カテゴリー「インタビュー」の85件の記事

2012.03.04

伊健、チャリティについて語る

2012年2月28日 Recruit


鄭伊健&蘇玉華 幸せを伝える

香港人は日々仕事に追われ、ある者は名誉のため、ある者は少しでも多くのお金を稼ぐために、またある者は家や車のローンを払い、妻子を養うためにと、目的は違えど、大して差のない生活を送っていて、心の奥底ではある種の生活に対する不満を抱え、多くは自分が何も得ていないと感じているが、実は既に幸福であるということに気づいていない。これこそが、鄭伊健(イーキン)と蘇玉華(ルイザ)が先日カンボジアへ訪れた後に感じたことでもあるのだ。

芸能人がチャリティ組織の親善大使を務めることは、もう珍しいことでもないが、自ら発展途上国を訪れ、自分が援助している子供に会うのは、伊健とルイザが初めてであろう。

自分の幸せについて思う

先日、伊健とルイザはプラン香港の親善大使に任命され、子供を援助する以外に、協会職員と共にカンボジア・シアムリアップ地区を訪れ、自分が援助する子供に会ってきた。

出発前、ちょうど映画撮影で忙しく、毎日くたくたに疲れて家に帰ってくると、この訪問団に参加しないことも頭をよぎったのだが、何度も考えて、伊健はようやく出発の日取りを決めた。今思い返してみると、彼はその日の自分の決断を光栄なことだったと笑う。

「元々、自分の人生における全ての体験よりも、このような公開イベントによる体験のほうが印象が強く、その過程で自分の目で貧困に苦しむ生活を送る人々を見てきた。香港では、胃潰瘍にかかったらちょっとした簡単な手術を受ければ全快するのに、カンボジアでは病気にかかることが命取りになりかねない。今、医療や生活環境が劣悪な状態にありながら、彼らはそれでも笑顔でいられる。このことによって、自分の生活を振り返って、自分の生活はなんて幸せなのだろうか、もっと周囲の全てを大事にしなければという想いを禁じえなかった。他人を手助けするということは、実は自分を助けるということに他ならない」
伊健は言い聞かせるように語った。

家族で年越しをする機会がない

伊健の援助する孤児・エイデンは、両親が二年前にエイズにより亡くなり、おばさんの家に引き取られて暮らしている。エイデンはたった一人で両親の死を看取り、人に預けられて、辛いことを心の奥底にしまいこんでいる。彼を笑わせようと、伊健はお絵かきツールを持ち込んで絵を書くことを教えたが、いつも彼に笑顔でいるよう話したそうだ。「この子は両親と年越しを過ごしたくてももう機会がない、香港では多くの人が年末になっても家に帰らないこともある。香港人は本当に幸福なのに!」

「今回の行程ではエイズ患者とも接触がある、出発前には同行する友人たちもみな心配していたが、僕は資料を集めてエイズに関する報道には誇張や間違いがあることを知っていたし、十分準備をして会いに行ったから、心配はいらない」このようにして平常心をもって訪問した彼は、子供たちとおしゃべりしたり、歌ったり、ゲームをしたりして、一人一人から無邪気な笑顔を引きだしていた。


想像よりも遥かに不幸だった


以前、ルイザは自分の援助する子供と手紙のやりとりをしていて、今回は初めて直接ふれあうことができたため、感動もひとしおだったようだ。「以前援助していた子どもたちは、ただ寄付をしただけで、今回は会う機会をもらえて、彼女を抱きしめることもでき、実感がわきました」

彼女の援助する女の子は9歳のシーダ、一家9人はほんの20平米にも満たない、瓦もなく竹の葉で作った屋根のあばら家に住んでいる。両親は畑を耕し、毎日わずか15香港ドルほどの収入しかない。生活環境は劣悪で、きれいな水も食料も乏しい。シーダは体が弱く、常に病気をかかえているが、お金を節約するため、つまり病気になっても医者にみせることもできないでいる。

出発前、彼女はたくさんの資料を集め、現地の環境や状況について基本的に理解し、心の準備を整えた。しかし、現地に着いてみると、目の前の状況に彼女は愕然となった。それは、彼女が想像していたよりもさらにひどい状況だったからだ。

「現地の人々の生活状況は、私が考えていたよりももっとひどかった。私の想像が及ばなかったともいえる。例えば、彼らの住居は非常に粗末なもので、雨が降るたびに部屋中が水浸しになる。ベッドもなく、床板の上に直に眠る。眠っている床板には隙間がたくさんあるから、子供たちが不注意で床下に落ちることもある。また、消毒された飲み水もないから、彼らは毎日水を奪い合っている」溜め息とともに彼女は語った。


彼らの態度が私を動かした
訪問中、ルイザはずっと問いかけていた。「どうして彼らの生活環境はこんなにひどいのだろう?どうして政府は彼らを助けてくれないのだろう?どうしてこの社会では貧富の差がこんなにひどくなってしまったのだろう?」

ルイザは言う。「彼らに罪はない、選択の余地がなかっただけ。たとえ生きる環境がこんなに大変でも、彼らは頑張って生きようとしている、この態度が私にとっての大きな推進力になりました。彼らを助けたい、基本的な生存の条件を勝ちとってほしいと思うようになりました。」

慈善事業は多ければ多いほどよい。彼女は、一人一人がチャリティを行う義務があると思っている。「香港は豊かな社会であるけれども、社会にはまだまだ多くの貧しい人や手助けを必要としている人がいる。だから私は機会をみつけてはチャリティ活動に参加して、公衆の注意をひきつけたいと思っている。また、プラン香港がどのようにして発展途上国の子供たちの生活を改善しようとしているか知ってほしい」

チャリティを行うことによって幸せになる

いわゆる香港は「人情は紙のごとく薄い」社会と言われているが、実際は世界各地で転変地異が起こるたび、人々は自然に組織を立ち上げて、短時間のうちに被災者へ巨額の寄付を送ったり、体力のある者は現地へ飛んでボランティアをしたりさえする。

伊健は言う。「僕は、香港人は本当は冷淡なわけではなく、ただ仕事や生活のプレッシャーが大きいために、自分が幸福なのだということを忘れているだけだと思う。機会を見つけてチャリティ活動に参加すれば、自分が幸せな人々の中にいて、良い行いをすることもできると気づく。」

チャリティに参加することが人にとって精神的欲求であるというのは、チャリティに参加することで、具体的には説明できない幸福な感覚を体験することができるからだ。
ルイザは言う。「人として生活はとてもシンプルなもの、生活必需品は実際はそれほど多くない、私たちもいま抱えている不要なものを捨てることができるし、しかも、生活の質は精神的に得るものの多さによって決まり、決して持っている物質の量によって決まるものではない」

体を張って

伊健とルイザはプラン香港の大使という重責を背負って、来週日曜日(3月4日)海洋公園で開催される「培你童行」チャリティウォーキングイベントに出席する。このイベントによってプラン香港に寄付された全ての収益は中国、カンボジアとアフリカのケニアで、現地の児童の生活改善に使われる。

ルイザは言う。「私はいつも自分のfacebookで今度のチャリティイベント参加にについて話していて、他の人に勧めているわけではないのだけれど、当日の参加者に会ったら、私から発信したニュースによってこの組織と活動に気づいてくれたんだなと思えて、彼らを応援すると思うし、私にとっても嬉しいことよ!」

伊健とルイザはこの活動中、多くの社会の真実を見る機会を得て、その中で自分が大変恵まれていることを実感し、チャリティを続けていく上でのさらに大きな原動力を得た。

**********


本日行われたイベントは、お天気もよく、無事終了したようです。
伊健とみんなで撮った写真をFacebookで見ましたが、みんな元気そうでした。
で、チャリティが終わったらしっかり海洋公園で遊ぶと。

まだ行ったことないのよ~、いいなあ…。

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2012.02.04

音楽の夢を追って

Milk547号

継続追尋―音楽の夢を追い続けて

Milk547

総じて、音楽という大きな世界では、自分の小ささを十分感じることができる。
世の中には、あなたの知らない音楽、聞いたことのない歌が必ずあり、様々な音楽のルーツを探るのに、一生ぶんの精力を注いでも追いかけ切れるものではない。でも、これこそが音楽を愛する人にとっての大きな楽しみであり、追えば追うほど、万華鏡を覗くように音楽の世界は底が深くなり、その中に永遠に溺れてしまいたいと思うようになるものだ。今回は、様々な音楽人にそのルーツ、心酔する歌手、音楽とは、その人にとってのバイブルとはを尋ねた。この純粋な音楽についてのインタビューによって、音楽を愛する心は同じように単純で、純粋なものだということがわかる。

M:Milk E:Ekin


M:この一年間で、一番お気に入りの音楽は何か、またはおすすめがありましたら教えてください。

E:最近はボーカル曲を聴くことが少なくて、かえって純粋にジャズのような音を聞ける曲を聴くようになった。落ち着いて、心地よいし、考え事をするときにいい。

M:普段、音楽についての情報はどこから仕入れますか?

E:友達同士の噂が一番よくあるルートだね。他には、最近ではテクノロジーが発達してネット上にたくさんのラジオのチャンネルができた、聞きたいジャンルを選べば速いし便利だよ。

M:あなたのプレイリストと、その理由を教えてください。

E:

羅文「好歌献給你」 :この歌の歌詞は簡単だけど、聞くたびにある種の形のないパワーをくれるんだ。

馮曦妤「遠視」 :ボーカル部分がとても心地よい、林夕は「遠視」によって人生を語る詩を書いていて、考えさせられる。

「NARUTO」の主題歌:ちょっとロックっぽくて、衝動的な感じがする。今の流行曲にはこういうパワーを感じる歌がなかなかない。

陳百強の歌、全部:彼の歌は瑞々しくて、時が止まったかのようだ。時間や、年代などを感じさせない。

玉置浩二「2007年コンサートツアー 惑星」:彼は歌っただけで人を感動させられる。夜に聞くとパーフェクトに一日を終えられる。

M:歌詞は歌の心ともいいますが、忘れられない歌詞や、あなたにとってのバイブルとなる歌はありますか?

E:林子祥の「最愛是誰」の歌詞だね。すごいと思う。直接的で、簡潔な言葉なのに、人生には様々な段階があって、ちょっとした恋愛の変化もそれぞれ異なる体験になるはずなのに、阿Lamの解釈ではすべてひとつになる。その中でも、僕が一番好きな歌詞は、

「どうしてあなたと一緒にいられるだろうか 淡々とした関係のままに
このさきどうやって関係を続けるの? なぜ自分が正しいと思えないのだろう?」

これは、経験者には含蓄のある言葉だと思うんだ。

M:どんな状況、環境で音楽を聴くのが好きですか?

E:実際、いつでもどこでも聞いてるけど、一番多いのは旅行の時だね。道中に聞いた歌が景色となって記憶の一場面になる。

M:ネットや、音楽サイトを利用することはありますか?

E:あるよ。でも、最初は拒否反応から始まった。歌手としてはCDから入るのが音楽の王道だと思ってるし、CDが一番音がきれいだからね。でも、テクノロジーの進歩によって、デジタル音楽の質と伝統的な音楽の質はかなり近くなってきている。環境保護の立場から言えば、デジタル音楽は確かに資源の節約になるし、試してみても悪い事じゃないと思う。しかも、ネットから音楽を買うというのはかなり値段も安いし、検索も便利で、褒めるべきところは多いと思う。

M:もし、あなたの中に理想の音楽の案内人がいるとしたら、どんなものですか?

E:自由な発想から言うと、僕はヘアクリップみたいなものを考えてる。僕らの耳を正常に動かしながら、でもこの「ヘアクリップ」をつけていれば、いつでもどこでも音楽がついてくるようなね。それから、僕自身も音楽の歴史の中に入っていけたらと思う。音楽というものは、ひとつの歴史の中の進化の過程だから、歴史がなければ音楽もありえない。いま、たくさんのさまざまな音楽が以前の音楽と混ざり合って産み出されるもの、これもまた音楽文化を学ぶ上で価値のあるものだと思う。

*****

含蓄ある阿Lamの歌については…まあ、あえて触れなくてもわかりますよね(笑)
どっちかというと、音楽よりも詩に感情移入しちゃうあたりが俳優でもある伊健の特徴か。
予想通りプレイリストにアニソンを持ってくるあたりがさすが(爆)だし、玉置浩二、どんだけ好きなんだか~。


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2011.12.11

ウェディングフェアのゲスト

2011年12月10日 安徽新聞

“古惑仔”鄭伊健が昨日合肥に登場


昨日、天然婚紗撮影集団の招待により、香港スターの鄭伊健が合肥に来てテープカットのゲストとして登場した。イベント会場では、全身黒の衣装に身を包んだ鄭伊健は大変良い状態で、主催によるイベントをこなした他に、ファンたちともふれあった。インタビューを受けた時には、自分の演じた役についても話し、「演技はその過程を楽しむもので、ゲームのようなもの」と語った。

黒い鄭伊健――カッコよくクール

昨日のイベント中、鄭伊健はフードつきの黒いコートを着て、黒いTシャツを着て、黒のズボンをはいていて、全身黒づくめだった。スタイルが抜群なせいか、少しも派手な色を使っていないにかかわらず、大変よく似合っていた。既に40歳を超えたが、今も長髪の伊健はとても格好良く、初めて合肥に来た鄭伊健も、合肥というところはとても美しい場所だと話し、建物もとても綺麗だと非常に礼儀正しく、まっとうな受け答えをしていたのだが、司会者から結婚の話題を振られた時だけは、首を左右に振って「その話題は早過ぎでしょう?」と言っていた。

青色のファンたち――パワーをくれる

昨日のイベント会場では、ファンは絶対に集まっていなければならなかった。その理由のひとつには、人が大勢集まっていたこと、二つ目に着る服が決められていたことで、そうでないと、誰が誰のファンかわからなかったからだ。青い服をきた若いファンたちは早々と会場入りし、電飾ボードを掲げて、大声で「伊健!」と叫んでいた。彼らの掲げていた電飾から見るに、ファンたちは深圳、南京、杭州などから来ており、ファンのパワーはすごいものだと本当に驚かされる。鄭伊健がステージに上がるやいなや、叫び声は一段と大きくなり、女性司会者が役得とばかりに鄭伊健にハグすると、女性ファンたちは足を踏みならしてブーイングした。司会者が鄭伊健に関する問題を出すと、ファンたちも一生懸命考え、ステージに上がった幸運なファンは自分のアイドルに会えたこのチャンスをのがすまいとがんばっていた。

メイキング
北京語の問題は大問題

中国資本の映画が次第に増えており、香港芸能人が大挙して北上することが珍しくもなくなったが、ギャラがどんどん上がっているという噂だけでなく、香港スターの国語能力が上がって標準に近くなってきているという。しかし、鄭伊健の国語はかなり「上手くない」、イベント中も鄭伊健は手渡しするプレゼントの「天鵞(白鳥)」を発音できず、どれだけやっても「鵞」の発音ができなくて、司会者の助けを借りるしかなかった。インタビュー時に、鄭伊健は「領略(味わう)」の二文字で詰まり、広東語を使いながらスタッフに助けを求め、記者が国語の発音を教えてやると、彼は礼儀正しく「ありがとう」と言った。

ブログの問題は大したことではない

インタビューも終わりに近づき、スタッフがもう「ありがとうございました」と言いながら撤収の準備を始めようとしていたが、記者はまだ伊健を離さず、最後の質問を投げかけて「先日あなたのブログのアカウントが盗まれましたが、その後も安心してブログを使えないでしょう?」というと、伊健は笑って「大丈夫だよ、人から盗まれてもみんなは僕じゃないとわかったからね。ブログの件はもう処理したから、また書くよ」その後、記者はスタッフから追い出された。


インタビュー

昨日のイベント終了後、伊健は記者のインタビューを受けた。国語が相変わらず上手くないものの、香港スター特有のプロフェッショナルな態度でインタビューは順調に進んだ。

記者:多くの人の心にあなたは陳浩南として記憶されていますが、続編をいつ撮るのですか?

鄭伊健:俳優と言うのは実際とても受け身で、いい監督に出会い、いい脚本に出会って初めてできるんです。もしいい脚本が来たら、きっと出演します。それからいい監督、例えば劉偉強とか、彼はずっといろいろなパターンの映画を撮ってきているので大変成功しているでしょう。できればいつか、当時のスタッフでもう一回何か映画を撮りたい、でも「古惑仔」とは限らないけどね。

記者:お正月映画の「東成西就2011」が今上映中ですが、今までになく、言葉を離せない父親を演じていますね。あなたは父親役をやったことがないと思いますが、どんなご苦労があり、またどんな心境で演じましたか?

鄭伊健:僕は俳優をやる前は子供番組の司会をやっていましたので、子供とのコミュニケーションについては全く問題ないんです。子供たちとうまくコミュニケーションがとれると共演も楽しくいきますし、この映画の中でも子役と大変楽しく仕事できました。俳優をやるということは想像力が要ることで、もちろん父親になったことはありませんが、自分の周りには父親になった友達がいますから、僕も父親の感覚は学んでいます。

記者:銀幕上でのあなたはずっとヒーローでしたが、今回は内気で平凡な小市民の役でした。慣れなかったのでは?

鄭伊健:劉鎮偉監督とは親しかったのですが、彼は依頼にあたって、「ちょっと手伝ってくれないかな」と言ってきたんです。監督は、君はセリフの多い役ばかりやってきたけど、もしもこの役をうまくやれたら、以前とは違うものになる、と言っていました。この映画に出るにあたって、手話を学び、いろんなことを吸収しました。

記者:俳優という職業は実際辛くて危険なこともありますが、長年この仕事をやってきて、演技とは仕事ですか、それとも楽しみですか?

鄭伊健:演技はとても楽しいです。特にその過程がね。長年やってきて、僕は今では十分味わってます。演技をするときは、なるべくゲームをやるときのようにします。仕事というのはつまらないこともたくさんあるけど、僕は仕事のなかにも楽しみを見つけるようにします。そうすれば楽しくなりますから。

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写真はこちらのサイトで。

万家熱綫

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いまだに発音で笑われてます。
昔に比べたら相当良くなってるんだから、あんまり言わないであげてください。。

最近、大陸のファンクラブでおそろいの青いジャンパーを作ったようなので、「青いファン」というのはそのことを言っているみたいです。3月の香港のコンサートでも大挙して来てました。確かに比較的若いファンが多いです。

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2011.02.06

自由な黒鳥

JET 101号(2011年1月)
ブラック・スワン


Jet101_1

ブラックスワンがいなかったら、空を飛んでいった一千羽の鳥は全て白一色だろう…。

今年紅館での四度目となるコンサートを開く鄭伊健は、初めて自分の暗黒面を見せると予告している。


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インタビューの当日は、まだ2010年だったが、その一年を振り返ってみてくれと頼むと、彼も困ったような顔になった。なぜなら、香港では、彼は前年たった一本の映画『飛砂風中傳』に出演しただけで、それからアジアワールドエキスポと、紅館でショーを一回ずつ開いただけだった。鄭伊健は、去年はリラックスしてたと笑う。でも、好評を得た去年の『友情歳月演唱會』から、彼は自分が映画以外に、まだステージに対する愛があったのだと気づいた。それでも彼は「多くのパフォーマンスの経験を吸収したい、どんな形であれ試してみたい」と言うような話はきっと自分から言い出すことはないだろう。

去年は多くの時間を大陸でのステージでの時間に費やし、それからマカオで初めてショーを開いた(『古惑仔』以後マカオへ行くことはほとんどなかったが、カジノでのショーがこんなに良い反響があると思わなかったと笑う)。元々進んでいたパート2の『友情歳月』も既に一段落した。この原稿を書いていた時、準備中だった3月の『鄭伊健Beautiful Day 2011演唱會』はちょうど追加公演の準備を始め、既に発売中の2公演のチケットも売り切れ間近だった。

陰になり日向になり彼を支えてきたマネージャーの林珊珊の説明によれば、『beautiful day』には、美しい日の前には必ず暴風雨の夜があるものだという意味を含んでいて、鄭伊健の身近な親友たちも、去年廉署の査問を受けたり(陳國偉)、結婚したり(陳小春)と山あり谷ありがあった。
現段階での構想では、映画的な要素の強かった『友情歳月演唱會』よりもう少しドラマ性を強め、抽象的なイメージを創るのか、あるいは『22098』のように体中にタトゥーをほどこしたヤクザ風なダンサーたちでブラックな雰囲気を演出するのか。
伊健自身に戻ってみると、暗黒面なしには美しい一面を表現できないというのか、コンサートのポスターは『スパイダーマン3』のヴェノムがとりついたのか(あるいは聶風?)のようなイメージだし、歌うことでようやく光が戻って「beautiful Day」の感覚に至るのだろう(でも、鄭さんのその日一番ダークサイドな面といえば、マネージャーの林珊珊がステージのゲストについて話している時で、そこに口をはさんで「男性版舒淇だよ(俳優の王書麒か、映画評論家の舒琪のこと)」と言い、アシスタントと顔を見合わせて笑っていた時だった)。

今はレコード会社との契約は切れ、先月から、伊健はプロデューサーの陳光榮と新曲の構想を練っていて、新しい方法で、例えばネットからダウンロードするような方法で発売しようと計画しているところだそうだ。もちろん、すべてはマネージャーのサンサンと、プロデューサーの陳光榮と相談の上でのことだ。

1992年にデビューシングル「不要哭了」をリリースしてから、もう20年も歌ってきたことになる(「実は、僕は歌を10年歌い、その後10年歌を止めていた時期があった」)。伊健は、昔はラブソングを歌ってきたが、意識的に生活に根付いた歌で表現するようにし、今では本当に感情を表現できるようになったという。「最近いろいろ考えるようになった。人というのは奇妙なもので、僕や身近な友人たちもそうだけど、人生の伴侶が変わったり、色々なことが変わっても、友情は長く続き変わることはないんだ」以上が、たぶん新曲の内容であり、たぶんコンサートの演出の予告であろう。伊健も自分で言うように、考え方が心のままに従って変化していくのを、今は目をしっかり見開いて待っていよう。

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以下は、「鄭伊麺」として、色々なお題について思うところを語ってもらったものである。

Beautiful Day

「ある日、中国内地のテレビ局で『勇往直前』という番組を撮影していた時、偶然その日自分の最も身近で大事な人が誰かというのに気付いた。家族やサンサンをふくめた人たちがみんな僕のそばにいる。僕たちは、撮影が終わってからも農業に関するものを見に行く計画があるんだ。」

嗜好

「僕はずっとスポーツしているかゲームをしているかで、記者は僕がジョギングしているところしか写真を撮れなくて、写真が撮れなければ家の中でゲームしている。実際は、僕は新しいハイテク機器を追いかけるのが好きで、どんな新しい製品が発売になるのか捜したり気にしていたりする。例えばネットで太陽光エネルギーについて調べて、もしも買えるという話なら買うし、買えなければ見ているだけ。そういうことを検討して、生活がどのように変えられるか検討するのが好きなんだ。電気自動車は使えるのかな?いつ手に入るのかな?」

「服を買う時は二つだけポイントがある。一、機能的であること、例えば袋状の布がシャツになるとか、あるいはズボンが何層にもなっていて別々に穿くことができるとか。二、新しい素材で、薄くて軽くて暖かくて、きれいだったら即買うよ。天然素材であることも大事。例えば、既に研究開発されているけど冬は暖かく夏は涼しい糸で作られた服。実は、パタゴニアとかのスポーツウェアのブランドが考えてくれないかなと思ってるんだ。カッティングが多少良くなくても、デザイナーはこういう服を好んでデザインするよね。もしこういうハイファッションが出てきたらとびつくのに。」

40歳を越えて

「もしいつもそのことについて話していなかったら、無いに等しいこと。今の心境は、これまで学んだことを生かして生活しようと思ってる(笑)!今は悪くはないよ、黄金期は既に過ぎたなんて言う人もいるけど、40を過ぎてようやく黄金期を迎えると言う人もいる。僕はずっとOKだよ!心境が良ければ何歳であろうと問題ないんだ。心境が良くない時は当然落ち込むものだしね」

古惑仔のリメイク

「リメイクする必要はない。実際は、香港映画の精神状態としてはまた撮影できるはず。みんな香港映画はもう香港だけのものでなくなってしまったと言う、でも、香港の以前のヤクザ映画のテーマはとても有名だから、僕たちだけでなく、『天若有情』の華Deeとかね。むしろ僕は劉偉強に提案しているんだ。古惑仔が「3年8カ月」の時代に戻ったら、香港の文化をまだ語ることができるんじゃないかって。劉偉強は、その話はまた今度、って言ってるけど…」

『風雲Ⅲ』

「へへへへ、俳優としては、もちろんいい役を希望するよね、でも仕方ない、だれか監督と出資者を探してきてくれないかな?どう撮ったらいいかな?この件についてはもう長いこと話してるんだ。君はどう思う?」

特撮

「今では海外の映画の技術はすごく良くなっている。でもまだ昔の映画のほうが面白い。昔のほうが想像力が豊かだし、リアルだ。今は画面上でのリアル感が強いようだ…昔のは本当に心をこめて作られている。特撮はなくても、ファンタジーを現実にしようという気持ちがあった。今はコンピューターがあってファンタジーを実現するのは簡単だけど、何も見えなくなってしまった。映画というのは夢だ。だけど今はどんどん現実化している。現実は面白くない、想像の入る隙間がない」

スーパーヒーロー

「これは世界中に共通で、夢を創りだすにはスーパーヒーローの出現が望まれる。現実の中では、ヒーローは「スーパー」ではなくて、劇中のようにカッコよくもなく、しかもほんのわずかの間だけ。ある時、だれかが腎臓の提供をしたとする、でも後でその人に聞いたら、痛すぎて後悔してるというかもしれないね(笑)」


陳小春の結婚式

「感動。小春のお父さんは病気で、みんな一生懸命お父さんのことを励ましていた。本当はとても嬉しいことなのに、嬉しいことの裏には人生に向き合うことだとか、みんな生きていかなきゃいけないことだとかがある。結婚は大したことじゃないという人もいる。でも感じるところのある人がいるから、人生の深いところも見ることができるんだと思う」

「ほっといて!自分でなんとかするよ!何年も経つけど、最初は短髪で、それからのばし始めたら物乞いみたいだと言われて、でもそうやって罵っていた人が後から『最初より良いよ』なんて言い出す。その後、監督からイメージチェンジしないとと言われて、丸刈りにして撮影に臨んだ。最後はなるようになれ、だね。自信がある時はどんな格好でもいいからね。でも、長いのと短いのどちらが好きか、と言われたら、長いほうがいい。切らなくていいからね!」

未完成のXX

「劉鎮偉の映画が1本、内容は恋愛映画で、それから共演は鄭中基なんだ。2009年に4分の3まで撮影し終わって、本当は2010年に再開するはずだったんだけど、問題があって今は待機しているところ。コンサート前にクランクインしないといいんだけど!」


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鷹には会えない

大きな子供で有名な伊健は、手にしたiPadでコンサートのポスターを筆者に見せていた時、先に失敗作のポスターのほうを開けてアシスタントに見せ笑っていた。その後、オフィスの屋上に上がって写真を撮っているときに、『暗戦2』に出てくる鷹のことを彼に聞いてみた。伊健はすぐに、「僕は髭をそってしまったからもう僕だとわからないよ!」そして、インタビューの終わりを告げるまで、興奮をおさえられない様子だったのをほほえましく思った。本当のところ、私も彼より興奮していたのだ。
ゲーム人間というのはいちばんいい。私は、鄭さんはこの数年来きっとあまたいる天王級のスターたちよりずっと「稼いで」これたと信じている。大空には、もう会うこともないあの鷹が、疲れてもなお食べるために今も飛び回っていることだろう、地上には染物の桶の中に最もあかるい、自由なブラック・スワンがいる。

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2011.01.03

考えたことはあるよ…

P1020763


U PEOPLE issue262

四十回の勇気 鄭伊健


歌の仕事から離れて10年、鄭伊健は去年勇気を奮い立たせ再び紅館の舞台に立ち、危なげなく2回公演のソロコンサートを終わらせた。その晩の、「あなたのために火の海も渡る」ような、「古惑仔」的な、波乱に満ちた歳月を振り返ると、多くの人々との共通の記憶がよみがえってきた。先月43歳の誕生日を祝い、彼は来年また紅館でショーを開催すると宣言した。指折り数えてみれば、それは彼が歌手デビューしてから20年の記念コンサートになる。
伊健は生まれながらのステージの天才ではなく、苦しみながら一生懸命歌やダンスを練習して、ドキドキしながらステージに立つような歌手だった。今回は自発的に打って出て、ステージを楽しみ始めて、自分に対して懐疑的な態度すら変わった。「それなりのアイドルには、それなりのファンがつくもので、昔の鄭伊健はビクビクしていたので彼のファンもわりとおとなしかった。でも、この一年過ぎてみて、コツをのみこめた。もう一度ステージに立っても、自分が変わったということがわかるはずだ」と伊健は言う。

インタビュー:ミシェル・ロー


写真:「アバター」の素晴らしい3D技術の話になると、ミシェルは、芸能界でも有名な「家電オタク」の伊健が実はまだ3Dテレビを買ってないことを訝しがった。
伊健は「僕は自分にがっかりしたんだ。買おうかなともおもったけど、テレビは買い換えたばかりだし、そんな無駄遣いはできない。それに、今の3Dテレビはそれほど技術がすすんでいない、いずれ映像がみんな3Dになるだろうから、それまでのがまんだよ」


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この日のインタビューは、有能なマスコミ人であるミシェル・ローと伊健の対談ということで始まったが、二人は(毎度のことながら)地元香港のテレビドラマの話に始まり、伊健が実はSF映画のほうが好きで、だから陳浩南より聶風のほうが好きだという。2001年にEEGから最後のオリジナルアルバム「Myself」を出したのを最後に、さまざまな理由から伊健はずっと映画の仕事を中心にし、音楽とは距離を置いてきた。2009年の年末に2回公演の「鄭伊健友情歳月演唱會」を開催してようやく新たに歌手として地元の楽壇で活躍することができるようになった。

鄭:鄭伊健
盧:盧覓雪

盧:去年あなたのステージを見た時、まだ恥ずかしさとかこだわりが残ってるように感じたんだけど、先月草蜢のコンサートを見たら、あなたがゲストで出ていて、とても開放的で、可笑しいことも言うようになったし、なんだか突然楽しみ始めたのかなって感じたのよ。

鄭:それは自信の問題かな。以前の僕は自分にできるのかなって疑ってたから…。

盧:初めてのコンサートじゃないのに…。

鄭:でも、楽壇を離れる前までは、ずっと自信が持てなかったんだよ。芸能人って、人気がある時は映画に出なきゃ、歌を歌わなきゃって、準備もできていないままにやらないといけない。自分が空っぽだっていうことが、ずっと僕に影を落としていたんだ。去年コンサートを開くまで、僕は10年ステージに立っていなかった。突然ステージに立つことになって、改めて自信をつけるために、先生について歌を習い、ダンスを習った。ほんのちょっとしたことでも、一旦手放したら、もう一度一からやるにはものすごくエネルギーが要るもの。だけど、一旦手にしたら、どんどんリラックスできるものなんだ。

盧:だから、草蜢のコンサートのゲストで見たあなたと、以前のあなたは違っていたってことね。

鄭:去年のコンサートは、本当に正直なところ、一歩一歩上がって行くために開いたことで、儲けとか賞賛のためにやったことじゃないのに、しくじったね。でも、自分は変わったと思う。それにはいくつかの要素があると思うんだけど、今年僕はサマーポップに出演して、草蜢や、ジョイや、Big4と一緒にステージに立って、得るものが多くなるほど、自分のパフォーマンスをもっと変えることができると思ったんだ。もっと大胆に、もっと開放的にね。

盧:もうジョギングを始めて英気を養ってるの?

鄭:僕はジョギングを続けたいとは思っているんだけど、そんな風なやりかたではエネルギーを浪費すると言われて止めているところなんだ。昔はダイエットというと必ず食事制限だったけれど、そもそも漢方医的視点からみると、食事はとても重要で、十分な量を取らなければいけない。もし今、食事を制限して運動をむやみにすれば、そのときは絶対病気になってしまう。僕は去年そのせいで病気になった。大事なところで失敗はしたくないね。


ライブは死なず


盧:あなたはずっとハイテク製品の大ファンだったけれど、香港の楽壇について言うと、結局のところまだ合法的な楽曲ダウンロードサイトを作ることができていない。このことについてはがっかりしているんじゃない?

鄭:そうだね。香港のレコード会社は団結できていないし、ダウンロードするにもネット上に載せる人が必要なわけだけど、みんなで互いに押し付けあっている。事実としては、今現在、若者の購買様式は変わったということ、そのお父さんやお母さんでさえiPadを使って、指先でチョイチョイ、なのに僕らレコード業界の人間が追い付かず今に至っている。時代は変わった、若者はもうお金を出して歌を買いたがらないんだよ。

盧:陳奕迅も2年前にはとても心配していたわ。芸能人がCDを売ってもなんの保証もないってね。

鄭:録音専門の歌手なら心配だろうけど、今のようなライブ歌手なら特に心配しなくてもいい。今はライブをやるのが一番儲かる、お客さんは見たいと思ったら、チケットを買って入らなければならない。この前みたいに古惑仔が草蜢のゲストになったりして、この回を見なかったらその記憶もない、たとえ二回、三回と公演が続いたとしても、毎回散る火花は変わるんだよ。

盧:だからコンサートがだんだん盛り上がってきたということね。

鄭:これは繰り返しだよ。籮記(羅文)はかつてバー出身の歌手で、歌が上手かったからレコードを出さないかと言われたんだ。いまでは、僕たちもCDを出さなくてもいい、歌がうまければ、自然とお客さんも集まるんだ。

盧:でも、ライブはたった一回の機会で、一度失敗したら挽回することはできないし、プレッシャーは大きいのでは?

鄭:そうだね。昔テレビの特番でメドレーをやったときみたいに、ああいう音楽ははなから歌手をどう貶めて見せるかというもので、つなぎが唐突で、うまくつなげられなかったら失敗、翌朝には娯楽新聞のトップを飾って、一生笑い物になる。昔は歌手をやっていて、一番怖いことはそういう場面に遭遇することだった。

盧:一回だけのライブというのもとても難しいけれども、映画の一場面を300回演じろと言われても簡単じゃないわ。あなたにとってはどちらが簡単かしら。

鄭:どちらの世界も極端で、すべてのことについて精通しているからよいというわけでもなく、時にはやればやるほど迷いが出ることもある。以前、杜麗沙に歌を習った時、彼女はいつも、歌を歌う時は話をするように歌うといい、そうすれば聞きやすいから、と言っていた。でも、自分で練習してみたらだんだん変形してきてしまいそうだった。僕の結論としては、考えすぎはよくない、ただ集中すること、そうすればたどりつくことができる。楽しむのが一番大事なんだ。

生存と生活


盧:しばらく仕事の量が減っていたけれど、そんなときはどう過ごしていたの?

鄭:時間があれば遊びに行ってたよ。

盧:焦りはなかったの?アーティストの中には仕事量が減ればだんだん心配になる人もいるわよね。

鄭:僕はなかったね。僕はそういう性格じゃないから。実際はずっと仕事はあったんだ。ふつうは、次の仕事はいつから始まるのかがわかったら、合間に時間があったら勉強をして、歌を習ったり、家族と一緒に旅行に行ったり、彼女と一緒にいたり、あるいは友達とバドミントンをしたりする。

盧:ゲームをするのが好きじゃなかったの?

鄭:実際はゲームをする時間はそんなに長くない、僕はただ研究してただけさ、実際のところ、新しい製品が発売されたら、すぐ予約して買って、人が書いたゲーム攻略法を読んで、そういうのを知るのが好きなんだ、わかったらすぐ放り出してしまう。僕は「スピッツ」と同じで、じっと座っていられない、ゲームをしても2時間が限度さ。

盧:あなたは古巨基のようなタイプではないってことね。

鄭:彼のようなタイプを本当のオタクっていうのさ。

盧:人からスターと思われていても、生活は様々で、でもあなたはパーティ好きではないわね。

鄭:もともとそうじゃないよ。僕が夜出歩いている写真を見たことがある?お金をもらえるイベントでもあまり出てないし。朝は9時に起きて朝食を食べて…

盧:あなたの生活が地味なのに反比例して、あなたはいったい何をするのが好きなのか、多くの人が興味を持っているわ。何年も前からあなたにはパパラッチがついて盗撮しているわね。そういう報道も日常化して、お尻を掻いていたとか、AVを見ていたとか、誰でもすることだけど、あなたのイメージにはかなり影響してしまったのでは?

鄭:かゆいと思うことは普通のことだし、映画をみるのもまったく普通のことだ。一番普通じゃないのは、どうしてみんなは盗撮した奴の責任を追及しないのか、ということ。写真を撮られてイメージダウンした上に、人から批判の対象になるなんて!

盧:こういう報道のこと、まだ怒ってる?

鄭:うん、でも少なくなったね。写真と実際とは違ってたからね、でもあの雑誌は家の中まで入ってきたからだよ、君だって怒るだろ?

きっと結婚旅行をする


盧:人は友人の影響を多分に受けるものだけれど、あなたの大親友…林暁峰や、謝天華も結婚してしまったし、絶対ありえないと思っていた陳小春も最近結婚したわね。結婚というテーマについては、あなたの一生の中でありえることなのかしら?

鄭:あるよ、それはある。実際、小春は家庭生活が大好きなんだ、みんなからはプレイボーイだと思われていたけど、ただ合う人が見つからなかっただけのこと。僕だって本当に結婚はしようと思ってるんだ。以前は思わなかったけど、思うようになった。何度も何度も考えるようになった、でも、いつかと聞かれたら、本当にわからないよ。

盧:小春の今回の結婚には本当に驚かされたわ。恋愛のことを話すのをあんなに嫌がっていたのに、今回はまず結婚式を先にして、ラスベガスから香港まで、まったく驚きね。

鄭:(結婚式のことは)相手がそうしたいと思ったからだけど、二人は本当にお似合いだよ。僕はいつもあいつに結婚の準備はできてるのかって聞くと、決まってもじもじしながら、もしおまえがある日結婚することになっても、ぜったい派手に式を挙げるなよって言った。でも、そう言いながら笑ってたけどね。めんどくさいと思ってたのははっきりしてたけど、楽しそうだったしね。

盧:だから、あなたは先に海外で結婚して、香港に戻ってから公開すると思うのよね。

鄭:旅行で結婚!僕はきっとそうするだろうな!本当に結婚することになったら、きっと公表するよ。手間も省けるし、人からうそつきと言われなくて済むしね。


【後記】

不思議なことに、二十年以上インタビューをやってきて、鄭伊健にはまだインタビューしたことがなかった。
伊健と知り合ったのは、彼が歌手デビューした時のことで、当時のレコード会社の宣伝担当と私は仲が良く、私たち所属も様々な親しい記者たちに一生懸命彼のことを勧めていたからだ。あの、さほど遠くもない昔、伝説的な年代には、芸能人と記者はお互い何事もなく、一緒に食事したり、酒を飲んだり、おしゃべりしたりできたものだ…。

当時の伊健は、はにかみ屋で、付き合いも苦手で、自信に欠けていて、一生懸命「はい」「いいえ」「やはりそうです」「あります」「ありません」などの最も簡単な語句で質問に答えていたものだった。私が記憶しているところでは、彼がいちばん興奮して話していた人生の目標とは、一軒の「焼臘店」(焼き豚屋)を開き、食べる心配なく穏やかに暮らすということだった。後で、宣伝担当にそのことを話すと、「わぁ!そんなに詳しく考えていたなんて!どうしよう?」と言われた。

でも、いわゆる「人は変わり、月もいずれ丸くなる」ように、何年も会わないうちに、伊健は自信をつけ、表現を楽しむようになり、未来のことも話すようになった。
私は冗談で「ねえ、蒙嘉慧の彼氏があなたのところに来るかもよ!」と言うと、伊健も笑って「ほんとうだ!仕事重視と言ってたら間に合わないかも!」それから、私たちはまた尽きることのない話に戻った。昔の彼だったら、冗談も解さず、ただ顔を真っ赤にして笑うだけだったろうと思う。幸いなことに、20年も待ったが、私には目撃する機会があったのだ。


***********


雑誌が年を越して海を越えやってきました。このインタビューは11月頭にされたものです。
この記事は、前にさわりだけネットで見てて大ウケしたんですが、
「鄭伊健は昔はびくびくしていたので、ファンも彼を驚かさないようおとなしかった」というくだり。
本人もわかっていたらしい…(爆)

そうです、伊健のファンは、他のファンに比べると極めて上品です。オホホのホ。
そんな礼儀正しいファンなのにそれでも腰が引けるなんて…なんて人でしょうか。。
最近はだいぶ慣れてきたと思うのですが。。

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2010.12.26

記憶の中の君をさがして

東Touch issue812(2010.12.20)

鄭伊健 記憶の中の君をさがして

まず先に自信を回復させる

2009年、鄭伊健は彼に対する市場の評価が絶対的に低いまま、二回公演の『鄭伊健友情歳月2009演唱會』を開催した。結果として満員御礼状態だったが、残念なことにその後すぐの鄭秀文のコンサートも満員御礼だったために追加公演することができず、そこでパート2として1回だけ公演をおこなった。紅館(香港コロシアム)は人気が高く、来年の三月まで順番待ちしなければならず、そこでコンサートは全面リニューアルして開くことになった。
「前回のコンサートはウォーミングアップで、結局あまりに長いことコンサートをやっていなかったので、改善しなければいけないことが多かった。まず自分に自信をつけるのが先だった」
ウォームアップなしに、自分では前年の年末にはショーを開きたいと思っていたし、年明けにはもう登場の機会も増えていて、その間評価も受けている。でも、当事者としてはそれらをうけとめることはできていると思う。
「自分に十分実力があることはもうわかっていたし、そのあとなるべく充実した状態でステージに上がった方が更にいいだろうと思っていたんだ」


古惑仔の幻想

これもまたある種の縁ともいうべきか、草蜢のコンサートを見に行ったら、また鄭伊健に会った。彼は『古惑仔』の出演者を引き連れてゲストで登場し、「友情歳月」を歌った。会場の反応は騒然となり、たぶんこのBig4で古惑仔コンサートを開くこともできるのではないだろうか。
「陳小春がこう言ったことがある。こんなに反応がすごいのに、なんでお前はやらないんだと。僕は冷静になって考えたいんだ。ゲストの一人として登場して、2曲ぐらい歌えばもちろん反応はいいだろう。でももしもっと歌ったら、3曲目は?4曲目はどうだろう?ちょっとだけステージの上に立つならできるだろうが、まるごとショーとしてやるのは難しい。歌のことだけ考えても、持ち歌があるのは僕と小春だけで、謝天華には風火海時代の昔の歌しかなくて、林暁峰には持ち歌はない、ドラマ形式にしないといけないだろうが、簡単なことじゃない。それに観衆の反応もいつも同じじゃない。余計にお金を払わなくてもゲストが見られるのはもちろんうれしい、それはとても大きなおまけだからで、でも観衆がまたお金を払ってその歌手を見たいということとは違う。だから反応がいいからやる、というものではないよ」
陳浩南(伊健)は山鶏(陳小春)の衝動を冷静に見る。漫画のシーンが現実になったかのようだ。


思い出が加わることで味わいが深まる

時代は変わった。歌の聴き方もまた変わった。けれども伊健は輪廻を信じている。生命のことをいっているのではない、流行や風向きというものが、いままたライブに向いてきたということだ。
「今の娯楽のルートは変わった。以前はラジオから新しい歌を聞いて、いいと思ったらCDを買いにいって、何度も聞いて、コンサートが開かれたらチケットを買って見に行く。今は違う。草蜢を見たいと思ったら、彼らの歌が流れるルートはラジオじゃない、ステージの上でなんだ。
楽観的に見て、かつて僕の師匠の羅文先生がデビューした頃と同じように、最初はキャバレーの歌手で、一晩で何度もステージをこなし、その人の歌を気に入ったファンがいたら、レコード会社と契約して歌手としてレコードを出し、そうしてスターになった。いまでは、僕たちも昔にもどったように、ライブで歌うのが最も儲かる。新曲はコンサートで歌われ、みんながいいなと思ったら、出口のところでCDが買える。
ライブは買って帰ることはできない、たとえDVDを買って家で見ても、それは単なる思い出にすぎず、その晩の感覚にとってかわることはできないんだ。ならば、一番良いのはコンサートのDVDを出さなくて済むことだろうけど、もちろん林珊珊ならそれには反対するね!本当は、チケットを買って見に行くというのもある種の思い出で、例えば、昔子供の頃にどこへ行ってバーベキューしたのが楽しかったと感じるようなもの、実際には食べ物の味がそれほどおいしくなかったとしても、細かく砕かれた思い出が幻想を起こし、人を楽しい気持ちにさせる。コンサートも同じ原理だと思うんだ。」

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2010.12.05

誰でもいずれは・・・


2010年12月5日 東方日報


深情對話:伊健、YoYoを嫁にもらう:責任を負う

鄭伊健はデビュー22年、仕事も恋愛も、これまで山あり谷ありだった。43歳になり再び婚期について質問されると、いつもは口の堅い彼が突然口を開いて、いまのYoYoとのラブラブぶりを認め、しかももう計画もあるのだと言う。「付き合って長いのだから、責任取らなきゃね!」人生の「Beautiful Day」が開ける、その時を静かに待っているのだ。

先月親友の陳小春が結婚し、伊健は介添人を任された。式の最中は全力で新郎をサポートし、祝い酒の力もあったとはいえ、いろいろな儀式を重ねて、大親友がサインしたその時、伊健は感動のあまり涙が出そうになったという。

鄭:鄭伊健
記:記者


鄭: はっきりさせておきたいんだけど、僕は介添人じゃないんだ!その日実際は兄弟姉妹団がいただけで、終始新郎新婦の介添はいなかった。僕はもういい大人だけど、友達の結婚式に参加した経験は少ないし、まして宴会なんて。今回は、僕の生涯最初の親友の結婚式だ。実のところ、一番嬉しかったのは、小春が結婚したことだけじゃなくて、お父さんとの関係が良くなったことなんだ。小春は普段「ドスの聞いた」ような言い方をするけど、こんなに人を感動させるようなことを言い出すなんて、僕もあやうくもらい泣きしそうになった、でももちろん必死にこらえたけどね。


YoYoとは歩調もぴったり


記: 小春が結婚したので、あなたも結婚したくなったんじゃないですか?

鄭: 結婚は人生の一大事だもの、小春の結婚を見たからといって僕も結婚、なんてことは絶対ない!でも僕も心に決めていることは認めるよ、内心計画はある、でもまだスケジュールはないんだ。

記: 外野から見ていると、あなたは結婚に抵抗があるように思えるのですが、たぶんそれは以前の彼女たちがみんな結婚を迫って未遂に終わっているからだと思います。どうしてその態度が軟化したのですか?年齢?環境?それともいまの彼女の蒙嘉慧(YoYo)自身によるものですか?

鄭: 心の持ちようだと思う。もちろん、相手も重要だよ。本当は、僕は結婚に抵抗があるわけじゃない、ただタイミングと相手の問題だけ。このこと(結婚)はしなければいけないことで、誰かと付き合ってしばらくしたら、責任とるべきだよね!どの恋愛にあっても、僕は「今」に集中して、将来の話をすることはなかった。多くの人は付き合ったら「将来」があるものだと思って、多すぎる計画を立て、それでいっぱいいいっぱいになってしまい、「今」を楽しむことを知らないようだけど、結果として二人の亀裂がますます大きくなっている。僕たち(伊健とYoYo)はたぶんそれぞれ他の人で失敗していて、「今」を十分楽しむことを覚えたから、歩調がとても合っているんだと思う。


引退したくてもできない


記: ご両親は結婚を勧めないのですか?あなたも今年もう43歳になるし、子供を産むには最後のチャンスだと思いますが。

鄭: はは、兄がもう結婚して子供もいるし、プレッシャーからはもう解放されたよ。妹も結婚したけど、子供はいない。僕も子供を持つ気はない。実際、僕の両親は温厚で、もともとプレッシャーをかけたりしないし、僕にも自分の考えがある。両親と、兄と、妹が仲良くできる家庭があって、両親に何度か旅行をプレゼントできる能力もある、できなければ、一家で簡単な食事をするだけでも十分楽しいんだ。

記: 引退を考えたことはありますか?どれだけ稼いだら十分だと思います?

鄭: 考えたところでできないよ。俳優はとても受け身で、この業界では自分で仕事を減らそうと考える必要はない、自然に淘汰されるものだ。僕は目立つのが好きな俳優じゃない、映画監督の前を行ったり来たりするようなこともできない、自分の気に入った、ぴったりの役を探してくれる監督を待つことしかできない。劉青雲のように、そんなに活躍したわけではないけれど、彼に合う役を自然と誰かが彼に当てはめて出演させる、これこそ神様の導きだよ。


記: 2001年のあなたはどん底に落ちて、イメージも仕事も完膚なきまでに打ちのめされましたが、その時期をどう過ごしていましたか?

鄭: 当時の僕は、自分が「両生類」で、映画の仕事もないのに歌えない!と思いこんでいた。歌の仕事も全然順調じゃない、それなのに契約のことや、恋愛のことで、自分は何も報われないと思っていた。僕を必要とする人などなく、既にどん詰まりだった。僕に何ができる? 無理強いすることもできない。僕は「ラッキーボーイ」から「アンラッキーボーイ」に変わってしまった。どうしたらいい?どうしようもない!何もできないよ。でも、実際は仕事はたくさんあった、ただ順調じゃないだけで。映画に出れば興行成績は悪く、何をしてもうまくいかない。それから数年して、また歌いたいと思った時期もあったけど、タイミングが合わず、また放置だ!それから8年経って、長年一緒に仕事をしてきた陳光榮が突然僕の意欲に火をつけ、僕も歌いたいと思っていたところに投資をしてくれる人が現れ、周りの環境が受け入れてくれそうだという時に、コンサートを開くことが決まった。全てはタイミングの問題だよ。


ショーの準備は充実感をもたらす


記: 去年のコンサートの反響がよかったので、勢いに乗って来年3月にパート2を開こうということですか?

鄭: 去年のコンサートはもう思い出になってしまったよ。来年のはそのパート2じゃなくて、新たなコンサートになるんだ。パート2にすればもっとお金も稼げたかもしれないけれど、まるごと新しいコンサートを準備する、一番充実してると感じるのはスタッフを集めて、段取りをし、リハーサルをし、ゲストを決めて限りない議論を尽くす。その過程の記憶は、決してステージ上での記憶より少なくはないよ。

記: レコード会社との契約は終わってしまいましたが、新しい会社とは契約していませんね。「四大レコード会社事件」の影響を心配しているのですか?

鄭: 実はTVBとも契約があるので、TVBの番組に出演することもできるんだけど、以前はSONYBMGに所属していたので、歌うことができなかった。でも今は自由の身だから、どこでも出られるよ!「四大レコード会社」の問題は本当に解決しなければいけない。過去1年の間に、周知の通りこの問題が楽壇に与えた衝撃は、芸能界にも大きな影響を与えている。


黄日華の気持ちはわかる


記: TVBに戻ってドラマに出ないのですか?この前、黄日華がTVBに戻ってドラマに出ても重視されないと言ってとても怒っていたようですが。

鄭: 僕も華哥のニュースは気にしていた。彼の思いはよく分かる。時にはあそこへ帰ることはとても誠意のあることになるけれども、行って仕事をした時、あるいは「声をかけてくれた人」が既に変わっていると、必ずしも口約束が守られるとは限らないから、怒るのも無理はない。でもTVBに怒っても仕方がない。大会社には大会社の制度があるから、僕にはできるだけその過程を楽しむしかないとしか言えない。『随時候命』を撮影したときのように、めったにない機会もあるから、視聴率や宣伝のことは気にしない。だって僕はもう撮影の過程を楽しむだけで十分稼いでいるんだから。

(後略)


********


SONYBMGとの契約が満了になって、継続していないそうなので、どうもコンサートに向けてCDを出さないのは確実のようです。その代わりにといってはなんですが、DVD出すみたいですけどね。
でも、コンサートやるならレコード会社のサポートは必須ではないかと思うんですが。。

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2010.12.04

2011コンサートのテーマ~ダークサイド

2010年12月4日 明報


Beautiful Day 鄭伊健


去年12月、鄭伊健が開いた「友情歳月演唱會」はみんなの共通の記憶を呼び覚ますものだった。その記憶も新しいうちに、本当は今年コンサートのパート2を開催する予定だったが、残念ながら紅館(香港コロシアム)の予約はいっぱいだった。来年3月、伊健は再び友人たちをゲストに迎えて紅館の舞台でパーティを開く。コンサート「Beautiful Day2011」は3月の開催だ。

「コンサートのテーマはサンサンが提案したもので、風雨に耐えた経歴があるからこそ今日のbeautiful dayがある、何物にも代えがたいと感じる。僕と友人の間にも多くの経歴があり、前回のコンサートは古い友人たちとパーティを開いたようなもの、今回もまたその楽しい日々の続きということなんだ。」

結婚宣言はしない

コンサートの準備は最初の段階で、ゲストのメンバーもまだ出ていないのだが、彼女である蒙嘉慧が舞台に上がることはないという。「彼女が舞台に上がって何をするの?舞台を混乱させてはいけない、彼女は客席から応援するだけだよ。たとえ僕が『一生愛你一個』を歌っても、それは彼女のためだけに歌うんじゃない。どの歌にも一つ一つ思い出と意味がある。会場のお客さん全員と分かち合わないと。」
伊健はステージ上で結婚宣言や愛の告白をするのも拒否している。恋愛と仕事ははっきりと分け、プライベートを仕事に持ち込みたくないとしている。
「僕は今までステージの上から結婚を発表しようと思ったことはないし、それで彼女が不機嫌になるのを心配はしない」YoYoとの結婚問題については、伊健は以前からいろいろな形で何度も答えてきたので、彼女もすでに慣れてしまっているし、伊健の友人たちの中ではYoYoの地位は早い時期に「姐さん」として確立してしまっている。伊健は親友たちが自分の彼女を「姐さん」と呼ぶのは、これが業界の掟で、別の女性の名前を呼んで決まり悪い思いをしないようにとの配慮なんだと笑った。

蒙嘉慧がステージに上がってはいけないのなら、親友の中でもステージに上がれる者はふるいにかけられる。劉偉強監督は自ら『友情歳月』でデュエットしたいと名乗りを上げたが、伊健は監督がステージに上がる前に酔っぱらってしまっているのではないかと心配している。新婚の陳小春と應采兒夫婦に至っては、伊健は二人がステージをめちゃくちゃにするのが心配だと笑った。

ダークサイドの演出


伊健は以前、コンサートに舞台劇の形式をもちこんだことがあるが、今回もその構想があり、さらには自分の暗黒面を表現したいという。
「映画の役柄では、魔物に取りつかれたことがあるから、コンサートでもそういう闇の部分を出していきたい。人生には暗黒の時代もあるものだし、僕の経歴でいえば10年前の恋愛スキャンダルだ」

伊健はこの件について説明はしなかったが、みんなも知っている「奪麺双琪」事件のことだ。「その当時の考え方ではマイナスで、大騒動になり、ものすごいプレッシャーを受けた。マスコミに火のように責めたてられて、僕には逃げ道はなかった。自分はずっと善良な人間だと思っていたが、それをきっかけに粗暴になった。親しい記者の一人は後で話していたが、その当時の僕は口を開けば彼を罵っていたそうだ。気がつかなかったけどね。この時期が僕にとって最も暗く、EQも最低な時期だった」

自分を洞窟においてみるとよくわかる


風雨の後は晴れるというように、今の鄭伊健は毎日がBeautiful Dayだそうだ。

「友達はとても大事だ、しかるべき時に僕が何をするべきか、一人一言ずつ教えてくれる人たちがいる。僕は辛い日々を送ってきたけれども、もう暗闇から抜け出ている。もし誰も僕に教えてくれなかったら、失敗が怖くて永遠に暗闇から抜け出せなかっただろう。Beautiful Dayかどうかは実は自分の心のあり方によるんだ。昔の「絶頂期」には仕事は多く、たくさん稼いだけど、その時期何をしていたか覚えていない。ただ忙殺されて記憶がないことだけはわかってる。僕が低迷していた時期は、休息を取れて、はっきり覚えている。そのころの時期の方がもっと思い出も多いし、小さなことでもとても楽しくて、友人たちと会って問題を議論したこと、それもまた思いだす価値のある日々なんだ」

42インチの岩のような胸板で再登場


去年、伊健はコンサートのために苦しいトレーニングを積み、42インチの岩石のような胸板を作ったが、これはデザイナーの朱祖兒の求めによるもので、でも結局それを披露する機会はなかった。

「本当は、彼は僕に筋トレをさせて甲冑を着せたかったんだ。もともと僕の披露するダンスはとても華麗なもので、甲冑では踊れなかったんだ。本当に馬鹿を見たよ。
今回もまた朱祖兒は僕にトレーニングしろと言ってる。彼が僕のことをどうしようとしてるかはわからないけどね!最近はしばらくジョギングや筋トレをやめているんだ。風邪がなかなか治らないからなんだけど。サンサンは僕に漢方医を紹介してくれて、その先生が言うには僕は疲労過多だそうだ。去年からコンサートを始めるので毎日ジョギングをすることにしていたんだけど、先生は汗のかき過ぎは体力を消耗させると言ってる。今は漢方薬を飲んで体調を整えているところで、先生も僕が歌を歌えるくらい元気になると保証してくれているよ。」


*********

コンサートの準備が始まるので、またぼちぼち雑誌インタビューなんかも出てきているようです。
全部フォローできるかはわかりませんが、極力追っていきたいと思ってます。

先日「悪魔の羽」のことをかきましたが、やはりコンサートのテーマもダークサイドってことのようです。
悪男大歓迎~(笑)ついでにエロいともっとうれしいです。ま、伊健なんで(笑)そこはあまり期待してませんが。。


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2010.07.04

友情歳月・10年目の再会

友情歳月・縁があったらまた会える

香港電影 issue.30 インタビュー


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鄭伊健と陳小春がまた『飛砂風中轉』で共演するとは全く思いもよらなかった。当時『子供の教育に悪い』と言われ、長年抜け出すことのできなかった「陳浩南」と「山鶏」のイメージによって、この二人は十数年間我々にとってのヒーローとして君臨し続け、本人にとっては当時あの映画への参加を決めたことが賞賛と誹謗を半々に受けることになってしまった。残念ながら、彼らにこう言ってやる者はだれもいなかった;若者の成長は総じて騒がしく、人を不安にさせるものであり、反逆と流血は青春の代名詞であり、90年代の我々は、ただ『古惑仔』にその象徴を見ただけなのだ。


かつて苦楽を共にした仲


■当時、古惑仔に出演したことは、お二人にとってどんな意義があると考えますか?

鄭伊健:僕はテレビから映画へ転向して、この作品(古惑仔)は非常に重要だった。僕の映画俳優としての仕事はここから始まったからね。実は、養成所にいた時は文芸ドラマの主人公をやりたいと思っていた(笑)、当時は周潤發がとても格好良かったから、自分も「ドラマ」の路線で行きたいと思っていたんだ。
ところが養成所にいた時、思いがけず時代劇に出演させられて、アクションまたアクションで、それが古惑仔にと変わってしまった。
僕自身はこの世界にはのめりこみたくない、もちろんみんなが僕がチンピラらしくないから僕の演じる古惑仔が好きなんだってことは知っている、古惑仔をやるから面白いというなら、それもまたそのとおりなんだろう。僕もどうして(みんなが相変わらず古惑仔について懐かしいと思い続けている)かはわからない、でもそれでもいいんだ、少なくとも映画の世界で成功したイメージを打ち立てることができて、自分の仕事の上で歴史を刻んだということなんだから。
当時、ある男性ファンに見つけられて、とても遠い場所から「おーい」と声をかけられたことや、ロサンゼルスのある店に入ったら、「I love you!」と言われたことを覚えているけれど、そういうことがとてもうれしいんだ。人から罵倒されて面白くないこともあった、どの映画のことかは覚えてないけど、旺角の市場に行ったときに、どこかのおばさんから「また悪い映画を撮って、教育上悪い人だ」みたいに言われた。たった一本の映画を撮っただけじゃないか。劉徳華の『旺角卡門(いますぐ抱きしめたい)』や、發哥(周潤發)の映画も見たことあるけど、どうして古惑仔がそんな風に(影響力の大きい映画に)変わってしまったのかわからない。その上、大陸に宣伝活動に行ったら、出口のところである学校の先生が待っていて、「もうこういう映画は撮らないでください、子供の教育に悪いです」とまで言われた。得るものは大きかったけど、多くはマイナスのものだった。

陳小春:劉偉強監督と文雋には、俺が山鶏の役をやりきれると信じてくれて、小春の山鶏と伊健の浩南が一緒になることで化学反応が起きると信じてくれたことにとても感謝している。もうしばらく経つけれど、いまだに人々が覚えていて、まだ俺にあの役のことを聞く人がいるくらいだ。映画をこんなに多くの人々が見るなんて、だれも予想できなかったことだと思う。その後、多くの人たちが『教育に悪い』…でも『面白かったよ』とも言ってくれた。俳優としては、どうにもしようがないことだと思うね。

■お二人から見て『古惑仔』の最も重要なところはどこだと思いますか?

陳小春:友情は何にも代えがたいということだね。

鄭伊健:みんながこの映画を面白いと思うのは、登場人物の成長を見ている物語だからなんだと思う、友情だけでなくて、反骨精神も反映されていて、それを見た時にとてもうらやましいと感じるんだろう。
実は、本物のヤクザもこの映画のことを格好良いと思っているらしいが、僕等俳優が深く入り込んでみるととても悲惨なもので、パート3を撮影した時には本当のヤクザのいるところに行ったことがあるんだ。その時はある団地の中で、劇中浩南にはおばあさん(羅蘭)がいてそこに住んでいて、非常に苦労していて毎日おびえているという設定だったからだ。そうさ、刀を振り回すのは格好いいことだけど、もし誰かが好き勝手に刀を持って飛び出してきたら、快適な生活なんかできるわけがない。しかも、一旦そういうことを認めてしまったら、ストレスはとても大きくなるだろう。純粋な子供の遊びならもちろん面白いことではあるのだけどね。

無邪気な声も今は消え失せ


■後から、自分の映画を見返すことはありますか?一番好きなのはどのパートですか?

鄭伊健:僕はほとんどないな。テレビ番組だったらあるんだけど。古惑仔のパート3までの自分はわりといいんだけど、四作目はまあまあで、人物にも成長がなくて、怪獣(のゲーム)と戦っているかのようで、ウルトラマン(みたいな役)なら絶対死なないんだろうけど。
パート3まで撮影が終わったところでもういいや(ちょっと嫌になった)と思ったけど、劉偉強監督がクランクインしなかったら、スタッフはみんなどうするんだろう?と思った。特に僕が映画界に入った頃は、「映画はもう終わりだ、お前たちは入る時期ではなかった」と言われていて、他の道など考えることもできなかった。ずうっと後になってから、興行成績が良かったから、投資者がこぞってお金を出してくれたんだとわかったんだ。
ある時、劉監督が僕にこう言った。「お前がやらないと言ったら、彼ら(スタッフたち)はどうしたらいいんだ?」これは本当に僕の責任なんだ、ということで、思いがけずパート6まで出演することになった。でもみんなもう疲れ果てていて、観客ももう見なくていいと思っていた―知ってのとおり、観客はとても現実的なんだ、拍手を送ってくれるのも彼らだし、ブーイングするのも彼らなんだ。そうやってみんな次第に開散していった。

陳小春:俺はいつもは自分の出演作を見るような人間じゃない、最も印象深かったのはパート1で、今でも思い出すと身ぶるいするんだ。全ての人の気持ちはあのパート1でひとつになったと言えるだろう。ある場面で、マカオの暗い路地裏で、陳浩南と山鶏の彼女に起こった出来事のことで、山鶏は起こって浩南の頬を殴るんだ。あの時俺は初めて鄭伊健の頬を殴った、彼は全く逃げも隠れもせず、俺は本当にすまないと思ったんだ。

■また黒社会もので共演することで、「また古惑仔か?」と言われるのが嫌ではありませんでしたか?もし昔の『古惑仔』シリーズの続編を撮ることになったら、オファーを受けますか?

陳小春:(本当はちょっと嫌だったけど)後から今回の映画が以前の古惑仔のような映画ではないと知って、それにもう一人鄭伊健という人にもお呼びがかかって、その人も承諾したというからやることにしたんだ(笑)。
『古惑仔』からだいぶ時間が経っていて、ある人は覚えているだろうけど、覚えていない人もいる。覚えている人が見たら、たぶん「ああ、またか」と思うだろうけど、実はそうではなくて、今回見せるのは黒社会の「老い」で、もはや勢いだけじゃないし、暴力と殺戮三昧でもない―若いときはそうしてきたかもしれないが、それは無邪気だったからだ。この年代になればそうなっていくということに無知だったからだ。


鄭伊健:小春とは長いこと一緒に映画に出ていなかったけれど、自分が映画に出るのは、脚本を読んで面白いと思うからでもあるんだ。監督はこの題材をかりて社会の変化や時代性を表現しようとしたと思う。ヤクザ社会の中にあるいろいろなこと、それは香港の財産と同じ様なもので、他の場所で映画を撮っても香港の文化にはなりえないんだ。
この類の映画は香港では非常に成功しているけれども、デリケートな題材でもあるから敢えて撮る人は少なく、制約も多い。もしこういう映画を撮らなかったら、今はわからないけれど、でも将来的にきっと大きな損失になると思う。でも、僕はもう歴史を作ったから、もう撮ることはないと思う。
劉監督に以前言ったことがあるんだけど、今回の荘文強監督はこういう手法で撮影したけど、もしリメイクするなら二つのパターンがあって、もう一つは未来の話として、どれくらい先の話かはわからないけど、キアヌ・リーブスが使ったような特撮の手法で(つまりマトリックスのような)どうだろうかと言っていたんだ。また、もうひとつの脚本は、「三年零八個月」の香港陥落の時の話(1941年から45年にわたる日本統治時代のこと)で、調景嶺のならず者たちが、日本が我々に対してこんなひどい扱いをするなら、蜂起するべきだといって行動を起こし、それから、イギリスには抵抗しないのに、日本には撤退を迫る、では彼らは一体英雄なのか、ただのひきょう者なのか?僕と劉監督はこれは撮影しないと、と思っていたんだけど、ロケ地を探すのが難しかった。


全ての物語は歳月の中で漂うように…


■伊健さんは以前『九龍冰室』という映画に出演し、ヤクザから足を洗いたい「九龍紋」という役を演じていましたが、今回の『飛砂風中轉』と似ているところがありますね?

鄭伊健:『九龍冰室』を撮った時は、まさに僕の仕事上の曲がり角だった。ちょうどこの役が来た時に、僕はこういう心境だった。「この道は一体進むべきなのかやめるべきなのか」本当のところは悲惨だから逃げ出したかった。
今回の『飛砂風中轉』では違う役柄で、十代の時に人殺しをして、うわぁ、なぜかはわからないけど刑務所を出てきたらボスになっていた。でも塀の中での十数年の内に起こったことで、自分はバカだったと気づき、でも彼には理想があった―自分は道を誤ったが、まだ他の道がある、そこで大きな声で自分は大学へ行って勉強するんだと宣言する。たぶん誰も理解してくれないだろうけど、声に出して言う勇気はあったんだ。この役柄はとても単純で、ボスになりたかったら人を切ればいい、監獄の中にいて、勉強したいと思ったら、勉強すればいい。そんな人間だ。
僕も以前はそうだった、学校を卒業したら仕事をする、芸能界に入ったらいい俳優になりたい、ある程度時が経ったら今度は歌を歌い、しばらくすると今度はみんな景気が悪い、自分の価値を高めないとと言いだせば、僕もまた自分の価値を高めないとと思い、まず自分の興味のあることから始めた。例えば、ダイビングが好きならライセンスを取り、そのあとはダイビングに関係した仕事のチャンスが巡ってきた―何かを学ぼうとしている時、たぶん偶然にもチャンスも同時に巡ってきているんだ。実は、自分の価値を高めているときは、人生が広がっている時で、多くの可能性が前途に広がっているんだ。

■では、小春さんはこの映画のテーマをどのように理解していますか?

陳小春:『飛砂風中轉』の歌詞に書かれているように、人はヤクザの世界にいたら風の中の砂のように不自由を強いられる。これはヤクザ社会に対する一つの隠喩なんだ。監督はみんなを教育したいと思っている、いわゆるヤクザ社会にいる人というのは実はコメディの登場人物だ。監督がブラックコメディの手法を使ってこのテーマを表現したのはとても優れたことだ。
『飛砂風中轉』の世界は『古惑仔』に比べてももっと真に迫っている。『古惑仔』の人物はとても衝動的で、ある決まったパターンのルールに従っているから、見ている人にもこういう稼業なんだなと想像がつく。それに対して『飛砂』はある種本当に成熟していて、組の人間もみんな商売替えをしていて、それぞれの生活があり、もうボスにはなりたくないと思っている。俺はそういうのが現実なんだと思うよ。この映画の中で一番共感できるのは火腩(自分の役)だと思う。彼はやむを得ない事情によりヤクザの世界に入り、小さな頃から夢があるにもかかわらずこんな生活を送っている。こんな世界では、人は本当に不自由なんだ。監督は非常にはっきりと火腩の歩んできた道を描くことで、観客にも彼の過去から現在への因果が分かるようになっている。

■また共演したことで当時の感覚が戻ってきたのでは?

鄭伊健:僕と小春の同じ場面はそれほど多くない、でも監督は 僕らの好きにやらせてくれる。僕たちがどういう風に演じるかをみて、そのあと「これも悪くないな」と思うらしいんだ。僕等には先天的に(暗黙の了解がある)、『古惑仔』の時から今に至るまでの付き合いで、いつも会っているわけではないのにとても奇妙なある種の暗黙の了解があるんだ。僕等の役は、実は昔の役とは全く共通点がない、でも、多くの人には言っても信じてもらえないと思う。「二人が一緒に出るならぜったい古惑仔なんでしょう?」ってね。でも黒社会映画と言ってもいろいろある、その世界も広い、もう『古惑仔』の三文字を使って世界を狭めないでほしいんだ。

■脚本を見るとお二人は今回対立する立場のようですが…

陳小春:結末を見て初めて、観客は俺と伊健の対立がなんだったかを知るんだよ。俺と伊健との衝突によって、かえって衝突が足りなくて、もっとあっても良かったな(笑)。もしまた激しい激突があったら、もっと面白かったかもしれないよ。

【完】


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2010.06.29

伊健×小春 四十にして惑わず

U-LIFE MAGAZINE Vol.232

伊健小春、四十にして惑わず


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陳小春と鄭伊健というコンビを見れば、どうしても古惑仔を思い出さずにはいられない。実際のところ、この二人の歳をとらない中年もすでに四十歳をすぎ、『飛砂風中轉』の中ではまた古惑仔を演じているが、もうボスになるためではなく、有意義な人生の目標を探すためになのだ。
小春は特に今年のバレンタインデーに應采兒と結婚式を挙げ、自由な流浪の身も家庭に落ち着き、四十にして惑わずとはまさに彼のための形容詞だ。伊健については、たぶん「結婚」の二文字は画数が多すぎて、「両撒(デート)」の二文字を書くにとどめている。親友たちが一人また一人と家庭に収まっていくのを見ては、彼は次第に疑惑の念を強くしている。

U:U-LIFE、伊:鄭伊健、春:陳小春

艇姐風雲

U:『飛砂風中轉』の脚本は破格の値段だったので、あなたたち二人がOKしてようやく撮影に入れたと言われてますが、またヤクザの役をやることに抵抗はなかったですか?

伊:抵抗はないけど、監督と脚本を見る必要はあるからね。『飛砂』は最初、麥兆輝と荘文強が僕に話をもちかけてきて、香港独自色の強いヤクザものを撮りたいが、はっきりと、中国大陸の資金は得られないと言っていた。二人は、ここ十数年の香港の変化はとても大きいから、ブラックユーモアの手法で裏社会の物語を撮りたいと言っていたので、僕も面白いなと思い、そんなに苦もなくすぐOKした。

春:本当は内心、「また古惑仔かよ、つまんないんじゃないの?」と思ってた。でも、監督がある場面のことを話してくれて、これは面白いと思ったんだ。相手は誰?伊健?ならいいよ、監督がどんなものを撮りたいのかすぐわかったからね。『古惑仔』の続編みたいなのじゃないのかって言われるけど、もし俺と伊健じゃなければそうは思われないよ。でも、俺たち二人だからそういう効果もあるよね。

U:撮影の過程で、昔のことを思い出すような状況はありましたか?

伊:いや、何も…あ、あった!後半で警察署の場面があって、出演者全員が勢ぞろいするんだ。わぁ、一場面でこんなに多くの俳優が出るなんてしばらくなかったなあ!最近の香港映画では、俳優はせいぜい3,4人で、一人は必ず大陸の俳優がいるから。でも今回は地元香港の映画で、だからとても感慨深かった。スタッフ全員で一緒に弁当を食べるのがこんなに楽しかったなんて!あの日は貴重な一日だったよ。

春:昔は『古惑仔』のクランクインが待ち遠しかった。今回もそんな感じだったよ。でもおかしなことがあって、今回は他の俳優のほとんどと顔見知りで、みんな気心が知れているのに、俺と伊健が同じ場面にいると、みんなちょっと緊張して、座っていても背筋がぴんとしてて、『古惑仔』をとてもリスペクトしてるんだってわかった。内心、みんな、そこまで思わなくても…って思ってたけどね。

U:今回二人が同じ場面にいることは少なかったですが、かえって余安安さんと葉琁さんと火花を散らす場面が多かったですね。二人の相手役についてどうぞ。

伊:安安姐は僕と顔をあわせるや、「ひどいわー!私がいつこんな大きな子供産んだのよ!!アンタ、ちゃんとしたカッコして、もっと若づくりしてよね!」とかみついてきた。それでびっくりして急いで髭をそったんだ。安安姐は現場では僕の原動力になったね。僕等はこういう親子の関係なので、終始彼女にリードされていた。正直言えば、初日で僕はとても驚いた、彼女はとてもプロフェッショナルで、すごくプレッシャーになった。でも、彼女が教えてくれたのは、映画には遊び心が必要、遊びながら演じることで成果は出るものなんだってこと。

U:葉琁さんはどうですか?彼女は金像奨の助演女優賞をとりましたが。

伊:そうだよ、葉琁は昨日受賞したんだよね。

春:艇姐のこと呼び捨てって、お前何様だよ?

伊:あ、ごめん。でも何で艇姐なの?

春:琁と船って同じ発音だろ、だから艇姐。

春:撮影に入る前、人から彼女に関することをいろいろ聞いたんだけど、何でもありだった、でも、俺はこう思った。お互い俳優なんだから、大丈夫なはずだって。正式にクランクインするまで、彼女についていろんな話をきいていただけあって、かえって撮影中はやりやすかった。俺たちの初日の場面は、レストランのレジのところで(妻が夫の股間をつねる場面)、そのうえディープキスまでやらないといけなかった。こういう場面はあまり親しくない、あるいは遠慮のある俳優だとダメなんだ。でもお互いいい感じで、彼女がパスをくれ、俺も彼女の演技に合わせることができて、とてもいい相手だった。

遊んだことがないのにどうやって人格者になれる?

U:火腩は若い奥さんに幼い子供がいるという役ですが、小春さんは結婚後、人生における責任が変わったと感じることはありましたか?

春:確実に変わったね。俺は新しいリュックを背負ったと感じてる。このリュックは好き勝手に降ろすことはできなくて、一生背負わなくてはいけない。それにそっと背負わなくちゃいけない、そうであってはじめて背負った、と言える。

U:小春さんは変わりました?

伊:はい。彼は昔はいつも夜遊びしてて、パパラッチにもよく写真を撮られていたし、遊びに連れて行ってくれって頼むと、お前が来ると混乱すると言って。

春:そうじゃないよ、俺が自分で出かける時は下をうつむきながら行くのに、お前は堂々と顔をさらして歩くからだよ!

伊:僕、堂々としてる?

春:お前に言うだけ無駄だけどね。

伊:小春は最近確実に夜遊びの回数は減ってきてるよ、僕から電話をするといつも家にいるって言うんだ。彼は本当は家で過ごすのが好きだと思う。ただ、昔はずっと相手が見つからなかっただけ、今は相手がいるから満足してる。それに最近は自分から『古惑仔』の時の仲間と食事の約束をするようになった、昔はそんなことしなかったけどね。

U:当時の『古惑仔』の5人の仲間でも、あなたたち二人は特別な親友なのでは?

伊:僕と天華(謝天華)、阿Lo(林暁峰)は特に仲がいい、最近は阿棠(朱永棠)にも会えてとても嬉しかった、ただ、小春とだけはどうしてかわからないけど、特に通じ合ってると思う、楽しかろうが楽しくなかろうが、ハイ、と一声挨拶すれば、すぐ本題に入れるんだ。

U:仲間が結婚して、みんなの話題もたぶん夫婦関係とか、子育てから離れないと思うのですが、伊健さんはその話に乗ってみたことはありますか?

伊:子育てについては僕もちょうど話してるところさ、林珊珊も友達も子供の話題から離れないからね、だから僕はその方面についてはかなり知識の蓄積はあるんだ…。

春:伊健にはこの何年かの間、何人も彼女がいたのは知ってると思うけど、つきあいが長すぎる、結婚するならさっさと結婚すればいいのさ。俺がたくさん遊んだおかげで人格者になったというのなら、こいつは遊んだことがない、だったらもっと遊べばいいのにな。

伊:やだなあ、なんだか僕が現実的じゃないみたいじゃないか。お前も含め、人はそれぞれ進むべき道が違うんだよ。じゃあ、僕は今何をすればいいんだよ?

春:おまえはデートをたのしめばいいんだよ。

伊:このインタビューでよくわからなくなった…。

霍元甲の馬車馬皇帝

U:大陸の市場が開放されてから、小春さんはよく内地でドラマ撮影をしていますが、伊健さんは『霍元甲』の一本を撮っただけです。実は辛かったのでは?

春:そう。ある日俺がこいつに電話をかけて、どこにいるのか聞いたら、エジプトだって言う。エジプトで何してるの?遊んでるって。また他のある日に電話でどこにいるのか聞いたら、今度はギリシャだって言う。仕事か?違うよ、遊びに来てるだけ。その時俺は大陸で汗まみれになってドラマの撮影をしていたところ。伊健は仕事の鬼じゃないもんな、何もしなくていい、家賃収入もあるし、俺が汗水垂らして働いてるのとは大違いだ。

伊:なんだよ、僕だって血も汗も流してるんだ!それぞれ選んだ道が違うだけ、小春は将来のために積極的に仕事をしている、僕はまず楽しみたいと思ってる。

U:その時の大陸での撮影が特に大変だったのか、あるいはずっと辛かったのか、伊健さんは慣れてないだけだったのでは?

春:ずっと大変だったよ!伊健が慣れてないだけ!実は、『霍元甲』の撮影の時も、俺より楽なところを撮影して、セリフを話して、アクションはちょっぴりだったんだ。

伊:何がアクションなしだよ、どれだけやったかわからないよ。

春:あるといっても二、三人の下っ端とだろ、こいつは本当にずるいんだよ、朱祖兒に頼んで衣装を作ってもらってるんだもの、それも温かいのをね!

伊:お前の頭もあったかかっただろ。

春:俺は凍えそうだったよ!伊健の衣装を触ってみたら、わぁ、本物のシルクに綿だ、生地も人に比べて綺麗だし、間には羽毛が入っていて、薄くて温かいんだ!

伊:本当はそんなことはないんだ、大陸の俳優はみんなフェルトの服を着ていて、温かくて良いって聞いていたんだけど、着てみたらまるで鎧みたいに重いんだ。だから後でそう言ったじゃないか。

春:それでも『霍元甲』の撮影は本当に辛かった、一番寒い時期で、撮影時間も長いし、家にも帰れなかった。

U:できることなら、もっと香港で二人の共演作を撮りたいのでは?

伊:僕自身は渇望してるよ。香港映画の出身だし、まず香港映画を撮らないとね!マーケットが広がっているのはわかるけど、香港映画が有名になったのは、それが香港の文化を代表しているからで、僕たちが盛り上げたからというわけではないんだ。

春:俺が撮りたい映画があるから撮る、ということじゃないけれど、最近みんなはっきりわかってきたことがあるんだ。億ションも必要、4,5百万ドルの中規模なマンションも必要、百数万ドルの小市民の夫婦が住むようなマンションも必要だってこと。『歳月神偸』なんかも小さなマンションだよね、豪邸を建てたからといって、必ずしも世界で一旗揚げることにはならないんだ。共演するかどうかは関係ない、豪邸ばかり買うのはやめて、香港人の見たい映画を作ることだね。

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