東周刊321期 留星語
十年ぶりの…鄭伊健
もしも、鄭伊健が大々的に年末のコンサートの発表をしなかったら、私はとっくに彼がかつて(今も)歌手であったことを忘れてしまっていただろう。伊健は私を責めたりはしない、責められるべきは彼の恋愛生活があまりに派手すぎることで、ウィキペディアですら特別に「個人のイメージと私生活」という一ページを設けるほどで、それが目次のもっとも上に位置していて、彼の「音楽作品」のページは最後尾へ押しやられそうになっている。
「どうしてだろう?まだ『古惑仔』シリーズをひきずって、まるで連続ドラマみたいだ。僕は他人を責めたりはしない、自分のことを責めたりもしない。恋愛には絶対的な正解も不正解もないんだ、多くは運命として定められたことで、他人が僕をどう思うかなんてコントロールできない。唯一の慰めは、僕のプライバシーが干渉されて雑誌がたくさん売れること、だからこそみんなに連載小説みたいに書きたてられるんだろうね」
鄭伊健は、実際は気が多いわけではない。前回までの二つの恋はどちらも7年間続き、彼はこの業界でデビューして以来、恋愛については空白期間がほとんどない。
もし、伊健のCDと映画がどちらも絶え間なく出ていたとしたら、一本300万香港ドルの出演料の彼は、今頃億万長者になっているにちがいない。
「時には、努力と報酬が必ずしも正比例することはない、多くは思いがけず得られるもの。僕が初めてCDを発売した時は20万枚売れた。今は周杰倫ですらそんな数字を叩き出すことはできない。僕は、栄光が再びやって来ることはないと思ってる、だから過去を振り向いたりしない、ただ前を見て進むだけ。」
四十二歳になったばかりの鄭伊健はまもなく、再度紅館(香港コロシアム)の舞台を踏む。共にずっと歩んできたのはマネージャーの林珊珊と、音楽プロデューサーの陳光榮で、10年経ってもメンバーはまだ変わらないとはいえど、『一個甘去爲你踏火海的人』のヒットは既に歴史上の出来事のようなものだ。
人を愛するのに証明は要らない
鄭伊健と陳冠希を並べて論じるようなことはしたくないし、するべきでもないとは思うのだが、今の芸能界でこれまで四人の女性スターと付き合った男性タレントというと、エディソン以外では鄭伊健ただ一人だ。黎芷珊、邵美琪、梁詠琪、蒙嘉慧、名前を聞いただけでも非常に華々しいが、当事者にしてみれば、彼の恋愛ストーリーは新聞や雑誌に華々しく登場したからこそ派手にみえるのだ。
「ときどきどうしようもなく思えるんだ。僕は毎回自分の恋愛を公表してきたけれども、それは嘘をついたり、こそこそしたくなかったからで、ある程度は有名人の責任として仕方のないこと。どんな別れでも同じように心をえぐられるように辛く、恋愛で失ったものに深く傷ついているのに、それでもまだ塩や酢を擦りこまれるような思いをするなんて、もちろん耐えられない。
でも、僕という人間はとても楽観的なんだ。たぶんこれが有名人であることの代償だと思ってるからだろう。もし僕に人気がなければ、みんなが争って僕のことを書きたてたりしない、そう思うと少し気も晴れるんだ。実は、大ウソをつくのは正直に話してしまうことよりも簡単で、多くの人は死んでも認めないし、しまいにはどんな責任を負う必要もない、僕が知らないとでも思ってた?でもそういうのは僕の性格じゃないんだ。」
今月4日、鄭伊健は42歳の誕生日を過ごした。『風雲』の聶風のように髪の毛は相変わらずふさふさしているが、もう42歳にもなるのだから、結婚して子供を産むことについては自然と最近彼に問われる問題になってきた。黎明、劉徳華、楊千嬅、彼らがおめでたい話題を暴露されてからは特にそうだろう。
「結婚?本当に考えたことはないんだ。僕と彼女(蒙嘉慧)は関係が始まったときからずっと風雨にさらされてきた。最近になってようやくちょっと落ち着いた日々を過ごしてる、もっと今の段階の生活を楽しみたいんだ。みんな最近僕について書くことがないだろうけど。
結婚は僕にとっては紙切れ一枚のことにすぎない。人を愛するのに証明なんていらない、最も見るに堪えないのは、家のローンを払うために結婚する男女だ。ローンはローンじゃないか。結婚する必要がある?その答えは、お互いに信用できないから、結婚登録さえしてしまえば、相手が逃げられないと思っている。結婚が離婚しないことの保証になりえるんだろうか?もし、カップルがこういう理由で結婚を選択するのだとしたら、僕はとても可哀想なことだと思う。」
「子供のことについては、正直に言うと、僕は特別好きというわけじゃない。たぶん以前子供番組の司会をやっていて、子供の嫌な面を見すぎたからだと思う。なぜかはわからないけど、今の子供はどんどん童心を忘れてきているように思う。自分がどうやって子供をしつけたらいいかわからなくて、血を吐くような辛い思いをするんじゃないかと心配なんだ。時々思うんだけど、もしある日子供がほしいと思うことがあったら、あるいは養子をもらうことも考えるかもしれない。考えてみてよ、子供が欲しいと必死になる人がいる一方で、こんなにもたくさんの子供たちが棄てられているんだ。とても皮肉なことだろう?」
「僕は今も何人かの子供を養っている。みんなカードを贈ってくれるんだけど、僕は時々返事を忘れてしまう。自分はだめだなと思うよ。だからまだ良いパパにはなれる時期ではないな」
CDでは稼げない
鄭伊健は前回のコンサートで、それは11年前のことだが、当時は「古惑仔」の時代で、まだ世間からは完全に歌手だと認められたわけではない彼が、8回の公演を行った。2000年、伊健はEEGと契約し、結局3年間冷遇され、歌手としての身分は先月末にSonyBMGに加盟してようやく復活することになった。
「実は、ずっと東南アジア、韓国や、日本ではステージに上がってきた。2005年にはベストアルバムも出していて、完全に「封印」したわけではないんだ。だから、音楽界への復帰とは思ってない。過去10年はパワーを映画のほうに集中していて、その計画の中になかったから歌わなかっただけ。2000年にEEGと契約した時は、契約からまもなく僕とサンサンを招いてくれた会社の人が辞めてしまってうまくいかなくなり、それから会社でも話し合いをして検討したけれども、お互いの方向性があまりに違うことがわかって、だからずっと仕事をすることがなかったんだ。」
「実は、何年か前にも僕はCDを出したいと思っていて、当時陳光榮が僕の出演するカメラのCMのために曲を書いてくれたけど、話し合いの結果また没になった。正直言えば、歌手というのはとても受け身で、やりたいからといってできるわけではないし、歌を作ってくれる人が必要だし、それで初めてCDも出せる。何年も僕と映画を撮りたい人がいつもいて、願ってもないことに、デビューからずっと僕は仕事に困ることはない、それだけでも十分ラッキーなことだよ」
私は、11年ぶりに紅館に立つ彼は「音楽を愛してやまない」からだと言ってくれるのかと思っていたが、自称「前時代」の歌手である伊健は、確かに「前時代」のタレントとしての正直さで、CDを売るだけではもう金は稼げないのだと打ち明けた。
「僕のデビューCDは20万枚売れた。今一番人気の周杰倫ですらもうそんな成績はあげられないはず、なら僕はどうだろう?たぶん、僕の歌はまあまあだと思われるかもしれない、俳優として映画に出たほうがいいのかも、でもチャンスがあるなら、やってみてもいいんじゃないかな?
草蜢もしばらく新譜を出していなかったけれども、彼らのコンサートは追加に次ぐ追加だ。今は、CDを出すことではもう儲けることはできないから、コンサートもやらないといけない。まるでパーティを開くようなもので、それでようやくファンも見に来たいと思うだろう。正直言って、僕は自分を歌手と自任するところはとても少ない、自分は表現者であって、映画も歌も、僕の仕事の一つであるんだ。」
駒でいることに安心する
男子、四十にして自立するという言葉があるが、目の前の伊健は依然として大きな子供のようだ。インタビュー当日、「林珊珊が言うには」という言葉を出すと、「蒙嘉慧」とか「Gigi」の話をするよりも話がしやすかった。伊健と何年も肩を並べて仕事をしてきた林珊珊は、彼を「林家」の一員とみなしていて、伊健も彼女のことを「皇帝」とみなし、彼女の手の上で転がされる駒として自分の位置を落ちつけている。
「僕には自分の意見がないわけじゃない。僕はサンサンのマネージメントを信じているからね。二人の間に信頼がなかったら、どうして何年も一緒に仕事をやってこれると思う?僕は孤高の人ではないし、お金ももちろん稼がなければいけない。でもどんなふうに稼ぐか、どれだけ稼ぐかは僕のコントロール範囲外だ。僕はサンサンのマネージメント能力は僕より高いと信じてるから、彼女は皇帝で、僕は彼女の兵隊で、彼女が命令すれば戦場に打って出るし、前進するし、どうしてそうしなければいけないのかはもう聞く必要もないんだ。」
「僕がTVBの養成所に入った初日、養成所の先生は、その時すでに僕が芸能界に向かないと言っていた。その先生は僕のことをとても可愛がってくれて、いつも言ってた。『鄭伊健、君はそれでは駄目だよ。チャンスを自分からつかみにいかず、ずっと黙ったままで、そんな性格ではすぐに淘汰されてしまうよ』その先生は、僕が試験に合格せず、卒業できないだろうと心配していたけど、結局僕は合格して、卒業からすぐにドラマの仕事が来て、すぐに主役にもなれた。芸能界には必ずしも業界に合う性格だけじゃなくて、天の時、地の利というものもあるんだと思うんだ。」
かつて「五人目の天王」の名で呼ばれた鄭伊健は、いまだ「天王」という性格ではないが、10年前に郭富城と『風雲』で共演して、10年経ってもまた同じ相手と再演することになった。伊健は埋もれてしまうこともなかった、またフェラーリを使って自分の身分を誇示する必要もない。
「自分で自分のことはよくわかっているもので、劉徳華は自分の地位を譲り渡してもいい、と思っているわけではないし、大変な努力をしてきている。僕自身もまた大変な努力をしていると自分の中でも思うところがある。僕は、自分が努力してこなかったとは言わない、でも僕の言う「がんばり」と華仔の言う「がんばり」とは別のこと。デビューして長いけど、埋もれてしまうこともなく、人と衝突することもないけど、それでもまだ僕と映画を撮りたいと言ってくれる人がいて、上を見ても下を見てもきりがない、僕は現状に満足してるよ。
僕は以前はちょっと迷っていて、自分の進むべき道がわからなかったけど、今は歳も重ねて、かえって『古惑仔』の頃の自分よりも状態はいいと感じている。コンサートのために腹筋を鍛えないのかって?僕はもともと腹筋は割れてるんだ。ただちょっと色あせつつあるだけ、暇なときに何回かバドミントンすれば、腹筋も自然と元に戻るさ」
甘比今昔
鄭伊健にインタビューしたのは本当に久しぶりで、前回会ったのはたしか『風雲』の時だった。
「あなたはその時まだ××新聞の記者だったよね、98年のことだ。」
98年のことを、伊健は昨日のことのように覚えている。彼の記憶力は本当はびっくりするほど良いのだ。
99年は?
「はは。」
忘れていた。私も危うく忘れてしまうところだった。梁詠琪がノーメイクで鄭伊健の西貢の家から出てきたのは、10年前のちょうどこの日だった。伊健の言う「10年経てば人も変わる」という文句は、彼の身の上にはあてはまらないようだ。10年前には彼の身近にいた、林珊珊のCD会社の同僚だった「大嚿」は、10年経った今でも彼と一緒にいる。ただ、10年後の梁詠琪はもう「伊健の彼女」でも、学生たちのアイドルでもなくなったけれども、その頃ジジを追いかけて彼女の写真を撮っていた芸能記者の甘比は、既に富豪の家に入り、玉の輿に乗った。

最近のコメント