはひとつの新しい挑戦になると思った。

危機意識を掲げる

僕の最初の構想では、危機意識に関する本を出すことになっていたが、それはこの手の本が出版されたことがないということのほかに、自分の出発点でもあるからなんだ。
僕は心配性というわけではないが、ただ、香港人は実際の所幸せすぎて、その環境のせいで危機意識が欠けがちになっていると思った。けれどもこれはかなり重要なことで、物事や人、あるいは愛情はいつでも変ってしまうものだ。後で会社と相談して、形式は変えても、もちろん僕の本来の構想は部分的に残していくことになった。
自分をふりかえると、危機意識のある人間だと思う。何かをするときは、もっとも大事なのはキープ(維持)すること、でも人は惰性によって簡単に自制能力を失ってしまい、何か起きた時にどうしたらいいかわからなくなる。最も簡単な例は日々の仕事で、それを大事にせず、幸福が当然のことのように感じている人がいる。でも、実際は今日のごはんにありつけることがあっても、明日も同じとは限らないんだ。

僕を啓発してくれた出来事がある。ある日本の雪山に登山した時、年の頃は60歳くらいの旗振り役がいた。彼は毎日登山者に対して指示を与えていたが、他の人が見れば簡単なように見える仕事についても真面目な態度で、旗を振る毎に一生懸命で、自分の仕事に大変敬意をはらっていた。もしこれが香港人ならば、うまくやるだろうが、2年目にこれだけ集中できるとは限らない。

蓄えによって飢えをしのぐことを学ぶ

また、南アフリカへCM撮影に行った時、僕はたくさんの必需品を持って行って、ウィンドブレーカーも着ていたけど、それは南アフリカがほんの30分車で移動するだけで、寒暖の差が激しいことがあるような土地で、いつでも凍え死ぬ可能性があるからなんだ。でも、香港人は必ずしも危機意識があるわけではないから、たぶんたった30分の車の移動の間にこのような大きな変化があるとは思わないだろうし、こういう危険に対してうっかりしがちだ。僕はしっかり準備をするから、多くの人が僕の事を慎重派だと思うだろうが、僕もそう思う。仕事の量が激減したとしても、事前にきちんと蓄えれば恐れることはないよ。

僕もまた市場のニーズを考慮して、受け入れられるものになったと思う。けれども、身近に大勢いる友人の中には作家もいる。それは梁佩瑚で、彼女は遥か遠いカナダに住み、香港に原稿を送って本を出版していて、ずっと売上もいい。彼女の売上をみると、僕も励まされるし、自分の経験がお客さんに支持されると確信するよ!

最後に、この5日間ここに見に来てくれて、僕の精神世界をわかちあってくれた読者の方と友達に感謝します。
(完)


***********

伊健の本は来週から始まる香港ブックフェアで発売です。
(サイン本が欲しい方は、BMAのネットショップでも売ってます。65HK$。)


一週間の連載がやっと終りました・・・私も読むの大変だったけどおもしろかった!
個人的には、サンサンとのくだりが一番楽しかったです。

恋愛の話は、雑誌のインタビューなどでも毎度やっているので、基本的な考え方はあまり変らないというのがわかりましたが、この2人のやりとりは漫才でも見ているようで本当に可笑しい。
当時の伊健にしてみたら必死だっただろうなぁ。でもサンサンがお尻をたたくという形で牽引していったからこそ、絶頂期の伊健がいたともいえるし、私たちは「クールな浩南」だったり「おかしな羅濱」だったりする伊健を見ることができる。伊健の芸能人としての可能性を広げたという点では、恋人以上に重要な人と言えるとおもいます。

「危機意識」の話は、わりと前からよく出ていました。
地震のない香港で、非常持ち出し袋を用意したとか、不意の停電(これはよくありそう)に備えて懐中電灯を持ち歩いているとか。そのへんの慎重さは父親譲りとも話していました。本当はそんな意識を反映して、もっと堅い内容にするつもりだったのでしょうが、タレント本としてファンのニーズを考えるともっと柔らかい内容のほうがよくなったということでしょう。ちなみに写真は伊健のデジカメによる作品、これもたのしみ。


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2006.07.13

鄭伊健の精神世界(4)

太陽報


友人が運命を変える
伊健は彼女から多くのことを得た

恋人以外にも、鄭伊健にはずっと周囲の女性の支えがあった。
恋の噂のあった舒淇や、マネージャーの林珊珊は共に彼の生命線の重要な位置を占める女性である。珊珊に対する思いを挙げれば、2人の関係は意外にも「喧嘩」から始まったのだと言う。

◆ ◆◆

芸能界には、僕は何人か女性の友人たちがいる。袁潔瑩や『風雲』で共演した舒淇だ。僕と舒淇は会ってすぐに意気投合した。だから僕たちは大親友になったし、お互い楽しむのが好きで人付き合いもいいので、顔を会わせれば、いろいろなことを何でも話す。僕は彼女の正直なところがとてもいいと思う。

全ては喧嘩から始まった

もう一人、それは僕のマネージャーの林珊珊だ。みんなは意外に思うかもしれないが、僕たちの関係は喧嘩から始まり、だからこそ今日の信頼があるんだ。当時の珊珊は「強引」すぎていつも記者たちが苦労していた(いまはもちろんそんなことはないけど)。
当時僕はBMG(香港のレコード部門)にいて最も長時間仕事をしていた所属歌手の一人だったけど、珊珊は別の部門から異動してきて手伝うことになった。僕たちが最初に顔を合わせた時に、林珊珊は僕に対してひどいことをしたんだ!あはは!彼女はとても変っていて、それはこんなことだった。その時の彼女は僕に向かってこう言った。「私はあなたの仕事を引き受けたわ。明日どこそこへ行って誰々の歌を歌ってきて!」僕はこう言った。「ほかの人の歌を歌うの?無理だよ!」すると彼女は怒りを爆発させてこう言った。「なんでできないの?結局はやらなきゃいけないことなのよ!」

またあるときは、彼女は少しも容赦することなく、僕の歌が下手だと言うので、ついに僕は彼女にこう言った。「僕は歌手だけれども、あなたがそんな言い方をしたら歌う自信をなくすじゃないか!」

本当は、僕は他人の批評を受け入れられなかったのではなくて、彼女に自分の辛口な物言いを反省してほしかっただけだった。幸い、2人とも協力して進んでいこうという気持ちがあり、良くしようと思って言っただけのことだから、一緒にいる時はいつも反省して一歩引くようになった。


契約は信用という言葉のみで


彼女は僕のマイナス思考を変えてくれた。昔の僕はいつも演技に腰が引けていて、経験のないことに対して否定的だった。『古惑仔』なんか十数回も断ったのに、珊珊は僕と違う意見を持っていた。彼女の中では、すべてのことに可能性があり、どのチャンスも一つとして抹殺することなどできないんだ。だから彼女はいつも僕にこう勧めていた。「まずやってみなさいよ!やってみなけりゃわからないでしょう!」何年もの間の摩擦を経て、僕たちは喧嘩から対等なパートナーへ、それもお互いに信頼しあえる相棒となった。

まだ僕が無線電視の所属タレントだったとき、僕はTVBよりも僕のレコード会社の重役だった珊珊に対して気を使いすぎていて、TVBも契約が満了したときに珊珊と契約してはどうか、と言ったほどだった。僕たちはマネージメント契約が満了したあとも継続はせず、わざと直接CMの契約を受けたりしてみたが、一種の契約関係が必要ということがわかったんだ。これは信頼にのみ基づいていて、契約書は必要としない関係だ。芸能界では本来発生しにくい関係だよ。
(続く)

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2006.07.12

鄭伊健の精神世界(3)

太陽報

損得は問わず、機会を待つ
伊健はピンチの中に楽しみを見出す

低迷期を経験してきた鄭伊健であるが、前向きに直面することができるかどうか、すべては彼の人生に対する見方にかかっている。伊健は得ることだけでなく失うことという視点があることをわかっている。仕事が落ち込んでいる時、彼は昔デビューしたころの苦しい時期を思い出して、低迷期の余暇を楽しむことだけに専念していた!

◆◆◆

人間にとって、好不調の起伏はとても深刻に思われるものだけれど、僕は淡々としていられる。それは、僕の座右の銘は、「楽しくないことが多いから楽しみがわかる」、起伏のない人生なんて楽しくないよ。実は、昔、俳優養成所にいた時、ぼくは既に低迷期を経験しているんだ。僕がクラスの中の誰よりも出来が悪くて、いつでも出ていっていいと先生に思われていたなんて信じられる?それを知ったとき、とても頭にきたんだ。なんで僕なんだ?って思いさえした。その時の気持ちは、僕の同期の李家聲も知ってる。その後歯を食いしばって耐え、試験に合格し、契約して、生き残った僕は、演技の基礎を作るために努力した。

僕のデビューはそれほど順調ではなかった。撮影し終えても八つの倉庫にお蔵入りしたまま表に出ることのないドラマがあり、それに死ぬほどがんばっても武術指導の先生からいつも「へっぴり腰」といわれていた。
陳奕迅の「最佳損友」という歌を聞くと、僕はとても感慨深い。確かに、友達と敵は、そもそも違う段階にいて、占める地位も違う。当時はよく武術指導の先生に怒られていたから彼らを敵視していたけど、今の僕は感謝している。会った時にはお喋りして冗談をいうこともある、あの訓練の段階がなければ、鄭伊健は進歩しなかったのだから。

成功は運まかせじゃない

だから仕事が次の低迷期に入ったとき、僕はそれほど辛いと思わなかった。多忙から暇になったけれども、CDも映画も雪崩のように押寄せていたころから、映画の仕事だけが残ったんだ。その当時は「わあ、なんでこんなに周りが静かなんだろう?落ち目みたいじゃないか!」とも思った。心配になるのは暇になったからだと思うだろうが、でも気持ちがしっかりしていれば解決できる。僕はこう思う。「必ず通るステップなんだ!もちろん前は1日中遊んでいたいと思っていたけど時間がなかった、今は『お休み』をもらえたんだから、自分を休ませないと!以前は鄭伊健の成功は運がよかったからだと言われたくなかったけど、今はあまり運がよくなくて、かえってよかったよ!これからはもう人から僕の成功は運が良かったからだとは言わせないよ。」

低迷期は苦境ではない

楽観視できるということは、僕が物事を解決する方法を知っているからとも言える。まず心のありようから取りかかり、自分に問い掛ける。この仕事の出発点はなんだったか?当時、自分は勉強もあまりできなくて、経歴もよくないから、仕事を見つけるのがとても大変で、大きな会社が雇ってくれるなどありえなかった。わずか3000香港ドルの給料でも十数年前は充分だと思っていて、自立できる、これで目の前の問題は解決したと思った。当時は3000香港ドルを稼いだだけで充分嬉しかった、いまの僕は3000香港ドルよりずっと多くもらっているのだから、もっと嬉しいはずだ!自分の心のありかたを克服できるので、僕は容易に満足できて、困ったときにもイライラしないんだ。

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2006.07.11

鄭伊健の精神世界(2)

2006年7月11日 太陽報 


7年間の愛は楽しい事も辛い事もあった 本当の愛は明日に
伊健・梁詠琪 結婚のタイミングを逃す


鄭伊健は今年一月、7年近くつきあってきた梁詠琪(ジジ)と別れたが、先日彼女の方は赤裸々に二人の破局の始まりについて語った。仕事を第一に考えてきたと自認するジジは、結婚のことは考えたことがなく、一番大事に思っていたのはいつも楽しくいられることだった。別れを口にしなかった伊健にとっては、つきあっていく中で一番大事にしていることは思い出で、以前は結婚を念頭に考えていたこともあったのだが、二人の足並みはそろわず、結局はそれぞれの道を行くことになった。今はシングルの生活をとても楽しんでいて、でももしそのうち誰かと付合うようなことがあったら堂々と表明するだろう!

◆◆◆◆◆◆


ふたりはそれぞれ挫折の中から学んだけれど、この恋愛から僕が学んだことは、楽しむということだ。
マスコミの知り合いは、今回(ジジとの別れの時)は、前(マギーの時)よりずっとうまくいったと僕に言うけど、実際は僕の態度は同じで、恋愛の事については話しすぎないようにしていた。ただマスコミがうまく処理してくれただけのことだ。


愛情はコントロールできない


人は成長する、考え方も成熟するだろう。愛情に対する僕の見方はずっと同じ、来るべき時には自然に来るものだ;でも去るべきときには止められない。こういうことは絶対に自分のコントロールの範囲外だから。
でも一番大事なことは、楽しんでいる過程の中にこそあるということ。一定の時間をすぎたら頭を切り替えて、この恋愛をリセットしてしまうのではなく、その過程の中で自分のベストをつくしたことを、人の記憶にとどめてもらえれば、それでもう満足。僕は思い出も同じように大事だと思っているからなんだ。

この恋愛をあっという間に失ってしまい、もちろん悲しいけれど、僕もまた普通の人間だから、しばらくしたらまた結婚のことを考えることもあるだろう、でも、お互い歩みよろうとする想いが一番大事、タイミングもとても重要、それぞれの経験は同じじゃなくても、最後は縁のあるところへ戻っていくものなんだ。

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2006.07.10

鄭伊健の精神世界(1)

太陽報

有言実行は難しい
伊健、想いはあっても琪との縁には戻らない

鄭伊健は芸能界に入ってから三度の恋愛を経験してきた。黎芷珊、邵美琪(マギー)と梁詠琪(ジジ)だ。92年、伊健は年上の邵美琪との恋愛が明らかになると、さらに彼女のめんどうを一生見ていくと誓っていた。99年、梁詠琪は「奪麺」つまり伊健をマギーから奪うことに成功した。2006年、二人の7年にわたる恋愛は終りを告げ、すぐに伊健にはマギーのもとに戻ったとの噂が立った。伊健の恋愛生活は何年もの間人々の興味を惹いてきた。5日間にわたって彼の内面世界を明らかにする。

芸能人として、外野が最も関心を寄せるのは恋愛のことで、今年の始めに梁詠琪との恋愛が終ってしまうと、みんなの関心は邵美琪(マギー)の身の上に集中した。
多くの人が、僕とマギーの間にはきっと他の人にはわからない深い感情があると思っていて、そのためにきっと人の興味を惹くのだろうと思う。自分自身でもそう思いがちだけど、一体どうしたら、僕はそんなに長い間一人だけを想うような人間に見られるのかな?実際は、僕は誰もがかつて付き合った相手の事を偶然に思い出すこともあると思うんだ。つきあうということ、誰でも経験することだけど、僕が芸能人だというだけで、それに比較的付き合ってきた数が少ないだけで人の注目を引くんだと思う。

重苦しいストレスを背負う

たぶんあの当時みんなの前で誓ったことは、その一言のために大きなストレスを背負うことになったと思われている。
実際、当時僕には本当に思っていることがあって、しかも口に出すのは本当に勇気のいることだった。だれもが間違いは冒すだろう、元々実行するのは想像していたことより難しいものさ、みんな過去のことになってしまったけど。
ある友人が以前僕に聞いたことがある。僕とマギーはまだ友達なのか?って。もし僕たちが有名人じゃなかったら、事情は比較的簡単に済む、実際僕たちの関係はみんなが思うように複雑じゃないんだ。でも今は全てがマスコミの手によってとても複雑になってしまったよ!本当の友達はいつも会う必要はない、陳小春みたいに。僕たちは年に数回会うだけだけど、彼は僕の友達の代表的な一人だし、細かい事でもわかりあえるんだ。

恋愛は自然にまかせる

僕は芸能人だけれども、恋愛のことは同じようにとても簡単、ただ自然にまかせるだけ、「縁」の一文字を信じつづけるだけで、雑誌に書かれているほどドロドロしたものじゃない。時々、今のマスコミの処理する方法を見ていて、傍観者としての立場では、彼らがこんなにドロドロを必要とするのなら、ドラマの脚本なんてむだじゃないかなと思う。
ほんとうは、報道されるままにしないではっきりさせたいけれど、最近また雑誌で僕とマギーの物語を創作されていた、ぼくはこう言いたいだけ、僕の車はその時九龍城にあって、報道されているように北角(マギーの住まい)にはありえなかった。


宿命の難敵は7年目の浮気



92年に鄭伊健と邵美琪は付き合い始め、当時マギーはテレビ局の看板スターで、伊健はまだデビューしたてだった。この年上女性との恋愛が大衆に受け入れられ、のちにテレビ局もふたりを恋人役として『九反威龍』で共演させる。
94年に伊健はラジオ局の主宰するアイドル賞を獲得、彼は背後で支えてきた邵美琪とともに喜びの涙を流した。
95年、邵美琪が重病を患い、付き添っていた伊健は彼女を一生守っていくと宣言、当時彼女は感動のあまり涙を流す。伊健はまた、97年には彼女と結婚すると約束したが、97年になると仕事が一番大事だと言うようになった。
99年、梁詠琪は堂々と伊健の住まいへ彼の誕生日を祝いに行き、伊健と邵美琪との7年間の関係に正式に終止符が打たれた。けれども、伊健は義理堅いと言われているように、別れた後も昔の恋人のめんどうをみており、そのことが梁詠琪の不満をあおったと噂されている。
06年、伊健と梁詠琪との7年間の恋愛が終ると、すぐにマギーにのりかえたとの噂が出る。


*************

太陽報はいままで黙して語らずだった伊健の心の遍歴について、自分の言葉で語ってもらうみたい。
今週一週間の連載です。

いままでのネタ切れ状態から一転ですが、なにもこんなときに~!ぐおー!


てことで、明日の午後からまる二日間記事はロードできないということで、コメントも反映できませんのでよろしくです。

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2006.05.07

カメラマン伊健の写真講座

神遊 鄭伊健
Friday Issue 072


~Introduction~

私は世界周遊を熱望している。

まったく羨ましいことに、鄭伊健にとっては、世界周遊旅行は日常茶飯事のことなのだ。

今年だけで、彼は既に6カ国を周った。毎回旅行においては、着替え以上に重要なものとしてキヤノンのカメラを持ち歩いている。旅路の途上、伊健は新しい撮影技術をあみ出している。

ライオンに囲まれ見つめられる

伊健は先日、新しいCanonIxusデジタルのCM撮影のために、わざわざ南アフリカまで飛んでいる。
本来、CM撮影というものは非常に苦労を伴うものだが、伊健は既にこのブランドの製品を知り尽くしていて、今回の広告はレタスを食べるより容易なことだった。

「初めて南アフリカにCM撮影に行き、今回は本当にいい経験をした。仕事はさほど難しくもないし、旅行に行っている時のようにリラックスできた。南アフリカはとても美しい場所、青い空に白い雲の流れる様は格別で、雲が飛龍の形になるのも見た。数え切れないほど写真を撮ったよ。」
「公園がまたとても楽しかった。今回は現地でも有名なテーブルマウンテンに行って、ジープに乗って数え切れないほど野性動物を見た。周囲は通電した網で囲まれていて、ライオンの群れが僕らを眺めていて、まるで「ジュラシック・パーク」の中にいるみたいだった。」

「バカチョンカメラ」の天才

Canonが見出したイメージキャラクターとしてぴったりなことに、伊健のカメラに対する興味は、彼の「ツボ」にはまっているのだ。
鄭カメラマンの写真撮影に関する思いを聞いてみようか。
「写真で一番だいじなこと、それは『度』、つまり角度だ。うまい写真を撮ろうと思ったら、実はとても簡単で、適切な角度をとらえることさえできれば、きれいな写真は自然と撮れるものなんだ。一番我慢ならないのは、カメラマンの中にはわざと低い姿勢や高い位置から撮影しようとする奴がいることだけど、大体いい写真は撮れない。事前に良い角度を研究しておけば撮れるということを覚えておくといいよ。」
「芸能界でもう長いこと仕事をしてきているから、カメラマンやカメラのレンズに対しても詳しくなってきた。あるときはカメラマンと話をしてみて、僕がこの位置に立った方がいいよ、と言ったら、もっと効果が上がってきれいに撮れたことがあったんだ。同じ様に、旅行に行った時は、写真を撮る前に友達と検討してみて、みんながこの位置に立つと一番いいよ、ということになる。」
「僕のカメラマンとしての才能はそんなにないけど、長年撮影に関して研究を重ねてきている。もし、“バカチョンカメラ”を使って写真を撮ることを語らせたら、僕は自信を持ってこう言えるよ。
「僕はその道の大家だよ!僕にかなうやつはいない!」
僕はバカチョンカメラの天才と言えるね。一番好きなことは空を撮ること、なぜなら空は変幻自在に姿を変えて、面白いアングルが捉えられるからね。でも、人物を撮るのは一番挑戦的じゃない。だいたい、人というものは中心に置いて撮らなければならないだろう?あまり技術を必要とするものじゃないんだ。

家の中でウルトラマンに扮する

伊健は最近タイ版「ウルトラマン」(プロジェクト・ウルトラマン)を撮影した。だから、よくタイに滞在していて、太陽の光とビーチを楽しんだほかにも、ウルトラマンとしての楽しみも味わったそうだ。
「僕がウルトラマンになってくれと依頼されるなんて、本当に面白いよ、僕は中国人最初のウルトラマンなんだからね!昔はほんとうにたくさんマンガのキャラクターを演じて、「古惑仔」や「風雲」、今度はウルトラマンも演じた。あの「スターウォーズ」みたいな近未来的なコスチュームを着て、実に貴重で面白い体験だよ。ウルトラマンの着ぐるみを着ることはなかったけど、関係者の方からウルトラマンのスーツを一着くれるという話があったので、今度は家でそれを着てウルトラマンになれるよ!」
「ウルトラマンは日本では殿堂入りするようなヒーローで、僕自身もウルトラマンの大ファンで、子供の頃はいつもカードを集めていたものだった。何年か前にTVBの仕事で日本に行って音楽番組を撮影した時、ちょうどウルトラマンの20周年記念で、TVBは僕にウルトラマンと怪獣の戦闘シーンをやってくれって言ったんだけど、残念ながら最終的にテレビでこの番組を見た記憶がないんだ。今度TVBからそのビデオを借りてきて見てみたいな。」

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2006.03.05

台湾でCDを買いました。

週末鑑賞中。


最近、香港に行ってもCDショップにすら入らないことがあるというのに、なんなんでしょうか、自分。
今回買ったのは以下の5枚。


『七里香』
『霍元甲』
『十一月的簫邦』
(以上、ジェイ・チョウ)

『蓋世英雄』
(以上、王力宏)

『十七歳的天空』
(映画サントラ)


すべては伊健がCDを出さないせいだと思う~(と言い訳)。
このままではかなりやばい。本当に台湾へ行っちゃうかもよ・・・。


◆ジェイ
もう3、4年くらい前になるでしょうか、中華ポップス全般に強い友達に「いますごい人気らしいけど、ジェイ・チョウってどんな歌を歌うの?」と聞いたら、デビューアルバムからの3枚のCDを貸してくれた。その時はなんとも思わなかった・・・というか、伊健にはまったばかりだったし、まして全然方向性が違うものにはまっていたので、正直聞く耳を持たなかった私。ラップ苦手だし。
でも、「最後之戦役」のMVはとても面白いと思った。
ただ、なぜ面白いのか、どうしてそう思ったのか、その時はうまく言えませんでした。
今回ライブに行って、CDを聞いて、改めてMVを見、歌詞カードを読んだらようやくわかった。
ジェイの歌には、歌詞にしろメロディーにしろ、曲の一つ一つに物語があるのですね。そのせいか、頭の中にイメージがすっと入って来るし、聞いていてとても心地が良いです。

『霍元甲』は最新のEP版で、ジェット・リー主演の同名映画の主題歌の他に、陳小春の「獻世」が入っているというので、やはりここは作った本人が歌うのを聞きたい、と思って買ったのですが、聞いてみたらやはり小春版のほうが私は好きでした。やっぱ広東語だしね・・・。ちなみに伊健も小春とのジョイントライブでこの歌を歌ってます。歌詞とメロディーに対し伊健の持つ雰囲気が合うのでさらに良いです。とオチは「伊健命」で締めてみた(笑)。

◆リーホン
まだ封を切ってないのです。四月の予習用。
これの前の「心中的日月」は一時目覚ましにしてよく聞いていました。
ジェイとよく比較されますが、私はどっちかというとリーホンのほうが好きでした。
声質と歌い方と外見がツボなので。芸能人はルックス命(爆)。
(でも、MVを見ていたらジェイもだんだん可愛く見えてきた。やばいな自分。)


◆サントラ
今回の買い物のメインはひとえにこれだったといっても過言ではありません。

前にも書きましたが、映画「僕の恋、彼の秘密」を見に行った時に、音楽がとてもよかったので、速攻サントラを手に入れようとしたのですが、映画館では高すぎで見送り、通販では扱いがなく、CDショップでは取り寄せでしかも入る保証がないと言われて断念。

じゃ、台湾では本当にもうないのかと思ったら、やはり大型店をニ軒まわってもみつからず、最終日の帰り間際ぎりぎりになって「これでなければあきらめよう」と飛びこんだ最後の一軒に、ありました!・・・ちょっと感激。

いま、これは目覚まし用のCDにしています。
映画とは関係なく、単独で聞いても充分楽しめるCDなので、かなりおすすめです。

1曲目が主題歌「我想イ尓的快楽是因爲我」ですが、まさに「夏休みだな~」ってさわやかな歌です。今の季節には全く合いませんが、これくらい元気にたたき起こしてもらわなければやってられない・・・。

他の曲も粒ぞろい。特に女性ボーカルの曲が多く、映画の内容を考えると納得の選曲かと。
ちなみにそのほかで私が気に入っているのは、

3曲目「感情線」
Tensionの曲。前から友達に良い、良いとは言われていたが、改めて聞いて・・・やっぱいいかも。
ちなみに後で出てくるがお師匠様のデビッド・タオも同じCDに入っている。

7曲目「褪色」
曲のイメージが、この間ジェイのコンサートで見た南拳ママぽかった。(でもたぶん全然関係ないと思う)。
歌っているのが「靈感」というグループらしいのだけど、ぐぐってみてもうまく見つからない・・・。


9曲目、林憶蓮の「至少還有イ尓」
たぶん誰でも一度は聞いた事があるくらい有名な歌だと思うのですが、CDの帯に「同志の国の国歌」とあり。そうなの??よく知らないけど、その国のお方には有名な歌ですか?・・・歌詞が意味深だから?

12曲目、デビッド・タオの「愛、很簡単」
今更言うまでもなく(笑)。
実は、生歌をどうしても聞きたくなり、我慢できず4月の香港ライブのチケットを申しこみました。今年の紅館第2弾。
第1弾は今月のF4香港ライブ。このあと7月にはレオクーのライブがある。これが第3弾。伊健が早くイベントによんでくれないと、今年の香港行きの予算がライブだけで尽きる~(泣)。

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2006.01.21

クリスマスの思い出

東TOUCH~Christmas with Love(東TOUCH50号付録)

鄭伊健 Snapshot in Christmas


クリスマスは子供たちにとって、プレゼントを受け取るのを首を長くして待ち望む希望の日。
伊健がみんなに与える印象は、永遠に大きくならない少年。小さいころ、サンタクロースのお面の入ったクリスマスストッキングで彼は半日は楽しめたという。成長するに従って、なかなか満足はできなくなるけれども、却って楽しみは尽きることがない。かつてテレビ局で他のスターたちとクリスマスを過ごした夜には、どんちゃん騒ぎは一人身の寂しさを紛らしてくれるものになった。スタジオを出ると、彼もまた普通の人と同じように尖東の海岸からイルミネーションを眺め、写真やビデオにクリスマスを祝う活動をすべて収める。目的は、楽しくもあり楽しくないこともあるその夜を記録に留めるためだ。


T:東TOUCH
E:鄭伊健


T:今年のクリスマスはどう過ごすつもりですか?

E:毎年クリスマスはガン基金のチャリティを手伝ってる。ガン基金では海港城にクリスマスツリーを立てていて、僕も自分で買って、自分で飾り付けするんだよ。それから、クリスマスには日本でCM撮影があって何日か滞在するので、他の場所にも行くだろう。ここ数年はずっと香港でクリスマスを過ごしていたから、他の場所でクリスマスの雰囲気を味わってみたいんだ。特にホワイトクリスマスをね。普通は、クリスマス前に時間があると、車を運転してイルミネーションの写真や、ビデオを撮りに出かけるんだ。毎年イルミネーションがどんなふうに変化しているかを見る、これは僕がここ何年もの間クリスマスに必ずやる行事にしているんだ。

T:一番楽しかったクリスマスはどんなでしたか?

E:一番楽しかったクリスマスは、結構最近のことで、ミレニアムのお祝いを過ぎた後から宣伝イベントに出ることがわりと少なくなったので、過密スケジュールでパーティに出なくてもよくなって、友達や家族とアットホームなクリスマスを過ごすことができた。僕は家でパーティを仕切るのが好きで、とってもおもしろいんだ。野外でやるようなことをやってみたこともある、みんなが家の外のに飛び出して、ドアの鍵を開けるパスワードを探すんだ。そのあと、みんなが競争で家の中に戻ると、「超級無敵閂大閘(箱の中身はなんでしょう)」ゲームが待ってる。電動カーテンの下に描いてある絵が何かを当てて遊ぶんだけど、すごく可笑しくて、本当に楽しいんだ!こういう時はパパラッチに隠し撮りされないし、みんながばかみたいに楽しむけど、近所の家もそれぞれ楽しんでるから、うるさいと怒られるのを心配しなくていいし、とても雰囲気がある。じつは僕は、外国人が大きな祭日の時には自分の時間を作って、仕事はそっちのけで休暇の娯楽を楽しむということがわかっているのがとてもいいなあと思っている。


T:クリスマスに一番したいことはなんですか?

E:僕はキリスト教徒ではないけれども、教会に行ってロウソクを持って聖歌を歌いたい。とっても雰囲気があると思うんだ。でも、残念ながらずっと誰も一緒に行ってくれない、パートナーがいなければ行けないよ。実は、去年これに似たことをやった。それは、「抱抱良音」のときで、僕たちはバスに乗ってあちこちで歌を流して、賑やかな感じがとても新鮮だった。他には、あまり親しくない人や、見知らぬ人たちとクリスマスパーティをやってみたい。同じ席で食べたり飲んだりして、他の人が楽しんでいるのを見るのはお祭りの日の雰囲気を感じられていいと思うんだ。


T:忘れられないクリスマスと大晦日はどの年ですか?

E:もう十年以上前のクリスマスで、TVBの深夜のランキング番組に参加したことを思い出す。
当時は出演者が全部楽壇の新人たちで、みんな一緒にわいわい騒いでとってもにぎやかで、とても楽しかった。それから、ある年にはタイムズスクウェアで大晦日のカウントダウンイベントに出て、みんなで一緒にカウントダウンして、その後また歌を歌って、雰囲気がとてもよかったのが忘れられない。


T:芸能界に入った後のクリスマスはだいたいは仕事をしなければいけないようですが、芸能界に入る前はどのように過ごしてましたか?

E:実は、芸能界に入る前は、友達と映画を見に行ったり、それかみんなで混雑する人波にくっついて歩いて、旺角から尖沙咀へ、尖沙咀からまた旺角へと戻って、イルミネーションを眺めたり、きれいな女の子を見るだけで満足してた。TVBの訓練班に入っていた年のクリスマスイブは、同じ班の友達とドナルドダックのお面をかぶって、堂々と尖東のプロムナードへ出かけて行ったのがとても可笑しかった。でも、ある時こう思うんだ、祭日はあっという間に終ってしまったのに、自分にはやりのこしたことがたくさん残っているみたいで、がっかりするだろうな、って。

T:クリスマスと恋愛は切っても切れませんが、ロマンチックなクリスマスを経験したことがありますか?

E:実は、一回もロマンチックなクリスマスを経験したことがないんだ。
それは、自分の中ではロマンチックなクリスマスは絶対ホワイトクリスマスで、白い雪と、暖炉があって、ちょうどこの前行って来たカナダみたいであるべきだって思っているから。あんなところでホワイトクリスマスを過ごしてみたいなあ、絶対いい気分だと思うよ。
彼女とつきあい始めたばかりの時で、まだ電気ショックが走るような感じがある時のクリスマスは、きっと一番ロマンチックだよ。でも、時にはクリスマスの愛情というものは、恋人どうしや、知り合ったばかりの友人達と遊ぶのに限らず、あるいは静かに過ごすのも、一番ロマンチックかもしれないね。

T:一番お気に入りのクリスマスプレゼントは?

E:子供のころ、一番嬉しかったのはクリスマスの「靴下」をもらうこと。そのころは、まだ今ほどおもちゃの種類が多くなくて、当時、工業展へ行くとちょっとしたクリスマスの「プレゼント入り靴下」を買えたんだ、すごかったね!靴下の中にはサンタクロースのお面とか、それからコマとか、ラジコンカーなど最新の面白いものが入ってた。それぞれの靴下に入っているおもちゃはみんな違っていて、喜んで家に帰ると、兄貴や近所の子供と交換したりした。大人になってからは、かえってこういう喜びはなくなってしまって、たいていは自分のおもちゃを買うけど、子供のころ楽しかったことにはかなわないね。

T:プレゼントについてはどう思う?また、友達にどんなプレゼントをあげますか?

E:僕はプレゼントを特定の日にあげるようなことはないんだ、友達の誕生日だからとか、クリスマスだからといってわざわざ買い物に行ったりはしないよ。かえって、平日に出かけて見つけたもので、友達がきっと気に入りそうだなと思ったら買ってプレゼントにする。以前はパーティをやるのが大好きだったから、クリスマスツリーを飾って、たくさんプレゼントを用意してラッキードローをしたりした。自分が楽しくなくても、友達が楽しくしているのを見られれば、それで満足なんだ。でも、今年はクリスマスに香港にいないので、ツリーも買わないし、プレゼントも買わない。もし本当に贈ることになったら、子供にはニンテンドーDSを、大人にはカメラを選んで贈るね。もちろんキヤノンだよ。キヤノンのカメラは本当に使えるんだ。自分でもたくさん持っていて、車にも一つ置いておいて、どこへ行っても撮れるようにしてる。静物と小動物を撮るのが一番好きで、人物はわりと少ない、人の表情や感覚はとても捉え難いから。

T:クリスマスにあたっての願いはなんですか?

E:世界平和の他に、もっと違う地方から来た人々と知り合いたい。クリスマスには背景や、階層や、文化の違う友人たちと交流できるといいと思う。昔はこういう考え方をしなかったけれど、最近は人と接することが多くなって、友達と話していて、こういうことも楽しみのひとつだとわかったんだ。


**************


伊健がホワイトクリスマスにあこがれるように、私は南国のクリスマスもまた、おつなもんだと思うわけです。
去年は行けませんでしたが、いつかまた、機会があったら。
風邪引いた・・・こんなときはやっぱり南の国に行きたいですねえ。

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2005.12.26

いま伊健が手放せないもの

壹周刊付録「科技新潮」


ハイテク流行指標~ 鄭伊健


お母さんが教えてくれたこと、それは、ダンナを選ぶなら、遊び好きの大きな子供はやめておけということ。でないと奥さんが餓死する可能性は高いから。
お父さんが言うには、おもちゃに夢中になるほうが、女に夢中になりすぎるよりいい、けちけちするな、と。
鄭伊健が芸能界のゲーム愛好家の代表的存在、ということは誰でも知ってるけれど、女性とおもちゃ、彼は一体どちらを選ぶのか?

*****

鄭伊健に女性のことを語らせると、以前からいつもあちこちへと話をそらす。それに反して、ゲームのことを持ち出すと、彼はすぐ興味津々になる。ハイテク技術の潮流についての知識なら、彼は絶対うちのIT部の記者と渡り合うことができる、それは、伊健が実はずっと「補習」を続けているからだ。「ここ何年も、ずっと『BestGear』とか、『日経PC』とか『T3』『Popular Science』のような雑誌を定期購読して、最新のハイテク製品はすべて真っ先にわかるようにしているんだ」

遊びのプロ

伊健はハイテク技術の流行に対するアンテナが敏感で、香港では未発売の製品さえ予約して取り寄せる。例えば最近、香港の代理店が正式に発売を始めたが、数年前に外国で流行った電動ローラーブレードの「セグウェイ」を、彼は既に通販で手に入れている。西貢の住人なら、彼がそれに乗って遊んでいるところを見たことがあるはずだ。

最近のお気に入りについての話題になると、伊健は待ってましたとばかりに、バッグの中から二日前に手に入れたばかりのDopod900を取り出した。「これのすごいところは、まず、3GのポケットPCの機能があるところ、それからBluetoothの機能もある、テレビ電話が掛けられるんだ。3GでEメールのやりとりもできるし、映画を見るには、ボリュームコントロールは・・・」
この時、目の前の伊健は電化製品チェーン店の店員かと見紛うばかりだった。

ゲームは癖になる

ゲームで遊ぶのが好きな彼には、PSPとニンテンドーDSが必須アイテムだ。「子供の頃既に、僕はいつでも持ち歩けるゲームが発明されたらなあって想像していた。PSPはまさに僕の心中にあった構想だよ!」
最近一番面白い新ゲームを挙げると言う段になると、伊健は「ガンスターヒーロー」を強力プッシュ。
「ゲームを買う時は自分で買いに行くんだけど、時々ゲーム本のお勧めを見て買うこともあるよ」友達におすすめするには、伊健の持っているおもちゃが一種の流行のバロメーターになっているほどだ。けれども、彼の手元にあるものの多くは、だいぶ後になってようやく周囲の友人が手にいれることができるものだから、その崇高な地位権威が証明されるものといえるだろう。

小さい頃からもうゲームに夢中だった彼の頭の中は、面白い考えでいっぱいだったようで、伊健も「環境保護ができる充電器」のような、偉大な発明についての構想をずっと持っていたのだ。
「もし、それぞれのメーカーで電池の種類を統一して、一個の充電器を共用して充電できたら、いっぱいアダプターやコードを持ち歩く手間が省けるのに・・・地球環境の保護について絶対役立つよ。」じつは、この発明はもう数年前に香港理工大学の教授によって成功していて、もう試用段階にある。このような、伊健言うところの「前から考えていた」発明が、もうすぐ実現する日が近づいている。


小さな発明こそが本当に便利

大きな発明ができないからといって、小さな遊び心を妨げるものではない。普段、セグウェイに乗って家の近所をまわる伊健は、時計型のオクトパスカードをリストバンドに改造して手に嵌めている。ジュースを買うのにとても便利だからだ。伊健にはきっと発明家になれる才能がある、彼が考えていることが、人に先駆けて実現する日がくるといいと思う。

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伊健の手放せないものベスト5


☆キヤノンIXUS750
キャノンはもう何年も手放せないでいる、理由は簡単だ。
「本当に使える、いつも驚かされる。何がいいかって?買って使ってみればわかるよ」

☆専用のイヤホン
Shureのイヤホンは本当に音が美しく、プロ級。イヤホンが中耳に近い位置まで挿し込める、これは低音を生かしノイズを下げるのに最も良い位置だ。

☆3GPDA携帯電話
DOPOD900は、世界で初めてマイクロソフトのWindowsmobileのオペレーションシステムを持った3GPDA機で、伊健はこれを使ってMTVを見せてくれた。非常にスムーズだ。

☆いつでもゲーム機で遊べる
今日の伊健はニンテンドーDSを出してきて、PSPとの比較について議論になっていた。メーカーは彼を招聘してリサーチするべきだと思う。

☆科学雑誌
記者が何冊か外国のハイテク関係の情報誌を持ってくると、伊健はパラパラとめくり、指差しながらこう言った。「僕、これは買ったよ。それからこれは予約した。」IT部門の記者にも匹敵するプロ並みの知識。彼はまた、こう暴露する。「記者はこの資料をまる写ししてるよね」


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「日経PC」を定期購読しているあたりに超超超尊敬のまなざし~!!伊健、私、明日からお仕事がんばる!!(←おそいっちゅうに!!)職場の見える所にこの手の雑誌が山とあるけど、というか私に一番近いところにおいてあるのに、ほとんど読んだことがありません。反省。
しかも、この写真を見る限り香港版じゃないのよ。あなた本当にこれ読んでます??もしかして日本語できるのに隠してません??

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2005.12.19

ドラマ一問一答

TEA MAGAZINE 67号


「鄭伊健 勝ち取る意義」

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2005.12.18

もしも・・・・

MONDAY 269号

ONE ON ONE
鄭伊健「もしも・・・愛があれば」

郭富城が『三岔口』で金馬奨の最優秀主演男優賞を獲得して興奮している。それなのに、この映画の中で主役を演じる鄭伊健はいま放映中のテレビドラマ「随時候命」の宣伝をしている、あなたはこう思わないだろうか・・・。

もしも、愛があるなら。

もしも鄭伊健が自分の仕事に野心があるならば、成績はこんな状態ではないはず。
けれども、外野が、伊健が芸能界でどうしたらいいかどれだけ騒いでみたところで、彼は、自分がどう歩いていけばいいかは自分がいちばんよくわかっている、と言うだろう。

「逆境も順境も、楽観的な態度で迎えている。苦しい気持ちで過ごしたりしない。苦しんでいるときはただ生きているだけ、生活じゃない。だからぼくは苦しんでいる人たちみんなが、低迷期している時は「生活」を選ぶほうに切りかえればいいと思う」

もしも愛があるなら・・・伊健は自分の生活をとても愛している人だと思う。


まだ底よりはいい

「去年、TVBが「随時候命」のCFを撮影した時、飛行服務隊の総司令部を撮影していたら、ある高官が僕のところへ来てこう言ったんだ。『鄭伊健が撮影をしてるけど、髪を切ってしまってからにすれば!』僕は内心、『僕はプロモーションで来ただけなのになぁ・・・』って思った。けれどもその後で、飛行服務隊は誰もやったことがないし、とても面白い、それに俳優をやっているとずっと髪を伸ばしているものだし、いまが規律部隊に入るチャンスなら、髪を切るのも理にかなっているかなと思った。それにドラマでは僕一人だけが髪を切ればいいわけじゃないし、みんなでいい方向に向かって頑張るんだからね!」
『髪を伸ばしていると幸運がめぐってくる』というここ数年の迷信を打破するのは、ドラマのためとはいえそんなに簡単ではなかっただろう。伊健は、今回は切るべくして切った、仕事の成功が髪ひとつで決まるものではないからと言う。

「すべては自信の問題だと思う。昔は僕も、ほかの人から、退屈だから髪を切ったり髪型を変えればと言われてやっていたことがある。自分ではそれが何のためかわからなかったのにそうしていたのは、自分に全然自信がなかったからだ。
けれども今の僕は役に合わせて髪型を変えることはかまわないと思うようになっている。一人の俳優が登る階段として、いろんなことを試して、自分の殻を破りたい。昔はアイドルといったら同じようなイメージにしていればそれでよかった。今は僕がそんな迷信を信じてるって思う人はいないはず、僕が仕事中の俳優だってわかっているよ。」

変化を求めていることを自ら証明するかのように、伊健はここ何年か絶えずいろいろな役に挑戦しつづけている。コメディ、悲劇、三岔口ではずる賢い弁護士さえ演じた。私も、他の人が言うように、伊健が運に頼っていて努力していないなんて思わない。けれども、私が伊健は運に頼っていないと思うもう一つの理由は、彼の幸運が、『三岔口』で低迷期から這い上がって主演男優賞を獲った郭富城に持って行かれたからだ。

「マギー・チャンが言ってたことはそのとおりだと思う、『獲るべくして獲ったのよ!』って。アーロンは今回も犠牲が大きかったからこそ賞をもらう資格があるんだ。それにアーロンは今回の出演で突破したと思う。
だから今回はアーロンが谷底に飛びこんだとは思わない。僕もアーロンも同じTVBの出身で苦労してデビューした。みんなはいつまでも表面の華やかさだけ見て、僕たちの裏での努力を感じないからそんなことがいえるんだ。」


高い所にいても試練は乗り越えられない

「僕はもともと好調も停滞もないと思っている。これが人生の階段ってものさ。『古惑仔』に出演した時には外国人にまで知られるようになったけど、だれも政府の広告に出てくれとか、あるいはいまやってる飛行服務隊のことを勉強してくれなんて依頼をしてくれなかった。だからすべて物事には両面あるってこと。あなたが幸運だと思いこんでいることは、たぶん危険なスタートで、停滞と思っている場所からゲームが始まるところなんだ。」

すべては表面だけで見ることができない、この言葉は、ずっと停滞期にあったと自身が認める伊健の口から出ると、これ以上ぴったりなことはない。

「僕はいつも、自分の経歴が香港人そのものだと思ってる。97年になると香港人がマンションの売り買いに熱心だった時のように、全ての高みに上り詰め、97年を過ぎると、全てが落ちこんでしまった。本当は、僕たちはずっと一生懸命努力して仕事をしてきたのに、借金さえ背負い込んでしまった。だけどぼくはもともと、やばい、どうしよう、と思ったことはなかった。以前にも停滞期は経験してきた、今の苦労くらい何だ、と思っていたよ!」

自然にまかせていれば安心、というのは伊健の一貫した態度だったけれど、彼のそういう性格が、他の人たちに『伊健は遊んでいるだけ、目標も野心もない』と見られるようになってしまったのも無理はない。

「僕には僕の態度がある、努力だってしてきた、けれどあなたに話す必要はない。現場の人たちはみんな、鄭伊健と仕事をするとストレスがなくていいと言う。僕はこのような方法を取ることを、仕事の過程で暗黙の了解として身につけてきた。人それぞれ性格はちがう、これが僕のやりかたなんだ。」

人それぞれ対処のしかたは違う、だから伊健はジジとの恋愛の件でパパラッチに対する時も、泰然と対応する。
「僕とジジの関係は落ちついている、でも何で間を空けずに次のネタが出てくるのかわからない。僕は自分がよっぽどネタになる価値があるのかと思うよ!今回の盗撮も逃れる手だてはなかった。価値があるからこういうニュースになるなら、みんながこういうニュースを見なきゃだめだってこと?だから、自分のことだけに気をつけて、仕事の時も家にいるときもきちんとすれば何も怖くはない。この前は僕の家での様子を隠し撮りされたから怒ったけど、やるほうにも人格的に問題があると思う。でも、彼らは半年間ずっと追いかけてきたからこんな写真を撮れたんだろう、残りの時間は僕と両親のとか、ジジと食事してたのとかで、単独で見出しにならなかった、たぶん彼らのほうがもっと怒ってただろうね、はは・・・」


僕には僕の生きかた

「人生なんてこういうもの、名声が利益をもたらすなんてこと、本当はない、そういうものを得た後、問題が起こらなかったことなんてないでしょう?」
鄭伊健はいい禅問答をする。
たぶん性格か、あるいは経験のなせるところか、でもこの世の中での道理は人によってちがう。それぞれに生き方があり、劉德華が努力するような生き方が、芸能界で生き残る唯一の道だという人もいる。
「僕はいまの仕事、愛情、家庭、私生活、自分の空間、どれもうまくいっていて、たぶんみんなをがっかりさせると思うけど、実際のところここ数年の生活には満足しているんだ。」
伊健、私はあなたの仕事に対する見方を探ろうとひどい質問をしたけれど、本当はあなたの生き方を応援しているよ!

(完)

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2005.12.11

鄭伊健の生活哲学

Friday 1128号

鄭伊健の哲学―ゲーム的生活


最近毎晩ドラマ見てますか?テレビの画面から消えて久しい鄭伊健が毎回勇敢にヘリコプターに乗って救助に出かけていく場面が見られます。緊迫した雰囲気の中で任務を終えて、伊健は笑って言います。「スーパーマンのドラマはこんなだよね!」山を登り海に潜り、ヘリに乗るのは、伊健の新鮮さと刺激を求める性格にぴったり。仕事もゲームの精神で没頭する彼が、興奮しないわけがない!


飛ぶ夢

6年ぶりに「随時候命」というドラマに出演して、伊健は違和感はないと言う。
「もともとTVBの出身だからね。機会があったから映画に出たり歌を歌っただけ。大事なのはいい題材があって、楽しいこと。今、香港で製作されるものはどんどん少なくなってきている。テレビドラマしかり、映画しかり・・・。新しい試みがあるなら、チャンスはつかまないと。実は、毎年TVBは僕のところへ来てドラマに出ないかって言っていた。でもあまり興味がなかったんだ。もともとは、僕にまた消防員の役をやってほしかったんだけど、もう他にやりつくされていたからね。僕たちはずっと何を撮ったらいいか研究してた。結果的に、飛行服務隊が挙がったわけだけど、それは、みんなにとって飛行服務隊は神秘的に思えるから、一体彼らは何をやっているのか知りたかったからなんだ」

幼い頃から自分が空を飛ぶことを夢見てきた伊健は、この役柄に大変興味を覚えた。子供の時にはもうテクノロジーとか、ロケットのおもちゃで遊ぶのにすごく興味があった、最近はネットで飛行機を買おうかとさえ思ったが、70万香港ドルもするとわかって諦めた。
初めてこの題材で撮影するということには、かなり困難があった。
「ギャンブルかって?ギャンブルさ!撮影には夢が必要、現実の生活の中でできないようなこと、とっても不思議なことも実現できる。僕たちが必要なのは魔法なんだ。恋愛ドラマは簡単に撮れる、心地良いし、安全で穏やかだ。けれども現実には撮影はとても辛いのに成果はいつ現れるかわからない。試したいと思ったら、第一歩がとても大事なんだ。フロンティアになるのって一番楽しい。特撮ものは、多くの人が香港では無理だって言ってたけど、ついには『風雲』を撮れただろう。テレビドラマの予算は限りがあるけれども、難しくなればなるほど面白い、撮影には時間、天候、金、人、様々な配合がある、例えばヘリで救助する場面を撮るのにはたぶん10日かかる、飛行機でリハーサル、降りて、また乗って、ヘリを飛ばすので一日ずつ、その後また降りるところで一日、救助でまた一日・・・全部そろうまでにたくさんのステップがある。」


いつでも準備OKにはならない

しかし、一連の動作や場面も伊健が考えたとおりにはならない。伊健は言う。
「一番乗り越えなければいけないこと、それは規律を守ること。僕は子供のころからルールを守るのが嫌いだった、髪を切ることもそうさ、だから短髪にしたことはしかたのないこと。撮影の時は本当にいつでも準備OKだった、ベルが鳴ったらすぐカットしてすぐ現場から離れて、本物の飛行服務隊が出動するのを妨げてはならなかった。いつ食事をして、いつ出かけるか、全部決まっていた。」
幼い頃から聞き分けのない性格なのに、3ヶ月も規則を厳守するなど、伊健には非常に苦痛だった。
「ある研究で、学生の中には動きながら学ぶ方法が合っている人々がいるそうだ、僕もそういう人、しばらく座っていることなんかできない、じっとしてなくちゃいけないから。例え誰かと食事している時でも、食べたらすぐ立つ、じっとしてることなんかできないよ。」
伊健は規律部隊に入ろうなんて本当に思うわけがないだろう。


遊び心の代表作

現実には、伊健はたいていはいつでも準備OKにはならない、「友達に心配事があって分かち合いたいときだけは別、義理として果たさなきゃいけないから」。
では彼女に対してはいつでも準備OKなのか?「彼女?必要ないよ!会ってる時間は友達より多いんだし!」
いつでも準備しているという態度が必ずしも楽しいものではない、伊健はこの感覚を重視していて、写真撮影の時にも投影している。
「僕は、景色、光線、動物のようなちょっと変ったものを撮るのが好き、人はあまり撮らない。あるとき、壁の上をさっと光線が走ったのが見えて、わぁ!きれいだなあ!ってすぐ狂ったように撮って自分で楽しんだ。他の人にわからなくてもいいんだ、こういう事って人にも言える、たとえば今日できなかったことは、明日続きができるとは限らない」
冒険したりロッククライミングしたり泳いだりというのを撮影する時、人はまず最初に伊健を思い出す。
「なぜかわからないけど人にはそれぞれ違う印象がある。劉德華ならたぶんとても真面目な人、鄭伊健ならとても遊び好きな人。何か得意なことはあるか、冒険か、なら彼を呼べ!ってね。空を飛ぶならやっぱり彼、ダイビングならやっぱり彼、僕は死ぬまで遊び好きな人と呼ばれたい。僕は仕事の中に遊びを取り入れるのが好きだけど、自分のやり方は間違っていないと思う。仕事の中に楽しいことがないと辛いよ、もっとも香港では、多くの人が食べるために仕事をしている。僕は自分が好きな仕事にめぐり合えて、積み重ねてきたこともみんなを安心させられて、とても良かったと思う。多くの人が鄭伊健の映画を好きになってくれるのは、ある種の雰囲気があるから、けれどもそれは不真面目を象徴するようなものじゃない。もし不真面目なものだったらいつまでも僕に出演を依頼したりしない。これは手法の問題なんだ。もちろん、お前は遊んでるだけじゃないかって言う人もいる、けどそれは僕のことを羨んでいる人なんだ。」
では、今のゲーム的な仕事をしている伊健は、この生活に満足しているのか?「まだ理想的じゃないけれど、もっと仕事があって、僕と遊んでくれる人がいればいい!」また遊ぶの!「遊びを知る」、ということを論じると、伊健は自分でこうも言ってさえいる。「僕がその代表作さ。」

「Sorry」名誉回復したいこと

遊びに夢中になることについてはまったく変わりない印象の伊健だが、悪いイメージを払拭するということは怠けてきた。彼は言う。「あなたにはあなたの見方がある、僕には僕のやりかたがある。あなたに自分の角度があるのに、僕が何か言っても意味がない」しかし、インタビューの時に、筆者が最もたくさん聞いた英単語は「Sorry(ごめん)」。ちょっと違う伊健を発見した・・・。

SORRY1:歌の仕事について

「だれかが「随時候命」の歌を歌うのが一番いいチャンスじゃないの?って言ってた。そういう風にするのが良いってあなたも以前言ってたよね・・・ごめん、僕は今は区別してる、テレビが終ったらCDを出すんだ」伊健はずっと専属プロデューサーの陳光榮と新しいCDのことを相談していると言っていたが、まだ出ないようだ。「僕の目標はもう一度香港コロシアムに立つこと、前は歌の仕事も順調だったけれど、感覚としては深いものがなかった。この数年、他の場所、例えば日本でゲストの誘いを受けて出演した時、ステージの上での感覚が以前とは違うと感じた。いまは成長したよ、同じ歌を歌うにししても感情が違うんだ。」

SORRY2:賞レースについて

「誰でも周潤發が發哥で、国際的スターで、たくさん賞をもらっていて、確かにすごい人だってことは知ってる。だけどごめん、今も誰かが彼をマーク兄さんとか、サンパンと呼ぶから成功したと言えるんだ。」映画のほうでも、伊健が望んでいるのは役柄を認められること。
「考えてもみてよ、俳優が賞を獲っても、どんな役をやったか覚えてる?今も僕はずっと陳浩南と呼ばれてる、あるいは『スカイ兄さん、運転上手いね!』それだけで充分満足さ。もし、だれもその人がどんな役をやったか覚えていなければ成功したとみなされないなら、僕はこのドラマで街角にいる人から高Sirと呼ばれることを目標とするよ。そのほうが楽しい」
では、歌の賞レースについてはどう?「何年もCDを出してこなかったけど、何か問題があるの?長い間僕のCDはよく売れていた、ある一つの目安としてセールス賞というのをもらいたいと思う、でも、授賞式では毎回ちょっとの差で四番目になり、賞は三人に授与されるだけ。賞を獲れれば満足と言うなら、僕が獲得できるのは現金賞。レコード会社が僕と契約するのは、よくCDが売れるからさ。賞はめぐりあわせで求めるものじゃない、獲ったから偉いわけじゃない、ただ重たいだけさ」


SORRY3:生活について

伊健は香港人の生活のリズムは速すぎる、立ち止まって生活を受けとめることを知らないという。食いぶちを稼ぐのに必死な人は、、彼の言う事は冷水を浴びせるような皮肉だと言う。
「ごめん、ぼくも悩んできたことなんだ。かつてはとても辛かった、何日も家に帰れず風呂にも入れない、ただ口にしなかっただけなんだ」


SORRY4:遊びと学習について

「僕は興味あることは勉強したいと思う、船の免許やダイビングを取る過程は楽しかった。たぶん仕事で必要なのか?って聞かれると思うけど、どうして海洋大使を依頼されたと思う?僕が免許をもっていたからなんだ。僕が遊びのことにばかり夢中になっているって言うの?ごめん、後で役にたつからだよ」


この「SORRY」を聞いていて、読者には、どの事についてもすべて、伊健がただ暇をつぶしていただけではなかったのだとわかるだろう。実は心の中にまだ燃えるものがあるのだ。また、多くの人には伊健の考え方は簡単すぎると思われるだろう。実際は彼が多くのことを考えた結果の答えなのだ。
「あなたと話した人生観は真面目なもの、でも普段の生活では楽しく遊び、おいしいものを食べればそれで十分さ!見すぎても聞きすぎても分析すればすぐ事情は複雑に感じられてしまうもの、どうして簡単に見ようとしないの?たぶん僕は普段は怠け者で、こういうことを考えて無駄に時間を過ごしているからだね。」伊健は笑う。
遊びもとことんやれば真剣になり、心が高揚して自由になる。黙々と仕事をこなす中でも自分で生活を享受し、自分を笑えるようになる。ごめん!みなさんには彼のゲーム的生活哲学を受け入れない自由もある、だけど鄭伊健に頭を下げるようなことにはならないようにね!

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いい写真だ・・・。(あ、時間なかったので後日また。)
文章的にも悪くない。
しかし、「日本」という言葉が伊健本人の口から出てくる時は、大体においてコンサートのこと。
あとはCMのこととかだもんね。
・・・たしかに、一般人が普通にチケ買って見に行ける形式のコンサートは、もう長いこと香港ではやってないのです。
単独ライブをやったのも、ポップアジアというイベントに出たのも日本だけ。
だから、歌を聞きたいと思ってる香港人には申し訳ないのかもしれませんが、それでもなぁ~。
直接お会いする機会がないのが寂しかったりする。

こうなったらせめて、紅館でのコンサートだけは実現してほしいのですが、
1月の線はもうないのかな~。なさそうだよね~。
・・・・休み取れるのせいぜい1月いっぱいまでなのになぁ・・・しゅん。

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2005.11.27

伊健、遅刻してはめられる

2005年11月27日 星島日報

伊健、鍾嘉欣とキスする勇気はない

鄭伊健、鍾嘉欣、楊思埼ら主演が昨日新ドラマの宣伝活動に登場し、遊びの好きな伊健が今度はからかわれている。その場で鍾嘉欣を相手に人工呼吸の実演をしなければならなくなり、恥ずかしがり拒否している。

鄭伊健、鍾嘉欣、楊思埼と李永豪らの主演するテレビドラマ「随時候命」は昨日宣伝イベントを行い、来場した観衆に救命ゲームセットをプレゼントしたり、楊思埼とそのBFである李永豪は人工呼吸の模範を示したが、結局実際に口をつけることはなかった。仕事でサンサンよりも1時間遅れて来た伊健は、到着するや司会者から、鍾嘉欣と人工呼吸の模範を示せと言われ、すぐに恥ずかしがってこう言った。「順番はあとで、今は次の演目にいかなきゃ!」

すっかりだまされた伊健は、「宣伝活動は急に入ったんだ。日本のマスコミの取材の後で大急ぎで来たから、来るまで何をするか知らなかった。自分でも心臓マッサージと人工呼吸はちょっとはできるんだ。でも試験を受けて証明書はもらってない。(新しいドラマの反応はどう?)友達はみんないいって言ってる。今回のドラマはとてもシリアスに作られているし、この手のドラマに出る機会は少ない、ジジ(梁詠琪)も見たけど良かったといってくれてる。実は無線電視に戻って撮るなら、文芸ものに出るほうがいいだろうということだったけど、新しい試みをしてみたかったから、自分でもとても満足してるよ。(鍾嘉欣がドラマが45%の視聴率になったので、ビキニを着てお祝いするそうですが!)何で!彼女はミスコンでもうビキニ着てるじゃない、食事をごちそうするかクリスマスパーティをやるほうがいいよ」 (後略)

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ほぼ全紙制覇なのですが、あとは写真でどうぞ。うれしー。でも疲れた。

「日本のマスコミ」ってどこかな~?
またPOPASIAかな?すごく気になる!

そして、この時間(夜10時台)の視聴率45%ってすごすぎる!!
香港600万人の二人に一人は見てることになるんだよね。今時日本でもあるかないか。
これは自信もっていいんじゃない?
やっぱ見たいなあ・・・(くすん)。


太陽報。遅れて登場し思いきりからかわれる男。


大公報。止血の実演。「遅れてきたのでなんでもやりますです。ハイ。」


明報。いや、本当に髪が伸びました。もう去年の秋と同じくらいだよね。

成報。ぽーじーを取る男。
よく見たら不思議な服をきています。
あと、ドラマとは関係なくこの写真がついてたインタビュー記事があるので以下に載せときます。
なんか難しかった。辞書ひいても単語がよくわからないのでかなり怪しいかも。

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2005年11月27日 成報


鄭伊健、いつでも怒る準備はできている

温和で、こだわらず、何があってもかまわない。これが鄭伊健がデビューから十数年経って皆に与える感覚だ。芸能界の仕事に全力をそそぐ中で、かつては絶頂期も停滞期も経験した。それでも伊健は昔から同じ、何があっても恨まず怒らずにずっと温かい笑顔で、どんなことが起ころうとも動じない。けれどももともとたとえどれだけ忍耐力があろうと、気にかけない性格だろうと、人には我慢の限界というものがある。

何年も伊健はマスコミの報道に対して、何を言われても傷つかないように見えていた。例え転ぼうと、どれだけ打ちのめされようとも、マスコミは彼を追いかける。マイナスな報道がどれだけ多くても、彼は一笑に伏し、彼をかんかんに怒らすようなことは実際の所少なかった。先日、パパラッチが彼の家の外からまる1ヶ月間盗撮していたことで、ついに伊健の堪忍袋の尾が切れた。

盗撮事件は我慢の限界

マスコミから盗撮の件について聞かれたその日を思い出せば、ずっと満面の笑みだった伊健の顔が一転して厳しくなり、語気荒く、パパラッチがプライバシーを侵すやりかたがどんなに非道かについて責めた。
今日の伊健はこの話をもう一度しても、まだ笑顔のままで、語気もその時とは違い落ちついていて、それでもなお真面目な顔でこういった。「僕は何があっても気にしないわけじゃないよ!何があってもうまく処理できると思うよ。」

http://www.singpao.com/20051127/gossip/785823.html


名前を呼んでもらえることは人気のバロメーター
無欲だけど伊健が望むこと

ドラマの威力は、放送の何日か後にすぐわかる。しばらくドラマに出ていなかった鄭伊健は、最近新しいドラマ『随時候命』に出演した。伊健は今回飛行服務隊の「二級空勤主任」マットsirを演じている。性格は楽観的、誠意あふれる行為、その上救命シーンの格好の良さに、人気再上昇が期待されるが、テレビドラマの効果がこんなに早いとは思いもよらなかった。

伊健とインタビュー・写真撮影の約束をした当日、金鐘の馬艦天橋に立っていた伊健に、お坊さんの一団が気がついた。道路の端で写真を撮っていると、スクールバスに乗っていた学生たちは、すぐに窓に貼りついて手を振ったり、カメラを取り出して撮ったりと忙しい。


さなぎから脱皮、浩南は髪を切る


この様子を見ていて、伊健はこらえきれない様子で、満面に楽しそうな笑みをうかべ、記者に言った。「実際は必ずしも賞なんて必要じゃない、街に出ればだれかが僕を浩南と呼び、また誰かが僕をスカイと呼び、もしそのうち多くの人が僕をマットSirと呼んでくれたら、充分成功したってことさ!」ここ何年か伊健の仕事はあまりぱっとせず、どん底とまで言われていた。もし成功した、香港の家庭に深く入りこんだドラマを撮れたら、芸能人としての復活の軌跡を残せる。けれども伊健はそういう問題を考えたことはない。彼は今回このドラマを、テーマとして魅力的だしとても面白かったし、撮影の過程も刺激に満ちていたから引きうけたのだ。たった一つのテレビドラマが、自分の仕事を再び引き上げるものになるとは考えたこともなかった。

実は、伊健の資料を読み直したが、彼が昔出演していたテレビドラマは10数本で、けれども大部分が聞いた事がないものだった。伊健は笑って言った。「あたりまえさ!大部分がビデオなんだ。僕の下積み時代を知るわけないよね!当時清水灣の電視城には8つの倉庫があって、僕や羅嘉良、黎明でさえお蔵入りになってるんだ。この恨みは大きいよ!」原因は、その倉庫に入っているテレビドラマが海外で販売するためのものであり、俳優にとっては撮らないのに等しい代物だったからだ。

伊健は10年前に陳浩南を演じて一世を風靡し、若者のアイドルとなった。今でさえ街を歩いているとまだ彼を「南哥」と呼ぶ人がいる。当時彼は長髪で、多くの少女が彼に夢中になり、たくさんの若者が彼を真似した。かつての伊健は、自分の美しい髪を命と思い、何年も伸ばしたままにしてきた。今回のドラマが放送されるにあたって自ら証明してみせた。「僕は『随時候命』を撮るために髪を短くした。それはこの役に必要だからさ。そうでなければ切ることに同意はしないさ」彼は、役柄として必要だと感じただけ、たとえ醜くしたり、特殊メイクすることも厭わない。けれども今の流行りに乗ったわけではない。「いつも同じ階段を、同じ登り方はしない。そのうち公務員をやるかもね、ははは・・・。」


急所を突かれ仏も怒る

多くの人々が伊健の仕事がない、どん底だといわれてもかまわない、と彼は思っている。恋愛のことについても同じように思っている。何度も彼女の梁詠琪と別れた、よりを戻した、結婚する、また別れるといわれても、彼は怒らなかった。けれども、一ヶ月間パパラッチが彼を盗撮したことについては、彼も怒りを禁じえない。この話題を振ると、伊健はすぐ笑ってこう言った。「たくさんの芸能人がたぶんどうしようもないと思ってるだろうけど、ぼくはそう思わない。君たちのやりかたを認めるわけにはいかないよ。みんなは当然注目するだろうし、僕もある程度は自分でコントロールするけど、何を見せてもいいわけじゃない。」
伊健は現代社会には奇怪な現象がある、と言う。電話のセールスや、不動産会社や記者の中にも、「失礼な」やりかたをする人がいるからだ。


三つの害を排除し主導権を握る

伊健はこの話題になると、我慢できないようだ。
「携帯電話は自分にとって便利だけど、明らかに国際電話とわかる電話を掛けてきて、サービスについて説明しようとする人がいる。切ろうとすると、「お邪魔でしたでしょうか?」って言う。これこそ失礼ってものだよ。もう一つは不動産会社だ、街で突然人の車を止めて、マンションを買えと言う。買いたければ自分で不動産屋に行くでしょ!街で突然車を止めるなんて、犯罪じゃないの?三つ目は記者だ、僕は街で食事をしているところを撮られてもかまわないけど、今回は街で撮って、その後家に帰ってもまた撮っていた。記者が僕の家の敷地内に入ろうとして、ガードマンにフィルムを出せと言われたら、その記者は了解しないどころか家のベルを鳴らし続けて脅す、近所の人みんなに知られたよ。これこそ失礼ってやつじゃないかと思う!普段から人に対してこういうことをするわけ?」

彼は、これが自分の我慢の限界に来たと言い、長年マスコミと築いてきた関係ではあるけれども、それを変えたいと願っている。何の拘束力があるわけでもないが、できることならデモ行進をやってもかまわないと言う。


後記:楽壇に帰って転機を待つ

郭富城が40代に入り、金馬奨の最優秀主演男優賞を受け人生の転機を迎えた。
伊健はそれを聞いて笑う。「ラッキーにも僕は2歳若い、僕も転機を待っているところさ」
伊健は名誉や利益を求めるという印象を与えない人なのだが、自分の成績に対するご褒美はやはり欲しいと思っている。
「自分が精一杯やってもうまく行かないのはいろいろ原因がある、ダメでもしかたがないよ!自分にできないような目標は立ててもしかたがないよ!でも、また落ちこみたいとは思わない。」
いまの伊健の一番やりたいことは、もう一度ステージに上がって歌うことだ。「本当に舞台に上がって歌いたいよ!来年CDを出したいけど、ストレスにはならないように、売れないようにしとこうかな、はは・・・。」

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成報のインタビューの続きページを見落としていたので、続きを載せました。確かに、インタビューにしては短いと思った!!↑(12/5)

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☆随時候命の一週間分のあらすじは新聞のほうにも載ってますので、
先に概要が知りたい!というかたはこちらもご活用くださいませ。
公式サイトに載ってないこともわかります。↓↓↓

http://orientaldaily.orisun.com/ent/ent_e43cnt.html


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先ほど、今日のイベント直前だという香港のUちゃんより謎の電話あり。

曰く「昨日のイベントはいーきんたらエロエロこの上なかった。うふ」

何が???ねえ何が??写真だけじゃわかんないよ~!!


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2005.10.17

釈明会見、その真相は?

2005年10月16日 明報

伊健とジジの仲が冷えているという噂がどんどん激しくなり、さらに伊健がTVBの番組を降板してジジを避けていると噂されている。前日、ジジは、伊健のマネージャーの林珊珊が伊健は外国で仕事があるから辞退したと言ったことを指して答えたが、番組のプロデューサーは伊健の辞退の理由を家庭内の事情だと話したことから、口裏が合っていないと思われている。昨日林珊珊はジジとプロデューサーに恥をかかせて申し訳ないと言い、説明する必要があるとしている。

「ジジは真相を知っている」

林珊珊は伊健は家で問題が起きて、個人的な理由でプロデューサーに辞退を申し出たが、無線電視は理解してくれた。どうしてジジとプロデューサーは言ってることが一致しないの?サンサンは、ジジは本当の原因を知っている、だけど言う事はできないので、記者に追求されて別の理由を言ったのだという。芸能人は、どんなに親しい間柄でも、公私の区別はつけるもので、このような誤解を生んだことは非常によくない、もう一度説明する必要がある。伊健とジジの仲は噂で流れているように問題があるの?サンサンは、二人の仲はとても良い、お互いに共通の認識があっても、外の憶測は止まらない、今は仕事を大事にするべきと思っているようだと言う。

伊健:熱愛期は過ぎた

破局の噂も大きいなか、昨日の明報週刊のインタビューを受けた伊健は、破局の噂をきっぱり否定した。
ジジとは付き合って6年になるが、熱愛期は過ぎ、いまは落ちついている。噂がどんどん大きくなる現状に対しては、二人とも、今が仕事の面では一番いい時期で、二人は大親友で、パートナーであり、恋人であるという認識は同じだけど、その形はいつも同じではないのだと言う。西貢のあるレストランの店員によると、二人は2週間前にロマンチックな夕食を共にしていたということだ。


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2005年10月17日 世界新聞網

鄭伊健、結婚するなら梁詠琪と
自らの言葉で愛情が変わらないことを語る 結婚のことはゆっくり考えるつもり

連日鄭伊健と梁詠琪が別れたという噂が飛び交っているが、特に伊健が「翡翠歌星賀台慶」の出演を辞退し、表に出てはっきり状況を説明しないことで噂が真にせまっていると言われるようになってしまった。この事件が「真実」か「偽り」かをはっきりさせるため、15日に鄭伊健はインタビューを受け、神に誓ってジジとの愛情が変りなく、決して別れないと話した。本当の辞退の原因は家庭内の問題であり、無線電視に対しては既にはっきり告げていて、現在彼は海外にいて事にあたっているということだ。


記者(記):あなたとジジは別れたんでしょう?

伊健(伊):もちろんそんなことはない、はじめからそんなことはなかったんだ。僕たちは何度も「ない」って答えているのに、なぜかまた別れたって書かれるんだ。

記:でも、あなたが出演辞退した「翡翠―」では、言ってることに食い違いがある。あなたたちは話し合ってないんじゃないですか?

伊:ああ、その日は週刊誌に家の隠し撮りをされたことをとても怒ったら、「破局」が本当らしいという話になって、今度もまたそういうことになっている。全然ダメだ、だから僕が出てきて話さないと。本当にないんだ。僕は嘘を言ったことはない、ないものはない。僕が辞退したのは家族に問題がおきたからで、彼女(ジジ)も知ってる。でも、彼女には僕の問題のことを話すことができない、ただ大体のことを話すことしかできないのに、どうしてまた問題になるんだろう。付合ってだいぶたつのに、何年も何年もずっと書かれ続けて、彼女も嫌がってる。あなたは彼女になんて言うよう迫ったの?みんなもう彼女のことを勘弁してあげて、どう答えようと意味がないよ、答える角度がちがうんだから。

記:彼女が今回このように答えたことは、誤解を生むのでは。

伊:もし彼女が答え方を知ってたら、5年前は大事件にならなかっただろう。それが僕の彼女だよ。僕は彼女のことをよくわかってる。彼女は答え方を知らないんだ。僕も初めは答え方を知らなかったけど、経験を重ねて答え方がわかるようになった。

記:彼女は感情の起伏が激しいから、人から誤解を受けるのでしょうか?

伊:彼女は雑誌にそのように書かれたのを読んでいて、もう充分気分を害してるよ。今は芸能人のストレスはとても大きい、市場は良くない、もっと宣伝して売上を上げたいけど、プライベートな問題にも答えなければいけない、答えたいと思っても、よくないことばかり。

記:6年付合って愛情が薄れたということはないんですか?

伊:ないよ。僕たちの感情はお互い自然にまかせると思っているし、今回のようなことがあっても、僕は楽観視すれば、本当にさまざまなことがあって、たくさん試練を与えられたと思っているんだ。

記:外野からの関心が、あなたたちにストレスを与えて喧嘩になるのですか?

伊:いいや、実際僕たちは他の人から見られることにもう慣れてしまった。毎年誕生日になれば一度は訊ねられているようなものだ。

記:今日はジジから電話がありましたか?このことについて話し合いましたか?

伊:あったよ。今日は彼女はリハーサルだ。

記:ジジはまだあなたの結婚相手の対象ですか?

伊:僕たちはうまくいっていると思うよ。大丈夫。結婚のことはゆっくり考える。いまは僕の仕事も正念場だからね。無線電視がこのことをわかってくれて、事情をはっきりさせ、僕たちの状況に理解を示してくれたことに丁重に感謝しなければいけない。


伊健のマネージャーの林珊珊はこの事件について、無線電視とジジにきまりの悪い思いをさせたので、申し訳なく思っていて、無線電視には伊健を許してくれて特に感謝していると言う。彼女はまた、伊健とジジは仕事とプライベートの区別はつける、結局のところ二人の間柄にかわりはないとは言ったが、家庭で何があったのか話すのは適当ではないとした。

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2005.09.05

今日はきっと楽しい日(2)

☆このエントリーは、2005年5月1日にアップしたインタビュー訳「今日はきっと楽しい日(1)」の続きです。
「続く」といいながら4ヶ月放置してましたが(汗)、自分でもこのままでは気になってしょうがないので、今更ながら完結させようと思いまして。
あんまり楽しくないインタビューなんですが・・・それでも読んでみようかな、というかたは、まずこちらのエントリーをごらんください。

「今日はきっと楽しい日(1)」


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☆進歩は経験によるもの


『古惑仔』の時代の鄭伊健は常に演技が下手だ、歌が下手だ、全ては運が良かったからだと言われていた。鄭伊健が自分でいう「あの事件」の後も、批判は絶えないが、最近は多くの人々にも彼の変化が感じられるようで、ようやく彼の努力が見えるようになってきたようだ。

―僕は自分が進歩してきていると思う。進歩というのは経験を積むことと鍛錬によるものだよね!『中華英雄』に出演した時のように、誰かが「わー、伊健がやるから面白いんだよ!大した経験もないからね!」と一言言ったら、みんなもそう思うものだ。たぶん経験を積んだあとでは自分でもこうすればよかった、と思うだろう。でもすべての物事はこうして動くものだから…だれにもわからないよ。

誰かが言ってたけど、以前の僕は努力が足りないから杜琪峰を怒らせたとか?もういいよ!人が努力したかしないかなんていずれわかること。僕はいつも思うけど、一人の俳優がどうしていつまでも芸能界の荒波にもまれても残っていられるか、淘汰されないのか、それは彼自身に理由があるんだ。でも、良くない時期は何を話しても良くないと思われる。仕方ないよ!學友(張學友)だって歌をやめればって言われたことがあるんだよ!もし僕が以前本当に杜琪峰を怒らせたとしたら、『暗戰2』でまた僕にオファーはくれないよ!
僕の良くない時は、みんなも知ってる「あの事件」のせいだけど、今、そのことを覚えてる人なんていないよ!今はみんななんとも思ってないと思うよ、私生活のことだもの。この時期は僕にとってのまとまった休暇で、良いことも多かった。例えば仕事の面ではひとつ変化があった。(今のほうが良くなりました?)いや、全然良くなったよ!誰も聞かないけどね!記者達も聞かない。ただ、バレンタインはどこに行ったか聞くだけ。

今年のバレンタインは食事に行ったらまたパパラッチに捕まったんだ。ひどかったよ。でもいいんだ、食事を終えるまではパパラッチは写真を撮れなかったんだ。追いかけても無駄だよ。僕はみんなと会ってクランクインの写真撮影をして、そのあと家に帰ったんだ。一番いいよ。家に帰ってからまた出かけた。ははは、みんなよくやるよ、伊健はさっさと家に帰ると思われてる。そんなことするのは僕だけだ…。

☆父さんはそのままで充分だと言ってくれる

いつのまにか伊健は若いとはいえない歳になっている。自分でも面白がって、自分はもう年寄りだから、昔なくしたものを取り戻さなきゃと言う。だから、三千ドルもする超合金のプレミアのおもちゃを買うのが好きだ。けれど、最も伊健をリラックスさせるのは、いつまでも彼を応援し、結婚を急かさない両親だ。傍目にはプレッシャーも大きいと思うがどうなのだろう?


―僕は今年37歳で、まだ家庭を持っていないけど、そのことは劉徳華(アンディ・ラウ)に先に聞くべきだよ!家には兄さんと妹がいるけど、みんな結婚して、兄さんには子供まで生まれて、記者にも写真を撮られたよ。だから、僕は父さんには僕のことはかまわないで、孫の面倒を見て、って言ってる。僕の子供?そのうちね!

それに、父さんはずっと僕のことをかまわないでおいてくれた。一番どん底だった時も、つまり「あの事件」があった時もただこう言っていた:「大丈夫!お前が楽しければいいんだよ!」
父さんは実際はかなり昔気質なんだ。でも、芸能界にいる限りは、ほとんどのことが自分ではどうにもならないのだから、一番大事なのは僕が楽しくいられることだと言う。
実際、大きくなるまで生活というのはとても単純だった。団地に住んで、家庭は健康的で、とても楽しかった。でも、昔は勉強が大切だってことがわからなかった。中学までは美孚の例の学校に行ってたけど、本当に「クズばかり」、毎日校則を破るために学校に通っていたようなものさ、勉強どころじゃなかったね!
一度、学校から放り出されるぞ!って脅されたことがあったけど、僕はちょっとまってくれ、って言った。何も間違ったことをしているわけじゃないし、自分が悪いなんて思ってもみなかった。結局、勉強したことは家に帰るまでの間に全部忘れてしまった。
当時勉強しなかったのは悪いけど、もう過ぎたこと。だから今の自分はずっとよくなってると思う。
景気のことを話そうというわけじゃないけど、お金は僕にとってとても大事だ。でも、今日仕事をしなかったらすぐ明日食うに困るというなら、こんな経歴はいらないよ。(借金があるの?)そうじゃない、ただ、ローンを組めるか、組めるのにしないか、ということだけ。つまりこういうことだ、僕が10ドル持っていて、その家が1、2ドルの値段なら、僕は即金で払う。でも、今は多くの人が現金を手元に置いておくのは、少しでもお金があったら投資に回そうとするから。両親の面倒を見るためのお金は、もう早いうちに手は打ってある。だから、生活は大丈夫。もしそうでなければ船なんか買えないよ!


☆結婚のことを話すのは全然面白くない


伊健は家庭を持つことは遠い先の話で、答えは漠然としていると言う。
けれども、彼は阿Lo(林暁峰)が結婚したことを心から良かったと言う。伊健は阿Loと同じように、前のGFに対して一生面倒をみていくと誓ったことはよく知られているが、残念ながらその縁は続くことがなく、高い代償を払うことになった。


―結婚のことは、本当にまだ考えてない。一日中結婚のことを話しているのは面白くない。計画じゃないでしょ?僕は結婚にはロマンがなくちゃいけないと思ってる。話し合って決めるなんて面白くないよ。西洋人が暇ですることがなくて、ラスベガスにでも行って結婚するか、とかいうのがあるけど、そのほうがいいね!
だから、僕は阿Loは素晴らしいと思う。いくつかの経験を経ても、最後には康子[女尼]とは早く結婚を決めてすぐに子供も生まれた。とてもいいことだよ!こういうのをロマンって言うんじゃないか!
僕が一番驚いていることは、他の人から、4年後にはもう結婚している、あるいはレパルスベイで結婚記念写真を撮ってる、とか言われたこと、そんなのうそだよ!

でも、僕は彼女より仕事が上向いたら結婚しようなんて考えたことはないんだ。
あ~、芸能界って偏見があるよね。仕事なんて本来はあってないようなものだよ。どんなにいいと言われようと、良くないと言われようと、僕はずっと前に仕事のことは既に良くなってると思ってる。 
タイミングが問題なんだ!もし、突然何かきっかけがあれば結婚するかもね!「できちゃった」とかじゃないよ!李克勤が「今年僕と一緒に結婚すれば!」って言ってる。バカだよね・・・。

後記~チャンスがない


インタビューの間、伊健は、取材後記を書かなきゃいいんだよ、とこんな冗談で提案した。「わたしは嘉欣と伊健の映画を見た事がある、だから今回